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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
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238話 西進準備

 伊達政宗は、江戸城の一室で上機嫌のまま書状を書いていた。

 現状、日和見の態度を崩していない西国大名らに向けたものだ。


 江戸幕府側の優位を伝えて、こちらにつくように働きかけているのだ。


「殿」


 ここで、父に代わり政宗の側に侍るようになった片倉重長が声をかけた。


「うむ。どうした」


 手を止め、視線を政宗は動かす。


「福島殿の軍勢が到着しました」


「そうか、ひとまずは安心だな」


 福島正則は破格の恩賞を要求されたものの、味方に取り込む事に成功した有力な外様大名だが、彼の兵の多くは大坂にいた。

 だが、北陸の江戸幕府方の勢力圏に入ってしまえば、駿府幕府にそれを阻む力はない。

 その正則配下の兵が江戸城へと無事に到達する事ができたのだ。


「ところで」


 重長の方が逆に訊ねる。


「今はどちらに書いているのですか?」


「今は豊臣秀頼に向けてじゃ。秀頼が動けば、旧豊臣系は動きやすいじゃろ」


「しかし、豊臣家を味方に取り込んでしまえば、福島殿以上の恩賞を要求されるのでは?」


「うむ」


「ならばいっその事、中立でいてくれた方が良ろしいのではないかと」


「それもそうだがな。わずかでも勝率は上げておきたい。戦後に豊臣が膨れ上がったなら、その時になって対処を考えれば良い。今は、目の前の戦の方が遥かに大事じゃ。これに負ければ、儂も破滅は間違いない」


