28話 不平不満
天正16(1588)年――新年。
この時は、既に政治の中心は安土城ではなく大坂城へとうつっており、新年の挨拶もここで行われた。
織田軍に属する武将や、与力大名達が相次いで新年の挨拶に訪れる。
堺の商人や、著名な茶人、南蛮の商人――禁教令は発したものの、交易自体は禁止していない――なども相次いで訪れる。
朝廷からも、公卿衆が訪れた。
ここ数年、冷え切った関係になっているとは事実上、日の本を統治する事になった織田家との関係は絶ちたくないという思いが強いのだろう。
高山重友――後世、高山右近の名で知られるようになる男は大坂城の広間で、信忠に年賀の挨拶をした後に、城下にある信孝の屋敷を訪れていた。
信孝とはさして親しいわけではない。形ばかりの挨拶をした後、この屋敷を辞去する気でいた。
が、強く信孝に引き留められた。
「ささ、よく来てくれた。酒も肴も存分に用意してあるゆえ、当家で休んでいって欲しい」
重友の答えを聞くよりも早く、信孝は小姓に命じて海の幸、山の幸を存分に使った豪華な料理を持ってこさせた。
思いの他、強い歓待を受け重友は困惑するが、相手は主君の弟だ。
無碍にするわけにはいかない。
目の前の膳に、遠慮がちに手をつけた。
確かに味は良い。
酒も、上質なものだった。
酔いも回り、いくらか気分が良くなってきたところで、
「どうであろうか。ここいらで、別室に行こうと考えておるのだが」
信孝が、箸を置いていった。
表情が真剣なものへと変わっている。
「別室?」
「うむ。そこで大事な話をしようと思うてな。さ、早く着いてまいれ」
信孝は立ち上がると、すぐに歩き出した。
信孝の小姓たちもそれに続く。
……どういう事だ?
怪訝に思いながらも重友は信孝の後に続いた。
……まさか、罠にでもかけようというのか。
そう考えたが、即座にそれを取り消した。
……馬鹿馬鹿しい。信孝様に、私を殺す理由などないではないか。
かつて、重友は当時の上司だった荒木村重と共に織田信長に背いた事はあるものの、それは10年も前の話だ。
今更討伐されるなどわけが分からない。
強いて言うのであれば、隠れキリシタンという理由があるが、これも問題はなかろう。
キリシタンの禁教令も実質的には名目上であり、信忠自身、隠れて祈りを捧げる事までは禁止しているわけではなかった。実際に、隠れキリシタンだという事がばれて処罰されたという話も聞いた事がない。
重友が、大広間に通された。
どうやら、重友が先ほど通された部屋よりも広い。
にも関わらず、やたらと狭く感じられた。
「すまぬの。兄上に不信に思われる事なく、皆を集められる機会など早々ないからのう」
「皆を集められる? どういう事ですか?」
重友は疑問に思う。
が、それよりもこの場にいる面子に驚いた。
まずは、織田信孝。それに、四国征伐の頃から伴う事の多い包帯姿の従者が傍らにいる。
そして、柴田勝家、佐久間盛政、佐々成政ら。
大友宗麟、長宗我部元親、池田恒興といった大名達。
織田軍の中軸を担う大幹部達が、勢揃いしているのだ。
が、欠けた者も何人かいる。
信忠直属の武将達、それに羽柴秀吉、徳川家康を中心とした親羽柴大名、及びに親徳川大名だった。
信忠、秀吉、家康と親しい間柄の人間の姿が見られない。
「こ、これは一体、何の集まりなのですか?」
「今後の織田家について語り合う集まりだ」
「今後の、織田家?」
重友は聞き返した。
「単刀直入に聞く。貴殿は、今の織田家についてどう思う?」
「どう、とは……? 信長公、亡き後も上様の元で一致団結し、天下を平定する事ができ、その武威は今や大陸にまで及ぼうとしております。これも、上様の御威光があっての事でありましょう」
「ほう……」
「な、何か?」
「本当にそれだけか? 何か言いたい事があるのではないか?」
「何、何を言いたいというのですか」
「キリシタン禁教令に関してはどう思うのだ」
……それは。
重友は言葉に詰まる。
彼は、立派なキリシタンであり、洗礼名はジュストという。
キリシタン禁教令以降、秀吉の帷幕である黒田孝高なども改宗に応じた。そして、彼はそこまで熱心な信者というわけではなかった為かその事をあっさりと受け入れていた。
「……」
だが、重友は違う。
本気で人生を賭けるほどに、キリスト教に傾倒していたのだ。
一時は、全ての地位と財産を投げ打って信仰の道に生きようとも考えたほどだった。
「上様の命令とはいえ、聞ける事と聞けない事があるのではないですかな?」
大友宗麟が口を挟んだ。
彼もまた、キリシタンなのである。
それも、かなり以前からキリシタン保護に熱心だった人物でありキリシタン大名の代表格ともいえる。
最も、それが高じて仏殿取り壊しなどを行い旧来の仏教徒達などから怒りを買ったりもしていたのだが。
「それは……」
重友は言葉に詰まる。
「それだけではない。いくら何でも、秀吉を優遇しすぎではないか? 秀吉の差配できる石高は100万石以上。奴を慕う大名や子飼武将共のものも加えれば300万石近くなるのだぞ」
柴田勝家である。
「柴田殿っ! 貴方ともあろう御方まで上様の批判などをっ」
「まあ、待て落ち着け」
勝家が重友を手で制した。
「儂も、このような陰口のような真似は好かん。好かんのじゃが……」
言いかけた勝家の言葉が遮られた。
「それに、徳川もじゃ」
恒興が口を挟んだ。
「徳川の石高は、今や200万石以上。信忠様の直轄を除けば、大名連中の中では最大になる」
彼に次ぐ石高の持ち主である、毛利輝元や上杉景勝であっても徳川の半分ほどに過ぎないのだ。
「あの兄上も同様よ」
信孝が言った。
「あの兄はのう、織田家での序列では儂より上の二位なのだぞ」
顔が、忌々しげなものへと瞬く間に変わる。
「くそっ! ろくな武功も立てておらぬくせに……」
この「兄」というのは、信忠ではなく信雄の方だろう。
重友はそう思った。
信孝は、さらに苛立った様子で続ける。
「上様も上様だ。あのような兄を優遇しおって、器量は儂の方が上だというのに……」
「ま、待ってくだされ」
重友は信孝を押しとどめるように言った。
「皆様方が、今の上様に不満を抱いているのは分かりましたが、それで、一体どうすると……」
「ま、そう急くな」
信孝が手を振って制した。
「それをこれから話し合おうというのだ。 ……色々とな」
そう言ってふふふ、と信孝が笑った。
彼らの話し合いは長々と続く事になった。




