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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第1部 天下人の誕生
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27話 越前北庄

 越前北庄城。

 かつて、越前一向一揆を討滅し北陸平定を任せられた柴田勝家が居城として築いた城である。

 以前にも、北庄と呼ばれる城はあったが今ほどの規模ではない。

 この時の北庄城は5階9層もの巨城であり、安土城と比べても見劣りしない。

 まさに、織田家の古くからの重鎮である柴田勝家に相応しい城といえた。


 その城の一室で、勝家は妻のお市の方と酒を飲み交わしていた。

 酌をする者もいない。お市の子供らもいない。夫婦水入らず、ともいうべき状態だった。

 だが、勝家の顔は決して晴れやかなものではない。


 かつて、「鬼柴田」、「瓦割り柴田」などと恐れられ、織田家の筆頭家老として長らく君臨していた男だけの事はあり、多少の老いこそ見られるものの、一瞥しただけで他者を圧倒する強面の持ち主だった。

 だが、その顔に苦々しげなものが浮かんでいる。

 酒を何度も呷っているが、まるで美味そうに飲んでいない。


「そのように飲まれては、折角の酒がもったいないですぞ」


 一方の酌をするのは、勝家の正室であるお市の方だ。

 この時、既に齢は30を超え、40にすら近づいていたがその美貌にまるで衰えは見えない。かつて、実兄・信長ですら魅了したという美しい顔立ちのままだ。


 信長の妹として生を受け、近江浅井家に嫁いだ。だが、その浅井家が信長包囲網が敷かれた後に織田と決別。

 それに激怒した信長の軍勢と、何度も干戈を交えるが小谷城攻防戦において遂に城は落城。

 夫・長政や子の万福丸らは自害、あるいは織田によって殺されていた。


 その後は、尾張清州城において信長の弟である織田信包の庇護を受けていたが、今は信孝の仲介によってこの勝家へと嫁いでこの北庄城にいた。


「そうです、な……」


「そのような言葉遣いはやめてくだされ、と常々言っているではありませぬか」


 そう言ってお市は妖艶に笑う。


 かつての主君・信長の実妹であり、しかも現主君・信忠の叔母といえども自身の妻となった女性だ。本来であればここまでかしこまる必要がない。


 だが、顔立ちのみならずその気性まで強く信長の面影を見る事のできるこの女性を相手に鬼柴田といえども強く出れずにいた。


「うむ……」


「それで、以前の件は考え直していただけましたか」


「ぬ……」


 途端に、勝家の顔の渋いものが浮かぶ。


「お方様……。いや、お市よ」


 決意したように、勝家が言う。


「何故、そのような事を儂に言う。そのような大それた企て、一度実行してしまえば後戻りはできん。間違いなく、織田家は混乱する。場合によっては、織田家そのものが歴史の表舞台から消えてしまうぞ」


「それでも構いませぬ」


 お市はあっさりと言った。


「そちは上様を好かんのか」


「それは、亡き兄の事ですか? それとも甥の事ですか?」


「どちらもじゃ」


「好きませぬ」


 あっさりとお市は答えた。


「我が兄は、かつて長政公の命を奪いました。それだけでなく、まだ幼かった万福丸の命ですら」


「だが、娘達三人は手厚く保護をしていたではないか」


 勝家の反論に、お市は眉を顰め、


「自身の血筋という事で利用価値があったからでしょう。女子であれば、御家再興の軍を興す事もありませんし」


「……」


「信忠も信雄も好きませぬ。信忠は、兄の方針を貫こうとしておりますし、信雄は兄と顔が似ております。それが気にくいませぬ。その度に、兄の事を思い出す羽目になりますゆえ」


 吐き捨てるような口調だ。


「今、貴方様を差し置き、織田家筆頭家老として振る舞うあの禿鼠も気にくいませぬ」


「秀吉か……」


 そこは勝家も同意だったらしく、眉の辺りがぴくりと動いた。


「あの男は、小谷攻めでわたくし共の籠る城を攻めました。しかも、その恩賞として浅井家の旧領を受け取り、わたくし達の思い出の地である小谷城を破却してしまいました」


「……」


 それは、別に秀吉に悪意があったわけではなかろう。

 浅井家と違い、いつ出陣命令が下るか分からない織田家ではすぐに兵を動かせない山城は不便と考えただけだろう。

 そうは思ったが、勝家は口に出さなかった。


「朝鮮攻めでは、信忠が総大将を務めるようですが信忠の渡海の時期はまだ決まっておりません。つまり、それまでは第一軍の大将として渡海する予定の秀吉がこれまでの実績から言っても実質的な大将という事になりましょう」


「……」


「それに対し、貴方様の役目は名護屋での留守役。渡海の予定はありませぬ」


「儂も歳だ。上様の恩情であろう」


 勝家はそう言うが力はなかった。

 織田家中で自身の影響が弱まっている事は、勝家自身が敏感に察していたのだ。


「そうでしょうか」


 だが、勝家の言葉をお市はばっさりと切り捨てる。


「信忠は、単に貴方を軽んじているだけなのではないでしょうか」


「……」


 あまりといえば、あまりの物言いにさすがの勝家も押し黙る。

 すぐに反論の言葉の出てこない勝家に叩きつけるように、


「兄が死んで以降の織田家は、実質的に秀吉によって仕切られております。本来の筆頭家老だったはずの、貴方様を差し置いて」


「そんな事はない。関東征伐や九州征伐でも、上様は我らの功績を認め、恩賞を宛がって下さった」


「されど、秀吉と比べれば微々たるものではありませぬか」


「……」


 それは、事実であった。

 今や、秀吉は純粋な石高では織田家随一となっている。それに対し、勝家の方はいくらか見劣りする。また、勝家もそれなりに交友範囲は広いが、秀吉のそれは勝家をはるかに上回っている。

 彼を父のように慕う、備前岡山の宇喜多秀家などを筆頭に親秀吉派の大名は多い。


「よろしいですか」


 一呼吸おいてから、お市は続ける。


「貴方様が、再び織田の筆頭家老に返り咲き、憎き秀吉を屠るにはこの計画に乗るほかないのです。 ……どうか、ご決断を」


「……」


 勝家は、黙って杯を口元に運んだ。

 そのまま、数秒ほど停止し、


「……悪いが、ここからは一人で酒が飲みたくなった」


 とだけ言った。

 それを聞いてもお市は怒る事なく黙って立ち上がった。


「わかりました。それでは、わたくしはここで失礼を」


 ですが、とお市の方は付け加える。


「残念ながら、貴方様の年齢と秀吉の年齢は十数年の開きがあります。決断するのであれば、早い方がよいかと」


 そう言い残すと、お市の方は退室する。

 広間の一室には、勝家一人がぽつりと残されたのだった。

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