245話 最終決戦7
「……殿」
片倉重長が、伊達政宗に声をかける。
「うむ。敵襲か」
立ち上がり、腕を組んだまま訊ねる。
「はい。小勢のようですが、完全に不意をつかれました」
「敵勢はどこの誰だ?」
「指物などから、おそらくは脇坂勢と鍋島勢かと」
「確か、脇坂も鍋島も大坂の陣ではさして目立った戦果はなかったな。ここで点数を稼ぎに来たか」
ふむ、と頷きながら顎に手を当てる。
「……殿。よろしいのですか?」
「何がだ?」
「そのように構えられてです。もし、殿に万が一の事があれば……」
重長は、なおも悠然とした姿勢を崩さない政宗に訊ねる。
「焦ったところで良い事などない。総大将が浮足立てば、一気に全軍に動揺が広がる」
正確にいえば、政宗は総大将ではない。いかに実質的にはどうであれ、これは名目上、徳川家光と徳川忠長の兄弟による争い。
しかし、重長はそこに異論を挟む気はなかった。
「ですが殿、このままでは……」
戦の喧騒が、ここにまで聞こえてくる。
怒声や銃声。派手に武器と武器がぶつかりあう音も聞こえる。
「全く。婿殿もそうだが、お前ももう少し落ち着きを持て」
政宗は苦笑して言うが、重長は政宗の家臣として安心する事はできなかった。
「万が一とはいえ、将軍のような――秀忠様のような事があっては、我が伊達家も」
ここまで二分する戦に発展したのは、二代目将軍である徳川秀忠の急死がきっかけだだ。
無論、前々から政宗は準備を進めてはいたが、忠直の乱心にがなく秀忠が健在なら、ここまでの状況にはならなかっただろう。
だが、それでも政宗は悠然と腕を組んだままこんな事を言いだした。
「しかし、せっかくの鉄砲騎馬隊や大量に用意した大筒を活かせんとは残念だな」
関ケ原の戦いにも投入した鉄砲騎馬隊を、今では1000人ほどまで運用可能になっていた。
今は渡河が可能な水量とはいえ、川を挟んでの戦いでは、十分に生かす事はできない。
大筒や鉄砲を、大久保長安の黄金を用いて相当な量を購入していた。さらには、煙硝も大量に用意した。謀反の疑いをかけられないよう、幾多にも分散させて密かにだ。
だが、大筒も鉄砲も、城攻めで主役となる。事実、大坂の陣では幕府の用意した大量の大筒、さらにはイギリスから購入したカルバリン砲などが絶大な威力を発揮していた。
「それに、思ったよりも敵の士気が高い。ただの烏合の衆だと思っておったが、大御所様の側近連中が、うまい事まとめあげたか」
「殿、でしたらなおさら……」
なおも、自軍が不利である事を分析する主に、重長は不安げに問う。
「慌てるな」
だが政宗は両腕を組んだまま、戦場から視線を逸らさない。
「多少は不利だが。それだけだ。儂は負けん。この戦、必ず勝つ」
絶対的な自身を失わないまま、政宗は力強く言った。
互角に見えた立花勢と福島勢の戦いだったが、やがて福島勢が押し始めていた。
特に、勇猛果敢に戦っていたのは正則配下の、可児吉長だった。
既に老齢ではあるが、未だに前線に立っている。
「やれ、やれーっ!」
槍の蕪巻は既にどす黒く変色しているが、未だに吉長の勢いは衰えていない。
……大坂の方の戦から外された時は、殿を恨んだが。
内心で呟く。
彼は、福島軍を率いていて大坂城を攻めた正則の子・忠勝には同行していなかった。
老齢を理由に、江戸城に留め置かれた正則の護衛として江戸にいた。
そのため、不満も溜まっていたが、その鬱憤を晴らす機会が巡って来た。
だがそれでも、全盛期に比べれば勢いは劣る。
そのため、家臣達は不安そうな顔をしているが、何も言えない。
