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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
232/251

230話 大坂之陣17

 慶長19年、西暦では1614年の3月1日。


 それは、唐突に起きた。

 既に、冬は去り穏やかな春。

 呑気に昼寝でもしたくなるような、穏やかな気温。


 だが、そんな雰囲気が吹き飛ぶような光景がそこにある。


 数万の軍勢が、数万の軍勢とぶつかり合っている。


「大坂方め……よもやっ」


 将軍である徳川秀忠も驚きと怒りを込めた視線をぶつけている。

 戦場を眺めつつも、冷静な彼らしくなく苛立った様子だ。


「上様……」


 傍らに控える酒井忠世も、どうすべきか迷っている様子だ。


 それは、この日、茶臼山の徳川家康の影武者のいる所へと訪れようとした時にはじまった。

 島津に不穏な動きがある、という情報を掴んだ秀忠はその事も兼ねて影武者――正確にはその影武者の傍らにいる本多正純ら側近――と軍議を開く気でいた。


 ところが、その途上を狙いすましたかのように大坂方がいっせいに撃って出たのだ。


 ……ここ暫く大人しくしておったというのに。


 停戦状態だったわけではない。

 だが、それでもこの数十日は膠着状態に陥っており、両軍に大きな動きはなかった。

 にも関わらず、急にこれほど大規模な攻勢に出るとは思いもしなかった。


 戦いが長引き、皆の中に油断もあっただろう。

 秀忠にすら、衝撃があったのだ。兵達にも混乱が大きいらしい。

 秀忠周辺の側近も混乱している。


「敵は3万、いえ4万を超えています!」


「何を馬鹿な事を! そんな事があるわけあるまいっ」


 報告に来た兵を忠世が叱りつけるように言う。

 大坂方は、おおよそ5万。

 そのほとんどが出撃した計算になってしまう。


 城を空っぽにしてそんな事をする可能性は皆無に近い。

 この間に、他の場所から攻めさせればそれで終わってしまうのだ。


 あの織田秀信がそんな危険な策を取るはずがない。


 ……そうなると、擬兵か?


 兵はいなくても、人はいる。

 幕府の天下が強固になってしまう事により、キリシタンが取り締まられる事を恐れて大坂城に入った信者たちも大勢いる。

 彼らを使ったのかもしれない。

 戦力にはならなくても、戦力に見せる事はできる。


 ……そういえば、かつて太閤が似たような事をした事があったな。


 かつて、織田信孝の決起の際、秀忠も少年だった時の話。当時、家康と共に大坂方と呼ばれていた頃の秀吉の軍勢がこの大坂城へと向かう時、似たような事をした事があった事を思い出した。そして、その頃の名目上とはいえ頂点に立っていたのが大坂城の主である織田秀信だ。


 ……まあ、今回の件とは関係はないか。


 状況が違い過ぎる。

 そう思って秀忠は首を左右に振る。


「敵勢に黒田如水、明石全登、長宗我部盛親、最上家親、薄田兼相らの姿がありますっ」


 また、別の兵も報告に戻って来る。


「指物も確認致しました!」


 大坂方の名高い将達が揃っている。

 どうやら、相当に力を入れているらしい。


 ……名だたる面々だな。


 やはり、それだけ本気なのか。

 失敗した時の事など考えず、残された全てを賭けて挑んできているのか。

 ならば、ここで叩きのめすべきか?


