235話 幕府分裂2
若狭街道を通り、近江から若狭へと向かう十数人の集団がいた。
かなりの急ぎ足だが、同時に警戒するように全員が油断なく周囲を見渡しながらの移動である。
「こっちで良かったかの」
「はい」
大坂での戦いの後、行方不明になっていた明石全登とその従者達である。
「既に国境は超えました。この辺りからはもう大丈夫だとは思いますが……」
全登の従者の一人が遠慮がちに言った。
「うむ。だが、まだ油断はできん。気を抜くな」
そんな時、前方から黒い影が近づいてくるのが分かる。
全登や、従者達の間に緊張が走る。
「お待ちください」
相手が無抵抗である事を強調するためか、何も持っていない状態の両手を上にあげたまま言った。
「む。 ……ああ、其方か」
全登も相手の顔を見て思い出す。
顔見知りの黒脛巾組の男だった。
「お前ら、手を出すな」
武器に手を伸ばしかけた従者達を制する。
「お迎えに参上つかまつりました」
相手が、軽く一礼する。
「この先の館でお待ちです」
「うむ」
男の先導に従い、小さな館へと向かう。
そこに、案内に従い、従者達と共に小屋に入った。
信頼の厚い側近ともいうべき従者二人を除き、他の者は館の外に待機させたまま、中へと入った。
「よくぞご無事で。こうして、顔をあわせるのは何十年ぶりになるか……」
そこで待っていた男が、言った。
その顔は、年月の経過により多少は変わっているものの、全登にとっても見覚えのある顔だ。
後世では、右近という呼ばれ方の方が有名になる高山重友だった。
彼は、かつて織田信孝の決起の際、安土方につき、大坂方に組した徳川軍との戦いで敗れ、消息不明となった男だ。
「書状では何度もやり取りをしておりましたが、本当にお久しゅうございますな」
全登の方が近づいていく。
重友が丁重に返した。
「そんなにもなりますか」
かつて、全登が宇喜多秀家に仕えていた時期に、何度も顔を合わせてはいる。
「長い事、伊達殿にお世話になっておりましたが、やっと恩を返す機会が訪れました」
「伊達殿が、ですか……」
そう言われても全登は、伊達政宗を信じているわけではない。
だが、キリシタンの間で絶対的な信頼を置かれている高山重友の事は信じていた。
……伊達政宗が高山殿を庇護したのも利用価値があったからだろう。
彼の生存と伊達家の庇護を受けている事は、書状を通して知っていた。
全登は伊達政宗を信じているわけではないが、高山重友の事はキリシタン武将として信頼している。
かつて、棄教か武将としての地位を捨てるかの二択を迫られ、後者を選んだ男だ。
それゆえに、彼を通じて伊達政宗に色々と協力をし、大坂方を誘導してきた。
既に役割を終え、入るべき城を変えるべきだと報せを受けてここまで来たのだ。
「それで、某は江戸城まで行けばいいのですかな」
「はい。伊達殿もそれをお望みです」
「まあ、大坂城にいてもこれ以上、やるべき事は少ないでしょうしな」
全登も大坂方とは和睦するであろうという話は、黒脛巾組からの報告で聞いていた。
「それで」
ここで、真剣な眼差しになって重友を見る。
「伊達殿がしたという約定は本当なのですか?」
「はい。確かに某に約束しました。キリシタンの国を九州につくると」
かつての百姓の持ちたる国と呼ばれた加賀のように、キリシタンの国ともいうべきものをどこかに作ると政宗は約束していた。
そしてそれは、キリスト教の広まっていた九州の旧大友領のいずれにとの事だった。
これがこの重友だけでなく、多くのキリシタン武将達を政宗が取り込めた理由の一つでもあった。
「それに以心崇伝が幕府の重鎮としている以上、我々は今の幕府を倒す必要があります」
重友が強い口調で言った。
以心崇伝はアンチ・キリシタンの筆頭ともいうべき存在だ。彼が幕府で絶大な権力を持って存在している以上、キリシタン武将にとって安息の時はない。
政宗への恩義もあったが、現幕府の打倒は重友にとっても望むところだったのだ。
そのためには政宗の挙兵による幕府の私物化が目的だとしても、キリシタンの保護がされるのであれば、それで構わないと考えていた。
「ところで」
全登の声には不安そうな色が混じった。
「伊達殿が約定を違えるという事はありますまいな」
「そのような事はありません。もし仮にそうなったとしたら、某が腹を掻っ捌いてでもお詫びします」
重友にそこまで言われたのでは、全登もこれ以上は追求がしにくい。
重友は政宗を信じているようだが、全登はそれほどでもない。
徳川幕府の打倒を考えるのであれば、キリシタン武将に対し、大きな影響力を持つ彼に恩を売る価値は十分にある。
利用するだけして、価値がなくなったら捨てるのではないかという疑いも抱いているのだ。
「……そうですか」
しかし、そこまで言われてしまえば、全登もそれ以上に追求するわけにはいかなかった。
「それで、某は江戸城に向かえばいいのですかな」
それゆえに話題を転じる事にした。
「はい」
重友も頷く。
「江戸城に某と共に入り、その存在を周囲に知らしめるのです」
「なるほど。さすれば、士気も高まるでしょうな」
ふむ、と全登も頷いた。
「さすれば、幕府の出した禁教令に反感を持っている者達の加勢も期待できます」
重友の言葉に全登も納得していたが、
「それで、北陸一帯の大名は味方と考えて良いのでしょうな」
「はい。松平忠輝様は勿論、前田も丹羽も味方です」
「他には?」
