229話 大坂の陣16
金剛秀国は、この日、二人の大名と顔を突き合わせていた。
福島忠勝と、黒田忠之である。
この二人は共に、将軍・秀忠から「忠」の字を授かっている。
彼らの父は江戸城に留め置かれており、いまだ少年の彼らが兵を率いてきていた。
「今宵は冷えそうですな」
忠之が言った。
「春の訪れは、まだ先のようじゃな」
親子ほどに歳の差があるが、同じ九州の大名という事で親しくしていた。
無論、何かあった時に備えて関係を深めておきたいという思惑があっての事でもあるが。
「気をつけた方がよいぞ。この寒さは九州に暖かさになれた我らには、堪える。大御所様も風邪を召されたそうだしな」
「そうでしたな」
ふと、徳川家康の本陣が置かれた茶臼山の方を見る。
九州勢は、今、この茶臼山の付近に配置されているのだ。
「最近、なかなか御姿を拝見できませんからな」
忠勝も、忠之も家康が影武者だという事には気がついていない様子だ。
それなりに付き合いの長い秀国も違和感を持ってはいるが、確信できるまでには辿り着いてない。
「まあ、思った以上に膠着状態になってしまったからな。案外、お怒りで、我らの前に顔を見せるのを嫌っておるのかもしれんぞ」
「確かに、我らにとっても大坂方の粘りは予想外でした」
「そうよな。敵勢を侮っておった」
「特に黒田如水殿とは何度かお会いした事がありましたが、あれほどの御方とは……」
彼は、徳川家康と豊臣秀吉が戦った慶長3年の関ケ原のあった年の生まれだ。
関ケ原以降、如水は戦場から遠ざかっており、当然ながら戦働きをしていた頃の如水の姿など知らない。
「某にとっても、予想外です。祖父がこれほどとは……」
忠之はそのさらに4年後の生まれ。
彼にとっての祖父は、父と反目していた老人といった認識ばかりが強く、あまり好印象は持っていなかった。
「そういえば、その貴殿の祖父は何か言ってきたりはしないのか?」
「いえ、祖父とはもう1年以上、連絡すら取っていません」
忠勝の言葉に心外、と言わんばかりに忠之は首を左右に振る。
嘘をついているような様子は全くない。
……もしかしたら、とは思っておったが。
調略は、如水が秀吉傘下の時代に得意としていた事だ。
羽柴秀吉と名乗っていた時代の、中国地方攻略に大きく貢献していた。
もっとも、そんな自信が裏目に出たこともある。かつて、織田信長に反旗を翻した荒木村重の説得にも赴き、逆に幽閉されてしまうといった事もあった。
そんな如水がやるとすれば、こちらの切り崩し。
説得しやすいであろう、孫の忠之は真っ先にその対象になるのではと疑ってみたが。
……まあ、ないとは思うが。
秀国も内心でそう思う。
そもそも、如水が出奔したのは黒田家と無関係である事を強調するためだ。今更、忠之を引き入れる事はないだろう。
「江戸城には、某の父上もおります。おかしな事はやりませぬ」
不快だ、と言わんばかりの口調だ。
「そうでしたな。これは失礼しました」
忠勝も、ふと思いついて尋ねただけなのだろう。
それ以上は追求する事なく、謝罪する。
だが、今のやり取りで微妙な空気が出来てしまった。
それを払拭するよう、秀国は強引に話題を変える事にした。
「忠之殿は、この戦が終わればやりたい事でもあるのか?」
ところが、忠之の口からは予想外の言葉が飛び出した。
「大船を作り、異国との交易を盛んにしていきたいですな」
「……しかし、幕府は」
秀国が言いづらそうに言う。
5年前に、幕府から大型船の禁令が制定されている。
かつて、明との交易で栄えた大内家のように、監視の目が届きにくい西国大名が拡大化し、異国との繋がりを強められる事を警戒してのものでもある。
黒田家は、幕府にとって要警戒。戦後の改易候補の対象の一つのはずだ。
にも関わらず、その事を忠之はあまり理解している様子はない。
「何とか許可を頂きたいと思っております」
華美を嫌い、節制を好んだ祖父とは異なり忠之は派手好きだった。
その忠之が異国との交易に興味を持つのは分かる。
「そうですな。ですが、大船は造るのにも動かすのにも大量の金がいります」
「しかし、伊達殿などは大船を建造してそれを出航させたというではありませんか」
「……ああ、そのようだな。しかし、伊達殿は95万石。我らの3倍ほどの大大名だぞ」
この場にいる3人は、いずれも30万石前後。
3人を足して、ようやく政宗に匹敵する。
「しかも、幕府から相当な支援を引き出したらしい。関ケ原以前からの親徳川大名であり、副将軍を自称しておる。外様では筆頭格ともいえる」
「ならば、私も此度の戦で功績を認めていただくまでです」
忠之はそう言うが、それは相当な困難だ。
……まあ、一人でやるだけならば構わんが。
