239話 最終決戦1
駿府城では、軍議が開かれていた。
最上位の席には、徳川忠長がいる。
だが、まだ少年でしかも戦経験などないに等しい。
軍議の開始時に型通りの挨拶に応じて以降、口を開く事はなかった。
「箱根、富士川、薩埵峠。おそらく、このうちのいずれかで戦うべきではないかと」
安藤直次が駿府城と江戸城の間にある、主要な戦場候補を告げた。
「うむ」
他の武将達が頷く。
「確かに箱根は、かつて織田信忠公の北条攻めの際、防衛地点とする計画が北条氏直らにはあったというが……」
「ですが、箱根では少し遠すぎませぬか?」
箱根決戦論に、否定的な空気が漂う。
「では、薩埵峠は?」
直次が発言した。
「薩埵峠か……」
正純が薩埵峠での迎撃策に、難色を示した。
「まずいでしょうか?」
そう言いながらも直次も、あまり良いとは思っていないようだ。
「そういえば、武田が今川領を求めて駿河に侵攻した際にもそうなりましたな」
ここでふと、思い出したように言った。
薩埵峠は、かつての武田軍による駿河侵攻で戦場となった事があるのだ。
「その事に関して、軍議が始まる前に今川直房を通じて祖父から話を聞いておいた」
今川直房は、今川氏真の孫。
この時、徳川秀忠に仕えておりこの駿府城にもいた。
そして、氏真はこの時点でまだ健在であり、武田軍の駿河侵攻時の当事者として数少ない生き残りでもあった。
「確かに、薩埵峠を抜かれた事は、今川軍にとって大きな誤算だったようだ。しかし、その際は我が徳川家や武田軍による切り崩し工作によって、今川軍が内部から崩されていたから。そのまま迎え撃っていれば、どうなっていたか分からん」
だが、と正純は続ける。
「この駿府城との距離が近すぎる。難所ではあるが、抜かれてしまった場合の事を考えると、不安だな。一気に駿府城を囲まれてしまうかもしれん。それに、当時の今川家は長期戦になれば北条の援軍が期待できたが、我らはむしろ逆だ。長引けば、中立を保つ外様大名達が反旗を翻す恐れもあるし、大坂の御仁が和睦を反故にするかもしれん」
「そうですな。 ……とすると、富士川で決戦を」
「うむ。富士川といえば、大御所様が尊敬する源頼朝公が平家の軍勢と戦ったという場所でもあるな」
正純が頷く。
かつて、源頼朝が平清盛の嫡孫である平維盛と富士川で戦いこれに見事に勝利している。
「では、富士川で決戦か。一気に兵を繰り出し、叩きのめすとしよう。各々方、何か意見は?」
これまで、ほとんど意見を出す事のなかった外様大名達に正純は声をかける。
意見を求めたいという思いもあるが、幕府首脳陣のみで独裁的に仕切り過ぎてしまい、反発を招くのを防ぐためでもあった。
特に将軍・秀忠が討ち死にした現状であっては、猶更だ。
残念ながら忠長では秀忠のような求心力は望めない。
外様大名達は、顔を見合わせる。
暫し経ってから、佐竹義宣が発言した。
「一つ、よろしいですか」
正純が頷いたため、義宣が「では」と続ける。
「富士川で戦う事になったとして、本多殿は兵を出して叩きのめすと言われましたが、無理に行く必要はないのでは?」
「……どういう事ですかな?」
正純が聞き返す。
「現状、我が軍の方が人数では勝っているとはいえ、敵には戦上手が多い。勝てぬ、と申す気はありませぬが、相当に厳しい戦いになるかと。それよりは、現状を維持した上で、改めて各地から兵を集めてから挑んだ方がよいのではないかと。さすれば、兵数では圧倒的な状態になり、今は日和見を決め込んでいる大名達も、いずれは上様の元に馳せ参じて来るかと」
現状、ここに集った大名達には国元にある程度の兵が残っている。
彼らが集まれば、人数はさらに増えるだろう。
「それらも一策ではありますな」
正純も一度そう頷くが、
「だが、その場合、国元の兵が少なくなり、手薄になったところを政宗に組した叛徒らの大名に奪われるかもしれん。何より、時をあまり与えると奴らも同じことをしてくるかもしれん」