家臣達も苛烈な吉長の性格を知っている。下手に気遣うような発言をすれば、逆に怒りを買う。止める事はできないのだ。
「ふんっ!」
再び槍の穂先が敵を貫く。
それでいながら、隙を見せない。
「他愛もない! 西国無双とやらもこの程度かっ」
そんな嘲りの言葉に、奮起したのか、立花勢が盛り返す。
「お前達、何をやっているのだっ」
叱咤するように、家臣達を鼓舞しているのが宗茂の家臣である十時連貞だった。
連貞は、宗茂が流浪時代にも付き従っていた重臣。
それだけに、不甲斐ない戦いぶりを見せる配下の兵達が許せなかった。
「殿に恥をかかせる気か! 死ぬ気で戦え! さもなくば、儂が叩き斬ってやるぞっ」
そんな言葉に立花勢も盛り返しを見せる。
福島勢の勢いに飲まれ、どこか逃げ腰になっていた兵達が再び立花勢達に向かっていく。
「ふん。少しは気力が戻ったか。だが、その程度で儂の首は捕れんぞ」
挑発するように言う吉長に、立花勢が殺到する。
槍の穂先が、立花兵に向かう。この戦だけでも、既に幾度も血を吸っている。だが、構う事なくその槍を動かした。
生涯現役で戦い続ける気でいた吉長ではあったが、さすがに身体の衰えを実感していた。
場合によっては、この戦が最後になるかもしれないと。
……だが、雑兵風情にはくれてやらん。
にやり、と口角を釣り上げると次の獲物を求め、吉長は戦い続けた。
五分五分の戦いをしていた松倉勢と明石勢だったが、そこに高山勢も加わって松倉勢を押し始めた。
駿府方も、寺沢広高の軍勢が加わってくる。
それでも、明石・高山勢が優勢であり、松倉・寺沢勢は押され気味になった。
その不甲斐なさに激怒した、松倉重政が怒鳴りつけるように言った。
「何をしておるかっ」
配下達も勿論、手を抜いているわけではない。
だが、それでも敵の勢いは凄まじく抑えきれなかった。
見たところ、松倉・寺沢勢の旗指物の方が多く倒れているように見える。
「不甲斐ない奴らめ、儂に続け!」
激怒したまま、重政自らが強く馬腹を蹴り、敵陣に向かっていく。
それに感化されたように、松倉勢も勢いを取り戻した。
「殿に続け!」
「長らく武士をやめておったような、連中に遅れを取るなっ」
配下の将達も、口々に配下を鼓舞し、進んでいった。
重政が勢いよく、明石勢へと突っ込んでいく。
これまで松倉勢を飲み込まんとしていた明石勢だが、逆にその勢いに押され気味となる。
「いけ、いけーっ!!」
気が付けば、重政に付き添う兵の数も減ってきている。
だが、それでも重政は突っ込み続ける。
全身に返り血を浴び、なおも進む。
「松倉重政! 行長様の仇、取らせてもらうぞ!」
そこに現れたのは、小西行長の旧臣である益田好次だった。
「何を、小癪な!」
重政は苛立った様子で、手綱をさばく。
激戦を潜り抜けただけあって、重政の乗る馬も血まみれの状態だ。
その馬に、背後から槍が突きつけられた。
どうやら、明石勢の兵が死んだ振りをして機を伺っていた者がいたらしい。
「うおおっっ!!」
勢いよく、落馬する重政に、明石兵が斬りかかる。
「おの、れ……!」
それに対応する重政。
何とか主を守ろうと、松倉の兵が駆け寄ろうとするが、既にその数は少ない。
勢いよく襲い掛かる明石勢の前に、さらにその数を減らしていく。
「覚悟っ!」
「くっ!」
ついには、致命傷となる一撃が与えられる。
重政は朦朧とした意識のまま、前を見る。
だが、視界が血で塞がっており、はっきりと映し出してくれない。
次の瞬間には、好次によってとどめの一撃が加えられた。
「松倉重政を討ち取ったぞ!」
その宣言するような言葉が、戦場に響いた。