「情勢次第でと言ってきた大名がいくらか。現状では、どう動くか読めませんな」
いくつか候補ともいうべき外様大名を頭に浮かべる。
「他にも明石殿のような味方はおりますぞ」
「某のような?」
「はい。有馬殿です」
「有馬? ……有馬直純、いや晴信殿ですか?」
「その通りです」
かつての大名である、有馬晴信だったが岡本大八事件によって流罪となっていた。
それを伊達家によって、密かに救いだしていたのだ。
彼もキリシタンだ。
しかも、敵対する幕府軍の重要人物である本多親子とも因縁がある。
「なるほど。それは頼りになりますな」
全登も感心したように頷く。
同時に、ある事を思い出し、渋い顔をする。
……我が殿も、宇喜多家再興の為に戦って欲しかったのだが。
自身のかつての主君である、宇喜多秀家の事を頭に浮かべる。
秀家も、関ケ原合戦の後、流罪となっている。
今回、大坂城に入る前に密かに流刑先である八丈島に使者を送り、接触を試みたものの、徳川幕府と戦うどころか、流刑地からの脱出すらする気がないようだった。
大名として生きる気すら本人にないのであれば、全登がいくら意気込んだところでどうしようもない。
……やはり、空しいものがある。
その事を思うと、つい唇を噛みしめてしまう。
そんなかつての主の事を振り払うように、首を左右に振った後、訊ねた。
「それで、大坂に関して伊達殿はどうされるおつもりなのですか?」
話題を無理に変えるように、全登は言った。
当初の予定では、織田家は徳川幕府に滅ぼしてもらう予定だった。
が、予想外の出来事で計画を前倒しになった。
「今のところ、何も」
重友が言った。
その表情からは特に、隠し事をしている様子はない。
「伊達殿としても、敵の敵は味方の理屈でこちら側に取り込むか、敵にならないならば最悪それで良し、といったところでは」
織田家は、対徳川幕府という点では利害関係は一致しているが、扱いに困る存在でもあった。
場合によっては、今の幕府に代わって、大坂攻めを家光や政宗が主導してもう一度やる必要がある。
織田家にそこまで思い入れがあるわけではないが、それなりの数のキリシタンが大坂城内には残っており、気にはなる存在だった。
それに、と重友は続ける。
「大坂との繋がりはまだ残っているのでしょう」
大坂城で親しくしていた内藤如安とは、今も繋がっている。
ある程度、織田秀信に働きかけて貰う事も不可能ではない。
「さよう。内藤殿にもある程度、こちらに事情を話して味方に取り込みました。ある程度は協力してくれるはずです。内藤殿には、それなりに発言力もあります」
「なるほど」
重友も頷いた。
「最も、今は幕府と和睦しようという動きがあるようですが」
「幕府とですか?」
少し驚いたように、全登は目を見開く。
ひっそりと脱出してそのまま、ここに来た全登にとってはじめてきく情報だったのだ。
「ええ。幕府としては、江戸城が乗っ取られてそれどころではない。一方の大坂方も被害が大きかったようですし、有力な武将が討ち取られてしまいました」
「有力な武将? 某は黒田殿と後藤殿が討ち取られたという話は耳にしましたが……」
「黒田殿と後藤殿の他、薄田兼相殿、それに田中吉次殿が討ち取られたそうです」
「そうですか……」
ある程度予想の範疇にはあった。
それでも、共に戦った仲であり多少は思う事もあり、一瞬、沈痛な面持ちをつくる。
だが、今考えるべきは、彼らの事ではない。
「では、幕府は――京都にいる方の幕府軍はどうなっているのですか?」
「幕府軍は、各大名に伏見城と二条城への集結を命じました。ですが、豊臣、小早川、毛利、細川といった西国の大名達は、伊丹城に留まっているようです」
「日和見ですか」
「はい。もっとも、幕府の元に馳せ参じた外様大名もそれなりにいます。池田、真田、藤堂、加藤、蜂須賀、山内、鍋島、脇坂、上杉、佐竹などです」
真田は豊臣家にいる方の信繁ではなく、信之の方。
加藤も熊本の加藤ではなく、嘉明の方だろう。
いずれも幕府と親しい関係の外様大名ばかりであり、概ね、予想通り。
だが、最後の二つは予想外だった。
「上杉に佐竹がですか?」
意外な名前だった。
上杉は、旧武田領を巡って争ったりもしているし、佐竹に関しては新たな本拠となった江戸に近い関東から外様の大きな勢力を潰したいという思惑があった。
そのため、徳川家が天下で第一の勢力となってから、上杉も佐竹も幕府によって大幅な減封を食らっている。
現幕府への忠義を貫くとも思えない。
「まあ、上杉と佐竹は幕府の為というよりも、伊達の天下が嫌なのでしょうな。色々と因縁もありますし」
それに、と重友は続ける。
「上杉は元々の領地だった、北陸の領土を取り戻したいと考えているのかもしれません。もし、我らが破れれば、北陸の大半が空き領となりますし」
松平忠輝や前田利長といった北陸の大名が伊達政宗に組している。
さらには、越前の松平忠直も戦後に取り潰される可能性が高い。そうなれば、恩賞として北陸の地を貰えるかもしれないという思惑もあるのだろう。
「なるほど。伊達殿にとって織田が敵の敵であるように、上杉にとって今の幕府も敵の敵という理屈ですか」
「そうですな。まあ、現状の確認はこんなところでいいしょう。それで、これからの明石殿にやっていただきたい事ですが……」
そう言って、今後の話へと移っていく。
まずは江戸城への移動、そこから任される兵の数、具体的な担当部署などの話が続いた。




