241話 最終決戦3
伊達政宗を総大将とする江戸幕府軍は、行軍の途中だった。
そこで、斥候からの報告が来た事で最寄りの寺で軍議を開く事にしていた。
伊達政宗の傍らには片倉重長を中心とした、伊達家臣団。
松平忠輝の他、前田利長、丹羽長重、福島正則ら外様大名も集っている。
「敵勢が駿府城を出立しようとしている」
忠輝が口を開いた。
総大将としての地位こそ、政宗に譲ったものの、未だに不満を燻らせている事が伝わってくる。
この軍議も自分で仕切りたがっている様子だった。
「我が甥の忠長を中心に、7万5000だそうだ」
「我らは6万、1万以上の差があるな」
「だが、そこまで大きな差ではない」
結局、豊臣秀頼らの中立寄りの外様大名が動く事はない、そう報告がきていたが、不安を持っていた者は少なくない。
豊臣だけでなく大坂織田家、それに今は中立を保っている大和織田家の方にも目を光らせていた。
不穏な動きがあれば、すぐに動けるようにと。
「敵勢はどう動くのだろうか?」
「出撃の構えを見せておるというが、それは見せかけだけだろう」
「というと?」
忠輝の言葉に、政宗は先を促す。
「駿府城に籠って、外様大名連中の後詰を待つであろう。敵は数では勝るとはいえ、時間が経てば動向が不明の外様大名が後詰として駆けつけてくる可能性もある。ましてやあの駿府城は父上が全国の大名に命じて大幅に修築した天下の名城だ。人数に差があり、後詰の見込みあり、駿府城は堅城ときている。籠城策が上策だな」
「では、出撃の構えを見せたのは?」
「ある程度の兵を出せば、こちらの動きも慎重になる。本気で激突する気はなかろう。しばらく経てば兵を引いて大半の兵を駿府城へ篭らせ、外様大名連中の後詰を待つ気だろう」
忠輝の言っている事も的外れというわけではない。
しかし、政宗としてはその可能性は低いと考えていた。
そして、それを自分では説明しない。これ以上余計な反感を買われたくないからだ。
福島正則に目配せする。
……あれだけの恩賞を約束してやったのだ。憎まれ役ぐらい引き受けても良かろう。
正則も伝わったらしく、口を開いた。
「残念ですが、その可能性は低いでしょうな」
「何故だ?」
案の定、不満そうに顔を歪める。
「そのように消極的な姿勢を見せてしまえば、今は日和見を決め込んでいる外様大名も駿府の連中が不利だと見限ります。後詰に駆けつけてくる可能性はさらに減るでしょう」
「確かに」
利長も同意して続ける。
「駿府方の立場になって考えるのであれば、とにかく我らを一度は打ち破り、正当性以上に実力を示したいと考えるでしょうな」
「うむ。やはり直接強さを見せられれば、中立を気取っている連中も揺らぐ」
長重も正則や利長の意見に頷いている。
「……では、やはり駿府の重臣連中は籠城する事なく、野戦で我らの軍勢を打ち破る気でいると?」
忠輝も、外様大名達に相次いだ反対意見が出た事により、考えが揺らいでいるようだ。
「その可能性が高いでしょうな」
「……なるほど。皆の考えも最もかと」
政宗が総大将として、最後を締めくくるように言った。
「では、やはり連中は我らと一戦交えると?」
「はい。おそらく決戦地は箱根、富士川、薩埵の何れかでしょう」
駿府幕府の重鎮と同じく、このどこかが決戦の舞台に相応しいと政宗も考えていた。
「むう……」
忠輝もそれ以上は反論する事なく、黙り込んだ。
それを見て、政宗は続ける。
「そういうわけで、改めて議論していきたい」
だが、とここで視線を明石全登へと向ける。
「その前によろしいか、明石殿」
「何でしょうか」
「以前にお頼みした件についてなのだが」
「その事でしたら、順調です。十分な食糧が集まっているかと」
「何の事だ?」
話を進める二人に、忠輝が怪訝そうな表情をする。
「実は明石殿や高山殿に、信者達に食糧を集めて貰えるよう頼んでおいたのです」
今回の大坂攻めの為に、幕府は多くの食糧を大坂に集中させた。
占拠した江戸城にもそれなりの量は残ってはいたが、数万の兵を数か月、場合によっては年単位で食べさせるには心許ない。
もちろん、伊達家や江戸方についた大名達の領国からも持ってこさせているが、それでも不足がちだった。
そこで、キリシタン達の間で伝説的な存在でもある二人の名の元に、信者達から食糧を提供させた。
二人の名前の影響力だけでなく、「キリシタンの国をつくる」という政宗の言葉も強く影響していた。
駿府幕府が勝利すれば、秀忠政権時代の方針が概ね継承されるだろうし、禁教令も厳しいものになる可能性が高い。
故に政宗の勝利を願っていた。
