240話 最終決戦2
最初の戦いともいうべきものが、伊達領の国境で行われた。
鳥居忠政の軍勢が攻め込んだのだ。しかし、伊達の留守部隊は、積極攻勢に出ない。
そんな中、奥平の援軍も加わった。
どちらも決定打がないまま、睨み合いが続いていた。
そんな中、伊丹城の一室。
元々、和睦の条件の中に織田領からの撤退が、条件としてあった。
この場合の「織田領」というのは、原則として戦前の状態のものであり、開戦後に占拠したこの伊丹城も含まれているはずだった。
にも関わらず、豊臣秀頼らはここから離れようとしない。
その秀頼の元に、土井利勝が訪れた。
秀頼の傍らには、毛利秀就、小早川秀秋ら有力大名らもいる。
「随分と久しぶりになりますな」
開口一番に利勝が言った。
これは、もっと前から話し合いの場を設けようとしていたのだが、秀頼らは体調が悪いなどと誤魔化し、それを先延ばしにしており、その事を皮肉っての発言である。
「体調は良くなったのですか?」
「まだ、気怠く感じる時もありますが……」
幕府重鎮からの鋭く重い視線を受け、秀頼はつい視線をそらしてしまう。
「それはお大事に、と言いたいところではありますが、現状ではそのように言ってられない状況です」
「それはその、分かっているのですが……」
秀頼の返しは弱々しかった。
秀吉時代の豊臣家ならばともかく、今はただの一大名に転落している。幕府の最高幹部ともいえる利勝に抗うのは厳しい。
それでも石高でいえば、利勝は4万石程度に過ぎない。秀頼の1割にすら満たない数字だ。
しかし、その利勝に秀頼は気圧されていた。
「何故、兵を出されないのでしょうか」
「大坂の陣での痛手から未だ立ち直っていないもので……」
「苦しい言い分ですな」
利勝は辛辣な口調で返す。
「この伊丹城に残った大名の中で、特に大きな痛手を受けたといえる大名はありませぬ」
事実だった。
ここに集った西国大名は、大坂の陣での犠牲者は少ない。
加藤清正が没しているが、討ち死にしたわけではないため、配下の軍勢は健在だった。
「だというに、何故、東に向かわぬのですか」
「……」
秀頼は視線を漂わせる。
何か口にしてしまい、言質を取られる事を恐れているのだ。
現時点で、駿府と江戸、どちらが勝つかは読めない。
下手な態度を取り、駿府側が勝つような事があれば、間違いなくその報復を受ける。
「それとも、政宗から何やら唆されているのではありますまいな」
利勝の指摘に、どう答えるべきかと秀頼は迷う。
事実だったのだ。
伊達政宗から、領国の大幅の加増を条件に誘われていた。
「土井殿」
そんな秀頼を見かねたかのように、秀秋が口を挟んだ。
「我らも即座に東へと向かいたいのだが、長陣が続いていたため、兵達にも疲れがある」
「左様。大坂の陣での被害もある以上、すぐにはできませぬ」
秀就も、それに続いて言った。
だが、利勝もそんな言葉で引き下がるわけがなかった。
「それはどの大名でも同じ事、駿府城に向かった者達は勿論、叛徒に組した前田や丹羽も同様のはず。自分達だけは特別だと思っておられるのか」
「そのような事は……」
秀頼は言い淀む。
その後も利勝の辛辣な、攻めるような言葉は続く。
結局、秀頼は反論する事はできなかった。
しかし、何一つ言質を取らせるような事もなく終えた。
利勝との会話が始まった時はまだ昼過ぎだったが、利勝が去った後には既に夕刻になっていた。
秀秋と秀就も退室し、残されたのは豊臣家臣団だけとなる。
「……あれで良かったのか?」
秀頼が呟くように言った。
「はい。御立派でした」
先ほどまで、言葉を発する事なく控えていた大野治長が答える。
「この状況下で、下手な事を言うべきではないかと」
石田三成も同意する。
「うむ。分かってはいるのだが……」
秀頼の顔に、安堵の色はない。
幕府の重鎮相手に、心が休まる時はなかった。
今ですら、何か失言でもなかったかと不安でならないのだ。
ここで、三成は小声になる。
「大坂の織田秀信にも、政宗は誘いをかけているようです」
「そうか」
想定内の事だったらしく、秀頼の言葉に驚きはなかった。
「大坂も、迷ってはいるようですが、我らが動いたとなると、間違いなく秀信も幕府の和睦を反故にしてでも、動くでしょう」
「……うむ」