 ……いや、違うな。


 こうなった以上、最悪を考えて動くべきだ。

 秀忠は素早く決断する。


「撤退の準備を」


 はっ、と近習が駆けていく。


 茶臼山近くまで秀忠は来てしまっている。

 護衛の兵は無論、いるが十分に迎え撃てる状態ではない。


「とにかく、この場から引くぞ! 戦場から離れれば、周りは皆、味方じゃ。いずれ味方が駆けつけてくるっ」


 秀忠の言うように、今、目の前には敵勢だらけだが、味方が駆けてくれば、その敵勢も一気に包囲され、殲滅できる。


 ……ふん、むしろこれは好機だ。我らが安全圏まで下がってから、一気に叩きのめしてくれる。


 浪人勢の中心的存在ともいえる黒田如水や明石全登らを討ち取ってしまえば、勝ったも同然だ。

 そう秀忠は気持ちを奮い立たせると、目の前の光景を睥睨する。





 時は少し遡って、慶長19年の2月末。

 大坂城内の一室。

 決して狭くはない部屋だが、この日は多くの人数に圧迫されていた。

 まだ寒さも残る時期だというのに、蒸し暑さすら感じる。


「これで全員か」


 黒田如水が開口一番に言った。


「うむ。主だった者は揃っておる。これならば、十分に兵を動かせる」


 長宗我部盛親が相槌をうつ。


「そうか」


「だが、黒田殿。貴殿は大丈夫なのか?」


 明石全登が訊ねる。


「何の事じゃ?」


「体調の方じゃ。一時は、相当にまずい状態だったと聞くぞ」


「いらぬ心配じゃ」


 如水は、手の平を上下に振ってみせる。


「儂はこの通り、元気じゃ」


「ならば良いが……」


「それに、戦場で死ぬと、病で死ぬのとでは大違いじゃ。儂は、戦場の方で死ぬことを選んで大坂城に入ったのじゃ」


 その言葉に、幾人かは気分を害したような顔をする。

 この中には、如水同様にこの大坂城を最期の場として選んだ者も多数いるが、御家再興のために大坂方の勝利に賭けて入ったものもいるのだ。


「……そろそろ本題に入りませぬか?」


 そんな微妙な雰囲気を察したのか、そのうちの一人でもある、最上家親が不満そうに言った。


「そうよな。時は大事じゃ。儂にとっては特にのう」


 くっく、と如水は笑ってみせるがすぐにそれを消した。


「近いうちに、仕掛ける」


 その言葉に皆の顔が引き締まる。


「色々と好機を探っておったが、近いうちにそれが訪れる」


 おおっ、と場が静かに沸く。


「そうだな。明石殿」


「うむ」


 急に話を振られた明石全登が頷く。


「確かな情報が入った」


 一通の密書を取り出す。


「この通り、したためられておる」


 それを受け取った如水も目を通した。


「確かに」


 家親にも渡され、さらに他の武将達にも次々に渡されていく。


「これは好機じゃな」


 こらえきれない、といった様子の笑みが如水の顔から洩れる。

 他の者も同様だ。


「決行は、3月1日。明朝からじゃ」


「うむ」


 全登が頷く。


「秀信様に内密にか」


「当然だな」


 最上家親の言葉に長宗我部盛親が同意する。

 秀信の器量を認める者は少ない。


「大御所の本陣に襲撃をかける」


 衝撃的な言葉ではあるが、ある程度通達されていたためか、驚く者はいない。


「いくつもの準備はしてきておる。明石殿、内藤殿」


 全登と内藤如安へと視線を移す。


「準備はできておるな」


「うむ」


「抜かりなく」


 両名が頷く。


 彼らには、大坂城内にこもるキリシタン達を擬兵として参加するよう手筈を整えさせていたのだ。

 幕府では反キリシタンの筆頭ともいえる以心崇伝が権力を握るようになり、今後も締め付けは強化される一方だろう。

 そんな今の国内にとって、大坂方のキリシタン武将である明石全登や内藤如安は救世主のような存在だ。

 その二人の呼びかけとあって、命すら惜しまない信者達が集ったのである。


 とはいえ、彼らに戦闘能力はほとんど期待できない。

 だが、数が揃えばそれだけで力になる。不意をつく襲撃となれば、猶更だ。


「儂の方もぬかりなくやった」


 如水も、九州時代の伝手を使い、大御所のすぐ近くに陣を構えている島津家の者に手を伸ばした。

 無論、大坂方の圧倒的不利な状態で寝返る大物はいないだろう。


 しかし、大物でなければ幕府や島津に不満を持つ者はそれなりにいた。

 特に、現当主の島津忠恒に叛意を抱く伊集院忠真ゆかりの者に如水は声をかけていたのだ。

 さらに、九州勢が寝返るという噂もばらまいてある。


 これも襲撃の成功率をあげる布石であり、策の一つでもあった。


「さすがは黒田殿」


 如安が感心したように言う。


「うむ。それよりも、明石殿」


 如水が全登へと視線を動かす。


「貴殿の情報に間違いがないのだろうな」


「間違いない。将軍は、3月1日に大御所のところに行く。そこが狙い目だ」


「うむ……」


 全登は、幕府側に間諜を忍ばせているといっており、異様に精度の高い情報を持ってくる事が多い。

 だが、正確すぎる事に時折、如水は不審を抱いていた。


 ……まあ、良いか。


 だが、如水は気にしない事にした。

 全登に何か思惑があって、自分達を嵌めようとしていたところで、今更、気にする事はない。

 全登の情報を信じて、襲撃が成功すればそれが最善。

 疑ってかかってみたところで、襲撃は延期。そうなれば、如水にとっては最悪だ。布団の上で黄泉路への道に旅立つ事になるだろう。


「儂は大御所の首を狙う」


「そうか。某は将軍を狙うぞ」


「ならば良い。儂は大御所の方が本命じゃからな」


 全登の言葉に、如水はそう返した。


 ……大御所の様子がおかしいという報告はあるがな。


 如水も、情報は仕入れている。

 大御所が影武者ではないか、という事もそういう可能性がある程度には考えていた。


 ……だが、大御所として振る舞っている事に変わりはない。


 戦場で大御所を名乗り、側近連中もそう言い張っているのであれば、それは本物と何も変わらない。

 討ち取れば、幕府に与える影響は大だ。


 何より。


 ……儂の名は不動のものになる。


 もはや、命は惜しまない。

 黒田如水という名を残す事にのみ執着する如水は、悩みを振り払うように目を閉じた。




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