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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
233/251

231話 大坂之陣18

 黒田如水は、この前日、後藤基次を自室に呼んでいた。

 かつてないほどに真面目な様子だ。


「殿。如何されたのですか?」


 なかなか口を開こうとしない主に対し、怪訝そうに基次は訊ねた。


「……儂は決めた」


 ギラリ、と力強く目が開かれる。


「明日が儂の命日じゃ」


「……っ!」


 唐突な発言だ。

 だが、そこまでの驚きはなかった。


 何となく、予想はしていたからだ。


「明日に残る全てを賭ける」


「……某もお供いたします」


 主の心中を察した基次はそう言った。

 だが、如水は首を左右に振る。


「いや、お前には儂と共に来る必要はない」


「! な、何と……っ」


 基次は意外とばかりに目を見開いた。

 まさかそんな言葉が飛び出してくるとは思ってもいなかったのである。


「殿! 何故ですかっ」


「誤解するな。お前にはもっと重要な役目がある」


「役目? 殿と共に戦う以外にですか?」


「そう急くな。説明してやる」


 顔を近づける基次に苦笑しながら、如水は絵図を取り出す。


「予定通りに明日、行動を起こす。だが、それでも此度の戦いは苦しい」


 とん、と如水は胸元に手を置く。


「ゆえに、餌に食いつかせる」


「餌?」


「ああ、美味な餌じゃ。それに幕府の連中が食いついているうちに、お前は大御所の首を目指せ」


「ま、まさか……」


「察したか」


 如水のいう「餌」の意味を理解した基次が、驚きの表情を浮かべる。


「この儂じゃ。儂が連中の前に出て行けば、相当な混乱があろう」


「……っ!」


「それを好機とし、お前は大御所の元へ行け」


 それは、命を掛金とした博打ですらない。

 命を最初から捨てる前提のもの。


「……」


 如何に、如水のたてた策とはいえ。

 如水の覚悟を知ってはいても、基次の動揺はおさまらない。


「そ、某は……その」


「頼む」


 何とか、別の策を――そう言おうとした時だった。

 如水が頭を下げて来たのだ。


 基次はさらに驚いた。

 如水に仕えて長いが、こんな事ははじめてだったのだ。


「儂に代わって指揮を執り、大御所の首を取ってもらう必要がある。そしてそれは、黒田家のものでなくてはならん」


 黒田如水の名を残す。

 それが最大の動機の如水にとって、明石全登、最上家親、長宗我部盛親、田中吉次らが代わりに家康の首を取るような事は避けたい。

 そうなれば、どれだけそれに貢献していたとしても脇役という立ち位置が決まってしまう。

 だが、如水配下として知られている基次ならば別だ。

 間違いなく、黒田如水が家康の首を取ったと後世に語り継がれる事だろう。


「そして、今の儂にとって最も信頼しているのはお前じゃ」


「それ、は……」


 そこまで言われてしまえば、もう基次にはどうする事もできない。


「……分かりました。必ずや、大御所の首を」




 そして今。

