236話 幕府分裂3
大坂城の大広間。
上座には、織田秀信が座っている。
敵の総大将ともいうべき、徳川秀忠が亡くなったと聞いた時は狂喜乱舞していたというのに、今は不機嫌そうな様子で黙り込んでいる。
再度出撃し、一気に殲滅するべきだと主張したのだが、幕府軍以上に自軍の被害が大きい事を理由に、家臣達は首を縦に振る事はなかったのだ。
その秀信の傍らに控える生駒一正が言った。
「朝廷から使者が来た」
ざわり、と場がざわめく。
「幕府と和睦すべし、とだ」
「朝廷からですか……」
誰かが呟くように言う。
十中八九、幕府が働きかけたのであろうが、そこを指摘したところでも仕方がない。
「それは、江戸の幕府ですか? それとも駿府の幕府ですか?」
浪人の一人が訊ねるように言った。
江戸城を中心に徳川家光を中心とした幕府を江戸幕府、駿府城に逃げ込んだ徳川忠長を中心とした幕府を駿府幕府。
どちらも正当な幕府を主張している中、中立的な勢力からはそんな風に呼ばれるようになっていた。
「駿府の方だ」
一正も気にする事なく答える。
「それで条件は?」
「現領の安堵、および勢力圏からの幕府軍の撤退」
「我らの追放などは?」
浪人の言葉に一正は首を横に振る。
「特にない。 ――そこで各々方の意見を聞きたい」
憮然とした様子で腕を組んだままの主に代わって、一正が皆に言った。
元々、独断で和睦をはねつけようとしていたのを側近達が宥め、こうやって評議の場を設けたのだ。
それゆえに、今の秀信は機嫌が悪い。
いっせいに、武将達が口を開く。
「ここは和睦すべきでござろう」
「うむ。これ以上、戦いを続けてもどうにもなるまい」
主に、元々の織田家臣達が中心だ。
ここは和睦への賛成意見が圧倒的に多かった。
浪人達も、将軍が亡くなったとはいえ、自分達の不利な状況は理解している。一方的な降伏ならばともかく、和睦であるならば受けても良いのではという様子だ。
「我らの被害も甚大。黒田殿や薄田殿も討ち取られてしまった」
「だが、敵も将軍である秀忠が討ち死にしたではないか」
そういった意見に対し、不機嫌そうな様子のまま秀信が口を開く。
「我らが討ち取ったのではありません。松平忠直が乱心して斬り殺したのです」
秀信の反論に、長宗我部盛親が反論する。
「それに、江戸城を占拠したという伊達政宗が信用できるかどうかも……」
続けるように言ったのは、最上家親だ。
彼は、改易騒動の件で伊達家に不信感を持っていた。
証拠こそないが、彼が最上家を引っ掻き回したのではないかと疑ってもいた。
「確かに。政宗は家――将軍の息子を己の野望に利用しようというだけではないかと」
盛親は徳川家光の呼称に関しても、気を使いながら言った。
現状、どう接するべき存在なのかすら決まっていないのだ。
伊達家に協力するというのであれば、三代将軍として崇める必要がある相手にもなるのだ。
それに、下手に敬った呼び方をしてしまえば、自尊心の高い秀信の気分を害する可能性がある。
……面倒な御方だ。
そう思うが、今の主人であり、恩があるのもまた事実だ。
何とか説得しなくてはならず、話を続ける。
「我らが動員可能な兵は3万ほど。幕府軍は、一部の大名が無断で帰国しているとはいえ、それでも10万近い兵が残っています。仮に、ここで和睦する事なく、江戸城奪還よりも我らを優先したとした場合、残念ながら某に追い返す自信はありません」
「……弱気な事をっ」
苛立ったような口調で言う秀信に、盛親は続ける。
「何より、兵だけでなく指揮を執るもの達も多く亡くなっております。このまま戦いが続けば圧倒的に不利です」
末端の兵だけでなく、中級指揮官ともいうべき者達も多くが亡くなっている。
先の戦いでは、まがりなりにも軍として成り立っていたが、今はそれすら厳しい。
「上様」
富田信高が口を挟んだ。
「彼らの意見も最もかと」
「む……」
一正も同意するように言う。
不満そうな様子はそのままだが、秀信もそれ以上の意見を言うのは諦めたようだ。
