30話 後継者達
播磨姫路城――この地で、ある人物が他界した。
名は、羽柴秀勝。
織田信長の四男であり、羽柴秀吉が養子として育てていた子供である。
死亡した場所は、畳の上。享年はまだ20になったばかり。すなわち、病死だったのである。
葬儀を済ませた翌日、秀吉は長らく仕え続けた蜂須賀正勝と対峙していた。
傍らには、羽柴秀長、前野長康、浅野長政らも控える。この四人は秀吉が織田家の末端でくすぶっていた時期からの家臣であり、家中でも別格の存在なのである。
「秀勝様は惜しい事を……」
正勝が切り出した。
「うむ……」
秀吉もまた、悲痛な表情を作る。
「まさか、儂よりも先に逝く事になるとはのう……」
ふぅ、と秀吉は一つ息をつく。
「こうなると、儂に子がおらんのが悔やまれるのう」
「兄者は側室を多く抱えておるのにな」
秀長が嘆息気味に言う。
「うむ。男色に興味を示さないゆえ、天が男子の命を授けない気なのやもしれん」
秀吉は冗談めかして答えた。
秀吉は、かつての主君である織田信長と違い男色に興味を示す事はほとんどなかった。
武田信玄と高坂昌信の関係なども有名だ。ある日、小姓相手に見惚れた信玄に嫉妬の炎を燃やした昌信に対し、それを釈明する手紙を送った事もあるぐらいだ。
が、秀吉は武家の出身ではないという事もあった為か、そういった事に興味を持たず、逆に家臣達に何か「病気なのではないか」と疑われたほどだ。
心配した家臣団が、ある美少年を選び秀吉と同じ部屋で過ごさせた事がある。だが、その少年に秀吉は手を出す事なく「お前に姉か妹はおらんのか」と尋ねただけだったという。
それほどまで、無興味無関心だったのだ。
「ご冗談を」
そう言った事情を知る、秀長が苦笑した。
「寧々様はともかく、あれほどいる側室がいるというのにのう。いかに天からの授かりものとはいえ……」
正勝が嘆息する。
秀吉は前述の通り、男色に興味を持たない。
が、そのかわりかなりの女好きであり多数の側室を抱えていた。
無論、これは悪い事ではない。当時としては、黒田孝高や高山重友のように側室を持たないようなケースの方が稀だ。
秀吉もその例にもれず、多くの側室を抱えていた。
が、それほどの側室がいながらも一人も男子を授かっていない。
かつて、長浜城主時代に正室・寧々との間に男子を授かったという話もあるが、少なくともこの時点では他界している。
「正直を言うと。儂は儂が死んだ後の事など、さして考えておらなんだ。いや、今もそうかもしれん」
秀吉は言った。
そして、「だが」と続ける。
「儂ももう50だ。そろそろ、後継者の事を真剣に考える必要がある」
秀吉は、真剣な表情で言った。
人生50年といわれたこの時代だ。もはや、いつ死んでもおかしくはないのだ。
「後継者といいますと、やはり秀次様でしょうか」
この時点で、秀吉の後継者候補筆頭なのは養子の羽柴秀次だ。
血縁上は甥にあたる。
「まあ、それが無難ではあるが……」
そう言った秀吉の瞳には、不満の色が強く浮かんでいる。
そこは付き合いの長い4人だ。
それをすぐに察した。
「では、秀家様でしょうか」
秀家もまた秀吉の子として預かっている子だ。
かつて、備前国主の宇喜多家当主の宇喜多直家が織田家に臣従する際に、秀吉に預けていた。無論、人質としての役割も兼ねている。
その甲斐あって、宇喜多家臣団は秀吉の忠実な僕となり、働いてくれた。
「秀家は駄目だ。あいつには、宇喜多の家督を継いでもらう必要がある」
秀吉が手を横に振った。
元々そのために預かった子供だし、無理に宇喜多領を併呑する理由もない。このまま秀家に宇喜多家を継いでもらう方が楽だった。
「この際に言っておくがな。近いうち、宇喜多家の当主として岡山城に戻そうと考えておる」
秀家は、四国征伐や九州征伐にも織田軍の一員として同行していたが、本来の彼の居城である岡山城に戻る事はほとんどなかった。
姫路城や、大坂城で生活する事が大半だったのである。
「そうですか。少し残念な気もしますな」
秀家と、それなりに付き合いの長い面々だ。いくらか名残惜しそうな顔をする。
「ま、岡山城に戻したところであ奴が儂に反旗を翻す事はあるまい」
ふふ、と秀吉は笑う。
「話を戻すぞ。実際に、後継者候補といえるのは秀次、秀勝、そして」
「秀俊様、ですな」
長政が言った。
秀吉正室・寧々の甥にあたり、長政とも近い間柄にあった。
この子を秀吉は養子として貰い受けていたのだ。
「秀俊か……。しかし、まだ6つ。器量は分からん」
秀吉は腕を組んで答える。
「秀勝もいる。我が姉の子の方のな」
今秀吉が言った秀勝は、信長の子ではなく秀吉の姉と三好吉房の間の子。
彼もまた、秀吉の養子となっていた。
「やはり、秀次様、秀俊様、秀勝様ですか……」
長康が腕を組んで考え始めた。
「まだ6の秀俊様はまだ未知数として、秀次様と秀勝様は20だ。おおむねの器量が分かってくる年頃ですな」
「秀次、秀勝のどちらかか。しかしのう……」
秀吉の顔は苦々しい。
「何か御不満でも?」
「不満、か……」
秀吉は、顎に手を当てて考えるような仕草をする。
「お前らはどう思う?」
「どう、と言われましても……」
4人は困惑気味に言う。
「秀次と秀勝の器量じゃ。正直に申せ」
「は?」
その言葉に、4人はつい顔を見合わせる。
「儂はお前らに聞いておるのだぞ」
「それは……」
4人は困惑した様子だったが、やがて長康が答えた。
「秀次様も、秀勝様も立派な御世継かと……」
養子とはいえ、主君の子供達を悪くいいたくはない。
そう思ったがゆえの、長康の発言だったが秀吉はそれで満足できない様子だった。
いくらか、視線にこめられた力が強くなる。
「儂は正直に申せと言っておる」
「では、正直に申し上げる」
誰もが、言いづらそうに言いよどむ中、正勝が言った。
「秀次様は、河内を。秀勝様は、丹波を順調に統治しております。両名に殿が付けた家臣団の補佐もあるのでしょうが、領国運営に関しては問題がないかと」
「うむ」
秀吉は軽く頷く。
正勝は、先を続けた。
「秀次様は諸将からの人望があり、秀勝様は九州征伐で武功をあげております。さらに、秀次様は人心をつかむ才がなかなかにあり、秀勝様は武勇の才があります。ですが」
と、ここで正勝は言葉を区切る。
「ですが、何だ?」
「秀次様は、いくらか短慮な面が。秀勝様は浅慮な面がお見受けられます」
「ほう……」
「むろん、今後の成長次第で改善される可能性も十分にありますが」
「少なくとも現時点では、後継者としての器量不足だと?」
「そこまでは。しかし、若干の不安が残るのは確かですな」
「なるほど、よくわかった」
ふむふむ、と秀吉は満足げに頷いている。
「やはり、儂にこのように物申す家臣は貴重よの。もはや、儂に指示を出す事のできる存在は上様だけになってしまったゆえ」
「それほど、兄者が出世したという事ではないか。何を恥じる必要がある」
「確かに恥じる必要はない。だが、いささか寂しくてのう」
そういって、どこか複雑そうな顔をする羽柴秀吉だった。