 政宗は真剣な表情で書状を描き続けている。


「確かに、豊臣家よりも徳川家の方が遥かに脅威ではありますが……」


 今、二つに割れて弱体化した徳川家の方が、恩賞を与えて多少力をつけた豊臣家などより遥かに恐ろしい。

 それは重長も分かっている。


「現状では、人数差はだいぶ縮まった。この程度の兵力差であれば、こちらの方が戦上手が多いゆえ、むしろこちらの優位といえよう」


 伊達軍団だけではない。高山重友、明石全登らキリシタン武将、それに福島正則のように戦国の世を潜り抜けた猛者を多く抱える。

 駿府幕府の方にも、上杉景勝、仙石秀久、藤堂高虎ら戦国の世を生き抜いた者らが集っているが、それでも江戸幕府側の方が優位と見ていた。


「それに、大久保長安が着服した黄金で、多くの武器を賄っておる。徳川家も相当な資金を蓄えておるが、我らも負けておらん」


「ならば、やはり無理に取り込まなくともよろしいのでは?」


「それでも、じゃ。この程度の優位、何か一つが間違えば容易にひっくり返される」


 戦経験豊富な政宗らしい意見だった。


「もっとも、儂が寿命で死んだ後、織田や豊臣が大国として残っておれば苦労するのはお前らの世代かもしれんがな」


「殿、そのような」


「戯れじゃ。気にするな」


 ふふ、と笑ってから政宗は続ける。

 続けて、小姓に畿内の地図を持ってこさせた。


「現状、伊丹城を中心に4万の西国大名の軍勢が留まっており、大坂城にも3万の兵が残り、京都の守備に1万、北陸からの侵攻を恐れてこちらにも1万の兵を残しておる」


「大坂城の3万はともかく、残りの6万は駿府方として参戦してくる可能性があるわけですか」


「そうだ。ゆえに、今はこちらの方が優位だなどと考えておってはいかん」


 自分自身に言い聞かせるように政宗は言う。


「現状は様子見をしておるようだが、駿府方の軍勢相手に難儀していれば、考えを翻す外様大名も出てくるじゃろう」


「確かに。その可能性はありますな」


「何より、大御所様が直接赴いてしまえば、小心な西国大名共は一斉に靡くかもしれん」


「大御所様ですか……」


 今なお、公の舞台に出ようとしない徳川幕府の創始者を二人は脳裏に浮かべる。


「うむ。どう思う?」


「どう、とは?」


「大御所様は生きておられるかどうか、じゃ」


 重長の反応を楽しむかのような様子だ。

 重長は、少し考えた後、答える。


「……間者達の報告から、既に亡くなっている可能性が高いのではないかと」


「ほう」


 興味深そうに、政宗は微笑む。


「何故じゃ?」


「ここ数日――いや、実際にはもう少し前ですが――のここ最近になってからの伏見城での様子です」


 伏見城と、この江戸城ではどうしても報告が最新のものであっても時間差が出る。


「ここ暫く薬師や医師達が、伏見城から出ていないとの事」


「うむ。ゆえに、大御所様が重篤だというのか」


「はい。あるいは、亡くなっているのではと。側近連中も、できる限り秘密は信頼のできる少人数で守りたいのでしょうが、医師達は別です。口止めしたところで、絶対ではないでしょう」


「まあ、漏らすつもりはなくとも、儂の配下が捕縛してしまえば、うっかり漏らしてしまうかもしれんしの」


 ククッと政宗が口元を歪めて笑う。


「そうですな。何せ、殿のためにと、ついつい過激な訊問でもしてしまうかもしれませんしな」


 重長もそう笑い返した。

 政宗は真面目な顔に戻って、続ける。


「まあ、そんな事にならんようにと、医師達を伏見城に留めているのじゃろ」


「そうでしょうな。となれば、やはり大御所様は」


「うむ……」


 政宗は頷く。

 その瞳には、強い力が籠っている。


「ところで」


 ここで重長が話題を転じた。


「どうした?」


「何故、殿は未だに大御所様を未だに大御所様、などと呼んでおられるのですか?」


「何を言っている。無礼であろう」


 そう言いながらも、不注意を咎めるような様子もなく政宗の顔は笑っている。


「我らは、徳川幕府に仕える忠実な臣下。今も、三代将軍になられる家光様の為に、身を粉にして働いておる。間違っても、大御所様や二代将軍だった亡き上様を呼び捨てにするような失礼な真似は許されんぞ」


「よくも抜け抜けと……」


 そう重長も苦笑する。


「では、某も注意するとしますかな。我ら伊達家は、大恩ある徳川幕府に仕える外様大名なのですからな」


「その通りだ。その恩に報いるために、家光様に歯向かう叛徒共を粉砕せなければな」


 そう言って、伊達主従は笑いあった。


 大まかな色分けは終わったが、ここで立ち止まる気はない。伊達家単独で天下を取れるなどと、どちらも思っていない。

 一人でも多くの味方を取り込む事が、勝利への近道なのだから。

 政宗は、再び各大名へと送られる書状へと視線を移したのである。


「ですが、殿。この後、上様に呼ばれております。そろそろ切り上げるべきかと」


「分かっておる。だが、もう少し進めておきたい」


 三代将軍として政宗が推す徳川家光から、多大な信頼を勝ち取っていた。

 それゆえに、こうして何度も呼び出しがかかっているのだが、特に用件がなくとも呼ばれているので有難迷惑というのが本音だった。

 だが、無碍にするわけにもいかない。


 それに、家光からの信頼を勝ち取った事で発生したもう一つの問題。


 ……儂に対する上様からの信頼が気に食わんか。婿殿。


 政宗は脳裏に、娘婿の松平忠輝を脳裏に浮かべる。


 ……面倒な事よ。だが、婿殿の抱える軍勢1万5000は必要だ。大御所様の六男という立場もな。


 家光という、もっと良い御輿が手に入った以上、忠輝の価値は急落した。だが、家康の子である事に変わりはないし、抱える1万5000の兵は喉から手が出るほど欲しい。

 伊達政宗がこの江戸城に連れて来た兵は、2万ほど。領国の留守兵は必要だし、残りは子の秀宗に預けて越前に留まらせている。

 江戸城制圧後、駿府城には向かわずに家光に忠誠を誓った徳川家臣団が領国から連れ出した兵が1万。前田や丹羽が、領国から追加増員した兵に加え、こちらに合流した明石全登らの兵、それに福島正則らが呼び寄せた兵、それらが合計で2万ほど。