「では、これまでとしましょう」
その言葉で、評議は終わった。
彼らのまとめられた意見を元に、織田有楽斎が幕府からの使者として訪れた以心崇伝と会っていた。
「……というわけで、我らにも和睦に異論はありません。このような不幸な争いが二度とない事を祈っております」
「そうですな」
崇伝は、頷く。
「……これは、間違いなく徳川家との。徳川幕府との和睦という事でよいのでしょうな」
念を押すような言葉だ。
「今、江戸城を乗っ取った叛徒達に正当性はありませぬ。我らが正当な徳川家」
「ですが、江戸城を占拠した幕府軍も同様の主張をするのでは?」
その言葉に崇伝が即座に反論する。
「そのように仰られるとは心外ですな。そのような事はない、と我らは確信しておりますが、万が一にも叛徒に加担し、この和睦をなかった事にしよう企てがあるのであれば、我らも厳正な対処をせざるをえません」
威圧するような口調である。
確かに、今は幕府も苦しい立場にいる事に違いない。
だが、だからこそ弱気なところを見せるわけにはいかないのだ。
「そのような事は……」
有楽斎の方は、強気な返しができない。
そんな事はない、と断言ができない。
現状、浪人勢を完全に制御できているとは言い難いのだ。
その気がなくとも、勝手な暴走をされてしまう可能性は十分にある。
崇伝もそういった考えを、有楽斎の瞳から冷静に感じ取った。
「くれぐれも、頼みますぞ」
崇伝の目に力が籠る。
こうして、互いに不安を抱えながらも幕府と大坂方の和睦はなったのだ。
大坂城、そして織田領から次々と幕府軍は撤退していく事になる。
海上を封鎖するようにしていた、幕府水軍も撤退。
海路で駿府へと向かった。
しかし、豊臣秀頼や細川忠興らは幕府軍の集結命令を拒んだ西国大名達は伊丹城や東播磨の城に留まったままだ。
正確には違う。
――和睦が結ばれたとはいえ、大坂方がそれを反故にする可能性があるゆえ、それに備えて伊丹城に留まりたい。
残った西国大名達を豊臣秀頼が代表する形でそう申し出て来た。
「日和見を決め込む気か。西国大名共め」
伏見城の一室。
本多正純が舌打ち混じりに言う。
「だが、残念な事に今の我らに強制するだけの力はない」
父・正信が子を窘めるように言う。
「そうですが……」
「あちらに残った土井利勝からの報せでも、即座に家光様や政宗に組する気はないようだ。今は中立で良しとすべきだろう」
秀頼の目付も兼ねて送り込まれた利勝は、そのまま伊丹城に留まっていた。
当然、駿府幕府方への加勢するよう、秀頼らに言っていたが、彼らの腰は重かった。
即座に政宗ら江戸幕府方に味方しそうなものたちは、とっくに誘いを受けて江戸城へと集結しているし、逆に駿府幕府方へと加わるものはとっくにこの伏見城や二条城の方に集結している。
残ったのは、どちらにも加担するだけの強い動機を持たない者達ばかりだ。
しかし、そんな日和見勢力の合計は4万になる。
畿内に残す駿府幕府の兵は2万。
万が一、これらが政宗らに組して襲い掛かってくれば、相当に苦しい。
大坂織田家の3万も敵になれば、7万対2万となる。
「拙僧はこの京に残り、そのような事がないように目を光らせます」
崇伝の言葉に正信も続いた。
「うむ。儂もだ。大坂の連中もそうだが、西国大名も良からぬ事を企まぬようするつもりだ」
「父上もですか……?」
父の言葉に正純は驚いたように目を瞬かせる。
「うむ。大御所様の事もある。儂は京に留まった方が良いと考えたのだ」
「ですが……」
「気にするな。儂がおらずとも其方らならば大丈夫じゃ」
「分かりました。江戸城を必ずや奪還し、政宗の野望を打ち砕いてみせます」
正純も一つ頷くと、それを受け入れた。
京には他に、板倉勝重と重宗の親子が残り目を光らせる。
さらに北陸からの攻勢に備え、井伊直孝は居城である彦根城に残した。
そして、残った軍勢7万5000が出立して駿府城を目指していった。