そう否定的な言葉を出す。
「それでは、勅令を頂き、我らの正当性を知らしめるべきでは?」
次に発言したのは鍋島勝茂だ。
伊達政宗らを朝敵にしてしまえば、中立勢力も一気にこちらに引き込めるだろうという考えからの発言である。
東国の大半が敵になり、西国が不穏な動きを見せる現状であっても、京の都を中心とする畿内は駿府幕府が抑えているのだ。
「それも難しいかと」
だが、直次が首を左右に振る。
「現状、政宗らは朝廷に対して、敵対行動をとっておりません」
「その通り」
それができるのならばとっくにやっている、と言わんばかりの苦々しい表情を正純はつくる。
事実、そういった考えは京で父・正信や以心崇伝との話で出た事はある。だが、やはりそれは難しいし、無理にしたところで朝廷からの反発を招くだけだろう。ただでさえ、二代将軍・秀忠と朝廷との関係は良くなかったのだ。
それに、大坂方との和睦の件で既に借りを作っているのだ。
「……そうですか、失礼いたした」
発言した勝茂も、大人しく引き下がった。
他の大名らもそれぞれ意見を出し始めるが、有効なものはなかなかない。重苦しい状態が暫し続く。
「――上様」
意見も出尽くしただろうと、正純は新たな「上様」である忠長へと視線を移す。
「うむ」
まだ声変りも終わっていない、高い声だ。
表情にも不安そうな色が浮かんでいる。秀忠の後継者候補として育てられたとはいえ、このような状態でというのはやはり苦しいのだろう。
「皆の者、此度の兄上、そして伊達政宗の所業は許しがたい。一刻も早く叛徒の軍勢を打ち破り、首謀者共を討ち取り、江戸城を奪還せよ!」
それでも、仮にも将軍候補として育てられただけはある。
戦乱の世を生き抜いた武士達を相手に、物怖じする事なく宣言するように言った。
「ははあっ」
武将達も揃って平伏する。
頭を下げながらも、義宣はふと思う。
……少し、妙ではあるな。
正純や直次ら側近達は、短期間での決戦に拘り過ぎている気がする。
事態が長期化する事を嫌っている。
確かに、長期戦になったところで必ずしもいい方向に転がるというわけではない。
大坂方が和睦を反故にするかもしれないし、西国大名が寝返る可能性もある。
だが、逆に駿府幕府側に大名も出てくるかもしれないし、本多親子は以心崇伝はそういった工作を得意としているはずだ。
にも関わらず、最も単純な形での決戦を望んでいる。
……何かあるな。これは。
義宣はそう思うが、今更、伊達政宗が事実上の盟主となっている江戸幕府側に着く気にもなれない。
今は、とにかく手柄をたてて少しでも全盛期の領土を取り戻す事のみを考える事にした。
……我らは我らで、全力を尽くすのみ、か。
そう決意する、義宣だった。
江戸、駿府でそれぞれの決戦準備が完了したのと同じ頃。
伊達秀宗率いる伊達軍の別動隊5000は、越前の北庄城にいた。
彼らは、江戸集結を命じられていない。
松平忠直の越前接収後、畿内に残った幕府軍の逆襲に備えて守りを固めさせていたのだ。
「……もう起きていいのか」
この日、秀宗の前に出て来たのは片倉景綱である。
彼はここ暫く病で臥せっていた。
「はい、もう大丈夫です」
だが、その言葉とは逆に顔色は悪い。
明らかに病は癒えていないのが分かる。
「本当に大丈夫なのですか? そうは見えませんぞ」
秀宗の傍らにいる、伊達成実が訊ねた。
関ケ原の合戦以降、政宗同様に、この景綱とも疎遠になっていたが、亡くなって欲しいと考えていたわけではないのだ。
黄泉路からの迎えが来ているとしか思えない顔色で目の前にいられては、たまらない。
「心配は無用。大凡、引き継ぎはすませたとはいえ、まだやらねばならない事もありますゆえな」
政宗が江戸城にいる関係上、畿内での謀略関連はこの景綱が仕切っていた。