 江戸城や周囲の警戒のためにも、5000ほどの兵は残す必要があるため、実際に駿府へと動かせる兵は6万ほどだろう。


 駿府幕府は7万5000ほどだと、間者達から報告があった。


 ……将軍が亡くなったとはいえ、楽な戦いを想定していたわけではないが。


 味方に取り込む算段だった、松平忠直の兵がいないのは大きい。


 ……全く、困ったものよ。


 拘束されているであろう、家康の孫の顔を思い浮かべる。

 乱心して秀忠を討ち取ってくれたのは、いくら感謝してもしきれないが、彼の兵がこの場にいればとつい愚痴ってしまう。


 だが、政宗にとって悪い方の誤算ばかりが生じたわけではない。


 下野宇都宮で15万石を領する奥平信昌が、江戸幕府側に味方するといって来たのだ。


 原因は、大坂の陣で討ち死にした奥平家昌にあった。

 家昌は、大御所・徳川家康の間近におり、奮戦の末、討ち死にしている。それは、影武者に代わって本多正純が死守を命じたからだ。

 凄まじい奮戦の結果、黒田如水や後藤基次の猛攻を凌いでいたのだが、ついには討ち取られた。


 だが、その大御所は側近達によってたてられた影武者だという噂が流れた。

 政宗が意図的に流した噂でもあったが、各大名も思い当たるところはあり、それなりに信憑性があった。


 今、奥平信昌は体調を崩しており、家昌の子である千福丸はこの大坂の陣の直前に元服させ、秀忠から「忠」の字を賜って忠昌と名乗っていたが、まだ幼く経験も足りていなかった。

 そのため、家康の娘という立場もあり、盛徳院は後見として大きな権力を持っていた。

 その盛徳院が、影武者のために死守を命じ、ついには家昌が命を落としたと聞いて原因となった本多正純を憎んだ。


 それだけではない。

 奥平家は、かつて失脚した大久保忠隣とは親しく、盛徳院の娘が嫁いでもいた。

 その忠隣を失脚させた本多親子を元々、快く思っていなかったのだ。


 その本多親子が中心となるであろう、徳川忠長ら駿府幕府に味方するよりも、伊達政宗の傀儡であろうと徳川家光の江戸幕府の方が良いと考えた。


 奥平家は、軍役は軽めであり、国元にもまだそれなりの数の兵が残っている。

 それを伊達領への支援に動かしたのだ。


 これで奥平勢を警戒する必要がなくなったどころか、逆に伊達領に兵を多めに残す必要もなくなった。


 常陸は、徳川頼房の領土だが、その軍勢は当主の頼房と共に駿府城に入っており、即座に対応はできない。

 その他の北関東の駿府幕府陣営の大名達も、大坂へと軍勢の多くを派遣している。

 鳥居忠政を除いては、まとまった大軍を動かす事はできず、奥平勢と伊達領の留守兵がその対応をするのであれば、政宗は安心して江戸城、そしてその以西へと専任できるようになったのだ。


 ……ここまで来たのだ。


 政宗としても、感慨深い。


 目を閉じて、これまでの事を回想する。

 これまで、遠回りになると分かっていても長い道のりを歩いてきた。

 北条家が滅ぼされ、織田信忠への従属を決意した時から始まり、徳川家への接近。朝鮮への渡海、織田信孝軍に味方した安土方との戦い、茂庭綱元を用いた偽りの出奔劇からはじまった謀略。


 ……後、少しだ。


 だが、もはや大それた夢などではない。あとわずかに近づいた、現実味のある夢へと変わりつつある。

 それを確信した政宗は、強く拳を握った。


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