そんな事情もあり、信者達による食糧の提供は善意だけでなく未来への投資という意味合いも強かったが、今の政宗にはありがたかった。
「ふむ。それならば、だいぶ助かるな」
それを正則も興味深そうに聞いている。
食糧の総量に関しては、駿府方が優位と考えていただけに、これは嬉しい誤算といえた。
「早くに終わらせれば、そんなものに意味はないがな」
一方の忠輝は面白くなさそうだ。
政宗が何の相談もなく、勝手に計画していた事が気に食わないのだろう。
「無論、そうです。ですが、長期戦になる可能性は高く、決して無駄にはならないかと。武器もそうですが、食糧はいくらでも必要です」
政宗が諫めるように言う。
「そうだといいがの」
不貞腐れたように言うと、そっぽを向いてしまう。
……全く、婿殿も面倒な御方になってしまったな。
再び機嫌を損ねた様子の忠輝に、政宗は内心で溜息をついた。
今のところ、三代将軍・家光の後見人としての地位と相応の加増という餌で釣ってはいる。
しかし、それでも忠輝は不満そうにしている。
家光が成人するまでの間は将軍の椅子に座らせてやろうかとも思ったが、やはり頂点に立つのは家光であるべきだ。
忠輝よりも、旗印としての価値は高い。
……だが、今更、駿府方に寝返る心配はないだろう。
こちらの用意した餌よりも、美味な餌を用意できるとも思えない。
あちらには徳川御三家がいるため、駿府幕府は彼らへの配慮する必要があった。
「……とにかく」
そんな微妙な空気を振り払おうように、片倉重長が言う。
「現状、集めた食糧は江戸の港に集結させました。長引けば、海路での輸送も可能です」
「海か……。敵の水軍の方は大丈夫なのですかな?」
正則が懸念を示した。
幕府水軍は、大坂での戦いの被害はほとんどない。
大半はそのまま駿府幕府に着いている。
政宗も独自の水軍を組織していたが、規模も装備も幕府のものと比べると大きく劣る。
「それに、敵の船はエゲレスやオランダから買った大筒を据え付けていると聞くが。大坂での戦いでも見て来たが、凄まじいものだったぞ」
長重も懸念を示す。
大坂攻めでも使用した、イギリスから購入したカルバリン砲などはそのまま駿府幕府に残っていた。
江戸幕府の方は、北陸や東国の大名が中心という事もありそういった南蛮との交易に頼る必要があった武器の数は少ない。
「確かに、その点では我らは遅れをとっておりますな」
政宗は素直に認めたうえでしかし、と続ける。
「大半はまだ大坂周辺に留まっているようです」
大坂方面へと潜入させている、黒脛巾組からの報告である。
駿府幕府も一枚岩ではない。
そして何より、西国大名や大坂織田家への警戒もあり、迂闊に動かす事ができず、この時点で駿府に戻った軍船は少なかった。
「では、問題はあるまい」
これでこの日の軍議は、一旦お開きとなった。
そのままゆっくりとした速度で進軍は続く。
敵勢の情報も入って来た。
「決戦の地は富士川になりそうだな」
政宗は言った。
この時、傍らにいる片倉重長が答えた。
「はい」
「いよいよ、か。数日のうちに儂らの運命も決まる」
ギラリと隻眼を政宗は光らせる。
「人数では多少劣っているが、そこまで大きな差ではない。駿府の軍勢で指揮を執っているのは、大御所様や亡き上様ではない。儂は負ける気はない」
「ははっ……」
重長は同意するように頷いてから、続ける。
「それにな、今朝方、大坂方面にいる黒脛巾組から別の報告もあった」
「別の報告?」
「西国大名連中が動く可能性は低いとな。大和織田家の方は少し不安があったのだが、結局は中立を決め込んだようだ」
「ほう、それは祝着」
「うむ、これで最後の懸念事項も消えた」
ふっふっふ、と政宗は口元から笑みを漏らす。
「少し危ない事もあったがの。お主の父の最後の仕事のお陰じゃ」
「父が何か……?」
「その件に関してはまた話してやる。今は、この戦が優先じゃ。我が武力を持って、駿府の連中を成敗し、儂の目的を成就させてみせる」
そう言ってから、おっと、と表情を改める。
「迂闊な事を言ってしまったな。儂のやるべき事は、上様――家光様を補佐し、天下を乱す逆賊を成敗し、徳川幕府に安定を齎す事であったな」
「殿。今更、そのように取り繕わなくても……」
重長は呆れたように言うが政宗は真面目な顔で、しかしわざとらしい口調で続けた。
「何を言う。儂は今後も幕府に忠実な家臣。それは変わらぬよ。ただし、今後は少しばかり幕政に口を挟む事が多くなることと、儂や伊達家の意見が通りやすくなる程度よ。何せ、全てを決めるのは家光様ゆえな」