 予想通り、幕府勢は混乱状態になっている。

 だが、混乱しているだけでは駄目だ。


 もう一押しがいる。


「おい、駕籠を置け」


 如水が声を出す。

 駕籠の担い手が一瞬、驚いたように固まる。


「早くせいっ」


 慌てた様子で、担い手達は駕籠を下ろす。

 中から、如水が姿を現した。


「幕府の者共よ! 黒田如水がここにおるぞっ」


 大声を張り上げる。

 老人とは思えないほどの声だ。


 榊原勢がざわりとする。


「何じゃ! 手柄首を前にしてそのように」


 からかうような口調だ。

 それでも、榊原兵達は、躊躇している様子だ。

 何か罠でもあるのか警戒しているのかもしれない。


「ほら、どうした。たかが老人一人、何を恐れておる」


 ニヤリと口角を釣り上げる。

 本人が言うように、たかが老人一人。

 だが、死を覚悟したこの男には異様な気迫がある。


 榊原兵達も取り囲みながら、すぐに襲い掛かろうとしない。

 武器を構えながらも、気圧されるようにしている。


「何をしておるっ!」


 それでも、指揮官達はさすがに違った。

 兵達を叱咤する。


「早く討ち取ってしまえ! 手柄首だぞっ」


 その言葉に、硬直が解けたように兵が駆けだした。


 だが、ここで予想外の事が起きた。

 黒田如水の元へと、兵達が集中したのを見て、後藤基次とその配下達が当主を守る事なくいっせいに駆けだしたのだ。


「何っ」


 榊原康勝も、その配下達も混乱する。

 主を見捨てたのか――と思うのも一瞬、彼らが目指している先が分かったのだ。


「いかん! 大御所様のところに行かすなっ」


 狙いに気づいた康勝が声を張り上げ、後藤隊を止めようとする。

 榊原の兵によって、後藤隊の面々が次々と討たれていく。


 だが、一部はその間に大御所・家康の元へと走っていく。

 後藤基次もその中にはいる。


「おっと、儂を忘れるでないぞ」


 後藤基次を支援するよう、駕籠から降りた如水がゆらりと歩く。


 如水の配下らも、それに合わせて榊原の兵達を襲う。


「――っ! おのれっ」


 康勝も大御所の元に行きたいが、これでは無理だ。


 ……やむをえんか。


 基次は、大御所の馬廻り達に任せ、目の前の敵を叩きのめす事を優先したらしい。

 兵の一部は大御所の元に行かせながらも、残りの兵達を黒田如水へと向けた。


「いけ、いけっ」


 榊原の軍勢が包み込むよう、黒田如水の兵達へと殺到する。

 その凄まじい勢いだった。

 その残された兵を巧みに操り、榊原勢を翻弄していく。


 榊原康勝の兵は減っているが、それ以上に黒田如水の元に残された兵は少ない。

 真夏に置かれた氷が溶けるようにように、黒田の兵は消えていった。


 黒田如水も、銃弾と弓を右足と左肩に受けた。

 残された兵達も満身創痍。

 榊原の兵達も傷を受けている者や、疲労が見える者もいるが、無事な者の数は黒田兵より圧倒的に多い。


「……ふ」


 敵から受けた弓が致命傷だったのか。

 それとも、病により身体が限界に達していたのか。


 いずれにせよ、もう長くない。

 如水は己の身体のそれを察した。


「ここまで、じゃな」


 だが、それでも徳川兵は遠慮なく武器を構えている。