相槌を打つように、秀頼が頷く。
「倍近い加増を約束した江戸幕府に対し、駿府幕府は今のところ、具体的な恩賞は提示しておりません」
損得の問題だけでなく、心情的な問題でも三成は江戸幕府寄りだった。
駿府幕府の方が、家康・秀忠政権の重鎮が揃っている。
豊臣秀吉を屠り、豊臣を弱体化させた徳川家に味方するよりは、それを傀儡とするだけの伊達の方がましだと考えていた。
「石田殿」
そんな感情もあり、江戸幕府方に着く事を露骨に勧める三成を咎めるよ
うに言った治長に対し、三成は言われるまでもないと言わんばかりに返す。
「確かに今のところ、すぐに動くのは危険かもしれません。ですが、少しでも均衡が崩れれば、すぐに動くべきでしょう」
同時刻。
秀頼達のところに行く事もなく、交流も最低限にすませている大名がいた。
薩摩の島津忠恒だった。
将軍・徳川秀忠が討ち取られる切っ掛けの一つとなったのは、彼の元で起きた謀反騒ぎであり、間接的にではあるが原因の一つでもある。
そのため、顔を出しにくいという事もあった。
「……全く。困ったものだ」
そんな中、忠恒は目の前の男――金剛秀国に愚痴るように言った。
元々、秀国と親しいわけではない。
だが、旧豊臣系列の大名が多いこの場所では、気を許せる数少ない存在でもあった。
「そうですな。ですが、このままというわけにはいきますまい」
「そうよな。上様には恩があるが、家光様や忠長様には特にないからの」
「まあ、それは私も同じではありますが」
元々、家名の存続と自領の守護が大名にとっては何よりも肝心なのだ。
「ですが、伊達政宗は徳川幕府の乗っ取りを考えている事は明白。己の野望のための、家光様の擁立でしょう」
「うむ。当然、政宗などの為に戦ってやる義理はない」
しかし、と忠恒は続ける。
「話を聞く限り、勢力は拮抗している。ここで、一つでも大大名がどちらかに加勢すれば、話は変わるかもしれん。今は日和見を決め込んでいる外様大名の態度も変わる」
「そして駿府、あるいは江戸に大きな恩が売れるというわけですか」
「そうだ」
忠恒も頷く。
「……どう思う?」
「今のところ、どちらの勝ちもありえる状況かと」
「すると、儂らのような立場の者にとっては最も困るという事か」
そう言って忠恒も笑う。
秀国も笑い返す。
「今のところ、どちらからも誘いの書状は来ているが、江戸の方が気前のいい事を言っておるのう」
「我らのところに来たものも同様です」
「すぐに味方するのであれば、九州の中で好きな国を一国やるといってきおった」
「一国ですか。こちらは半国ですがな」
「それでも十分であろう」
そう言って忠恒も笑う。
島津は現時点で、金剛よりも倍以上の所領を持つ。
報酬に差が出るのは当然といえた。
「ですが、気前が良いという事はそれだけ江戸の方が追い詰められている、ともとれますな」
「うむ。だからこそ、大して縁のない儂らにも気前よく好餌で釣る。というわけか」
「はい」
秀国も頷いた。
「やはり、すぐに動くのは危険かもしれんな」
その後も話し合いは続いていくが、段々と本題から逸れた雑談へと変わっていった。
結局のところ、現時点で即座に駿府に味方する理由も、江戸に味方する理由も出てこない。それがある者ならば、とっくに駿府か江戸に集っている。
「囲碁でも打つか」
「そうですな」
大事な事はすでに一通り終えたと判断すると、小姓に命じて碁盤を運ばせてきた。
秀国が黒石を盤面に置いた。
続いて、忠恒が白石をうつ。
黒と白の碁石を交互に置く音だけが部屋に響いた。
「……それで」
「ん?」
一旦、置きかけた黒石を掴んだ手を秀国は止める。
「損得の問題は別にして、貴殿の感情としてはどちらに味方したいのだ?」
「……」
暫し間があってから答える。
「駿府ですな。そちらの方が、親しくする者は多い」
黒石がようやく置かれた。
「そうか。儂も同じじゃ」
忠恒はすぐに白石を置く。
やがて、二人の間に言葉はなく、白と黒の石が交互に置かれ続ける。
「ほれ。これで、終わりじゃ」
忠恒が最後に、白石を置く。
「……お見事」
盤面を見渡した秀国が感嘆したように言う。
勝負は決したのだ。
「この戦も、この囲碁のようにいけば単純なのだがのう」
そう最後に呟くように言った。