松平忠直による、将軍斬殺から、ああも早い動きができたのも、この景綱の手腕といっても良いだろう。
だが、それも限界がきていた。
「一つ、懸念がありましたが、それも解決しました。それよりも……」
そこで、苦しげに口元を抑える。
「ゆっくりとで構わん」
秀宗の言葉に「では」と一つ息をついてから、改めて話し始める。
「今後の方針に関してです。殿は江戸城を占領し、上様と共に軍勢を西上させる予定です。駿府の軍勢を破れば、後は一気にこちらへと寝返る大名が続出するでしょう。三河や遠江の軍勢は、ほとんどが駿府に集っています。尾張は松平忠吉亡き地、美濃の池田輝政も駿府に集っている以上、ここも問題ないでしょう」
「では、父上の西上にあわせて近江や山城の幕府軍に攻めかかるのか」
「いえ、秀宗様が動くのは、最後にすべきでしょう。我らの軍勢は多いとはいえず、敵勢を抑えるのが限界です。何、殿が西上してくれば、近江や山城の幕府軍など何もできません。下るか、叩きのめされた後、悠々と進軍すれば良いのです」
「……そうか」
そう言われながらも、秀宗は納得できない思いを抱えながらも、頷く。
……私に見せ場を与えたくないのではないのか。
政宗は、異母弟の伊達忠宗に家督を譲りたがっている。
秀宗に対しては、そこまで愛情もなければ信頼もない。
少なくとも、秀宗はそう考えていた。
今回の決起に関しても、重要な事はほとんど知らされておらず、この景綱が仕切っていたのだ。
だが、景綱の行動も伊達家の事を考えてだとは分かる。
ましてや、今の病に侵された顔と体を見て、反発するような言葉は吐き出せずにいた。
やがて、暫し質問が交わされ、景綱がそれに答えてといった事が繰り返された後、
「それでは、そのように……。そして、最後に……」
そう言って、視線をずらす。
「茂庭殿」
ここで、秀宗の傍らに成実同様に控えていた男に声をかけた。
かつて、関ケ原の戦いで謀略に用いた茂庭綱元の子である、茂庭良綱である。
「貴殿には、謝っておかねばならんな。貴殿の父君には、多大な貢献をしてもらった。だが、その代償として名を汚してしまった」
そう言って景綱は頭を下げた。
綱元を豊臣秀吉の元に潜り込ませようと発案したのは、この景綱だった。その成果は絶大。関ケ原の戦いの勝利にも、大きく貢献した。
そして伊達家に帰参した後、豊臣時代よりもさらなる加増は受けたものの、諸大名、特に旧豊臣系の大名からは白い目で見られた。
それは直接、秀吉を討ち取った立花宗茂以上の嫌われぶりだった。
この時代、寝返りは珍しくない。
だが、それは時世を読んで、家名の存続のためにするやむをえないものがほとんどであり、最初から寝返る前提のものとでは与える印象は大きく異なるのだ。
「い、いえ。昔の事です」
良綱は少し驚いたような表情を浮かべて返す。
そしてそれは、成実も同様だった。
直接、景綱がこんな謝罪をしてきたのははじめての事だったのだ。
「そうか、今更と思えるかもしれんが、こうやって言葉を交わすのも最後かもしれんと思うと、言わずにはおれなかった」
「そのような事は……」
「成実殿も申し訳なかった。貴殿も伊達家の重臣。だが、秘密を知る者は一人でも少ない方が成功する可能性は上がる。殿は最初、貴殿にも打ち明けようとしておったが、某がそう言って止めたのだ」
「いや……」
景綱の言葉に、成実も気まずそうに視線を逸らす。
その後、暫しの間があったあと、
「それでは、某はここで……」
景綱はかすかな笑みを浮かべた後、ゆっくりと退室していった。
最後の結末を見れない事に、未練を残しながらも、どこか晴れやかな表情だった。
そして、この夜の事となる。
片倉景綱は亡くなったのは。享年は58。政宗の片腕として、伊達家の主要な戦や謀略のほとんどに関わった男の最期は、その政宗のいる江戸からと置く離れた地での事だった。