 逃亡は不可能。

 そもそも、駕籠を動かせるような人数すら如水の周りには既に残っていない。


「……ふ」


 小さく笑うと、持っていた采配を敵の元へと放る。


 兵達が慌てて避けた。


「そう警戒するな。儂はもう、何もせん」


 面白そうに言うと、両手を小さくあげ、


「……手柄にせい」


 如水は呟く。


 その一言に、それでも敵勢は警戒心を隠せない様子で、距離を詰めただけで、すぐに飛び掛かってはこない。


「何じゃ、慎重なのもいいが、それでは手柄を逃すぞ」


 短刀を取り出す。


「お前らがとどめをさすのが無理だというならば、儂が自らの手でやる事になるぞ」


 そう言って、首元へと短刀を持っていく。


 それを見て、榊原勢の一人が動いた。

 短刀を取り出した事で警戒したのか、それとも如水の言うように手柄にしたかったのか。


 いずれにせよ、その兵が突き出した槍は、如水の身体を貫いた。


 ……まあ、概ね、満足じゃな。


 できれば、大御所――例え影武者であっても――を討ち取っているところを見届けてから、逝きたかったが、まあやむをえん。


 黒田家当主としての地位を息子に譲ってから、重圧から解放されたかのように楽しめた。

 最期まで、戦国武将と生き、死ねた。


 ……他の大名連中がどうだかは知らんが、あのまま御隠居などと呼ばれ、緩やかに生き続けるよりも、この死に方で満足じゃ。


 口元に笑みが浮かんだまま、如水は絶命した。


 それにつられたように、他の兵達も槍を突き出す。わずかに残っていた如水の護衛達も、ほとんど同時に、主と共に黄泉路へと旅立つ事になった。


 黒田如水は、この戦場で望み通りに散ったのだ。





 ……殿は今頃。


 後藤基次は、背後を振り返りたい衝動を何とか抑える。


 ……いや、今気にするべきは殿の事ではない。


 黒田如水は、大御所・徳川家康の首を優先して自分を囮にしたのだ。

 ならば、自分はそれを優先すべきだろう。


 家康の本陣へと向かった後藤勢が家康直属の兵達と戦う。


「やれ、やれーっ!」


「無礼者どもが! 大御所様をお守りせよっ」


「大御所を討ち取れば大手柄じゃ! 後世まで長々と語られる事になるぞっ」


 後藤勢が声を張り上げる。


 最初はすさまじい勢いで圧倒していた黒田如水の軍勢ではあるが、徐々に勢いもなくなっていった。

 いかに精神的に士気の高さを保ち続けようとも、長時間の戦闘により身体が持たなくなってきている。


 しかし、その頃には家康の本陣にまで迫っていた。


 家康の直臣である、馬廻衆まで動員せざるをえない状況だった。


「いけっ」


 家康の本陣から兵が駆けていく。


 それでも、押され気味なのだ。


 ……まずいな。


 本多正純は内心での動揺を押し隠しながら、平静さを保つ。


 そして、ちらりと影武者を見る。

 この状況でも腕を組み、無言の状態だ。


 ……それで良い。


 下手に騒ぎたてないだけでも上出来だ。

 この本陣にいる者でも、全てが影武者だと知らせているわけではない。影武者だと知らない者達からすれば、この影武者が動揺しているのを見てしまえば、それは家康の動揺となるのだ。


 士気に大きく関わる。


 だが、それでも自体が悪化していないだけで好転しているわけではない。

 黒田の軍勢が少しずつ迫ってきているのだ。


 ……やむをえんか。


 正純も決断せざるをえない。


「駕籠の準備を!」


 最悪の場合に備え、影武者を逃がす必要がある。

 この男は影武者だが、怪しんでいる者も確信には至っておらず、ほとんどの幕府軍は本物だと思っている。

 ここで討ち取られてしまえば、その影響はあまりにも大きい。


「て、敵勢がすぐそこまで」


 馬廻の焦った声が聞こえる。

 もう敵がいつ、ここまで到達してもおかしくない。


 ようやく、大御所専用の駕籠が用意された。

 本物の家康も病の悪化から、馬に乗る事を医師から止められており、今では駕籠での移動が中心になっていた。

 しかし、影武者は年齢こそ本物に近いが健康そのものだ。


 傍らにいた正純は一瞬悩む。


 ……どうする。


 影武者の安全を考えれば、機動力という点からも馬で避難した方がいい。

 だが、それで逃げ切った場合、怪しまれるかもしれない。

 家康の健康状態が良くなかった事だけは、既に知れ渡っているのだ。


「馬だっ」


「は?」


「大御所様に馬を用意せいっ」


 しかし、正純は馬での逃亡を選択した。


 ……ここで、この男を討ち取られるわけにはいかん。


 表向きは大御所という事になっているのだ。

 討ち取られてしまえば、混乱はあまりに大きいだろう。

 戦後に怪しまれるかもしれないが、今はこの影武者の安全が優先だ。

 正純はそう判断する。


 ……この判断が吉と出るか、凶と出るか。


 そう思いながらも、正純は影武者を促した。


「さ、大御所様」


「うむ」


 影武者が短く答える。

 やがて、家康配下の兵が馬を引いてきた。

 それに跨るとほぼ同時に、騒がしくなる。


「某は後藤又兵衛基次! 大御所とお見受けするっ」


 敵兵の大将格の男が叫んだ。

 それを聞いて小さく舌打ちした正純は、影武者を促す。


「さ、早く」


「う、うむ」


 先ほどと比べると焦りの色が浮かんだ色で答えると、馬に鞭をいれた。


 正純と、馬廻衆が同行して戦線から離脱しようとする。


「おのれ、逃がすか!」


 基次が怒鳴り、配下の兵が襲う。


 この場に残った馬廻衆が、それに立ち向かう。

 彼らは影武者とはいえ、家康直属の護衛として選ばれた面々だけの事はあり、忠誠心は高く、強い。


 逃げ出す者は一人もおらず、勇敢に後藤基次の兵達に立ち向かう。

 一進一退の攻防だ。


 その間にも、影武者と正純らの距離が開く。


「くそ!」


 基次が勢いよく馬腹を蹴る。

 周囲の数人もそれに続いた。


 追撃にかかる、基次らを家康の馬廻衆が防ごうとする。

 追撃に加わらなかった後藤勢の兵達が、その馬廻衆につかみかかるようにする。


「離せ、離さんか!」


「させるかっ」


 両者の怒声を背に、基次は駆けだす。


「待て、待てーっ」


 基次が駆ける。

 勢いよく駆ける。

 駆け続ける。


 一方、影武者も逃げるだ。

 だが、影武者は馬に乗り慣れていないのか、勢いが出ない。

 少しずつだが、距離が縮まっていく。


「大御所様に触れさせるなっ」


 馬廻衆が、後藤勢の勢いを止めようとする。

 少しずつ、距離は縮まる、縮まる、縮まっていく。


「くそ!」


 だが、その背後が見えた直後。


 数人の馬廻衆に囲まれた。

 そのうちの一人を蹴散らそうとした次の瞬間、別の馬廻衆に攻撃を受けた。基次の乗った馬が悲鳴をあげる。


 勢いよく、基次は振り落とされた。


 それを好機とみて、影武者とその馬は勢いをつける。


 ……おのれ、後一歩というところで。


 それでも、敵の馬を奪ってでもと周囲を見渡す。

 いるのは敵ばかりだ。


 既に、基次の周りに味方はいない。


 ……皆、やられたか。


 馬廻衆達は、影武者の避難を優先させるためか、基次を警戒しつつも、即座に攻撃を仕掛けてくる様子はない。


 先ほど、馬から叩き落された激痛が今更襲ってくる。


 ……これはもう、動けんな。


 気づけば、出血もしている。

 落馬の時ではない。おそらく、ここに来る前に受けた矢玉の類によりものだろう。


 その血を拭う。


「惜しいな、後一歩のところで」


 もう少し、影武者の逃亡が遅ければ話は違っていた。

 そうなれば、何とか討ち取る事ができたかもしれない。


 結果的には、駕籠ではなく馬を選択した正純の判断は正解だったのだ。


「しかしまあ、今更何を言っても遅いか」


 影武者の追跡も、逃亡も不可能と見た基次は拾った槍の穂先を自分の喉元

へと向ける。

 が、途中でやめた。


「最後まで足掻いてみるか」


 一瞬、自分の主の事を脳裏に浮かべる。


 おそらく、今頃、黒田如水は間違いなく討ち取られている事だろう。

 今、その主と同じところに逝こうとしている。


「せめて、一つでも多くの土産話を持ち帰ってみせますぞ」


 そう呟くと、基次は馬廻衆へと向かっていった。




 黒田如水に続いて、後藤基次も討ち取られた。

 影武者も安全地帯へと逃げる事に成功した。


 しかし、まだこの戦いは終わっていない。

 新たな局面へと向かおうとしていたのである。

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― 新着の感想 ―
[一言] 如水さんも討ち死にされましたか… 果たして、他の浪人衆はどう戦っていくのか…
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