自分達を巻き込むそうであれば、早いうちに距離を取った方がいいかもしれん。
内心で、そう思われた事を知らず、忠之は一人でやる気になっている。
「それにしても」
微妙な空気になったのを察したのか忠勝が話題を転じた。
「島津殿はよく兵が集まりましたな」
島津忠恒は、そもそも参戦できるかすら曖昧だった。
思うように兵が集まっていなかったらしい。
遅参、それどころか最後まで間に合わないのではという噂すらあった。
その原因は、かつて島津から離脱しようとした伊集院忠真の旧臣にあった。忠真は、徳川家康による仲介によって島津家と和睦。
だが、数年後に弟や母親達共々、忠恒によって謀殺された。
その際の不穏分子が未だに燻っていた。
それを理由に出兵は見送られるのでは、と言われていたが今回の戦いには8000ほどの兵を率いてきていた。
「まあ、九州の大名は皆、上様から危険な存在として扱われておる。機嫌を損ねたくはなかろうよ。多少は無理をする」
大御所が身罷るような事態になって、秀忠が名実共に幕府を牛耳るようになれば、大規模な改易がはじまるかもしれない。
「加藤殿はどうでしょう?」
ふと、九州の大名でこの場にいない大物の名を口にする。
……確かに、清正殿の方は幕府の信頼は厚いが、倅の方はどうかな。
家督はこの時期、清正の子の忠広に既に譲られている。
しかし、残念ながら忠広に父ほどの器量はなかった。
そして、それは目の前の二人にも、まるで同じ事が言えるのだ。
それゆえに、秀国はその事を口にする事はなかった。
一方、その加藤清正の陣。
相対するように座っているのは、片桐且元だった。
且元は、豊臣秀吉の元家臣。
他家を転々としていた時期もあったが、今は再び秀頼の元に戻っていた。
「美味いな。これは」
清正に出された酒を一口含み、そういった。
「うむ。尾張の酒だからな」
そう上機嫌そうに清正も飲み干す。
「遠い九州の地に行っても、付き合いのあった商人が忘れずに寄越してくれるのだ。やはり、故地の酒は格別よ」
そう言って、一気に呷る。
「お前にもこの良さが分かるか?」
「うむ。儂は近江の出身だが、この酒は美味い」
清正は尾張の出身だが、且元は近江の出身なのだ。
「であろう」
清正も上機嫌そうに言う。
「何分、最近、疲れが溜まる事が多くてな」
「……何かあったか?」
清正の視線が鋭くなる。
一方の且元は、言葉に詰まる。
清正は、太閤恩顧といえる大名ではあるが、秀吉が関ケ原で討ち死にし、幕府が開府して以降は豊臣とは距離を取っている。
親徳川といえるかは微妙なところだが、少なくとも恭順姿勢の存在だ。
迂闊に話すべきか迷っているようだ。
そんな迷いを察したのか、清正の方から言った。
「秀頼様におかしな事を吹き込む輩でもいるのか」
「……っ!」
「驚く事はない。それくらいの話は耳に入る」
こともなげにいい、清正は新たに注いだ酒を口元まで運んだ。
「大方、石田三成辺りか?」
反徳川の筆頭ともいえる名前を口にする。
かつて、小西行長ほどでないにせよ清正とも対立関係にあった相手だ。
「まあ、それは何というか……」
且元は言葉を濁そうとするが、清正は構わずに続ける。
「構わんよ。立場上、言いづらい事もあるであろうしな」
ふふ、と小さく笑ってから続ける。
「幕府も幕府で動きが怪しいしの」
「幕府が?」
「うむ。上様の発言力がさらに強くなっておる」
「上様の? だが、それは前からであろう」
秀忠が将軍になって10年以上の月日が流れている。
それは徐々に大御所・家康の権力を浸食していっていき、家康よりも秀忠を優先する大名が外様からも譜代からも出始めてきている。
「それにしてもおかしい。時折、軍議でも見ているが、以前はもっと上様も大御所様には配慮して、控えめであった。しかし、今は遠慮などというものがいっさいない」
影武者であるとまで見抜いておらなくとも、清正も今の家康と秀忠に違和感を持っていたのだ。
「幕府盤石、と思われたが、もう一度か二度は揺れるかもしれんな。なら、最後の好機に、と考えるのも考えの一つよ」
そう言ってから、口元についた酒を拭った。
「……意外じゃな。そのような言い方をするとは」
「そんなにも意外か?」
「ああ、以前に秀頼様を諫めたと聞くが」
「確かにな」
清正は頷いてから続けた。
「昔の儂ならば、断固として反対したであろうよ。三成にも噛みついたかもしれん。何を考えておるかしらんが、今の幕府に歯向かうなど、無謀としかいいようがない。どう考えても危険な賭けじゃ。しかし、今や秀頼様も成人し、豊臣家の立派な当主だ。三成に唆された結果であれ、自らの意思でその道を進むのであれば――是非もない」
織田信孝による決起の際、朝鮮半島から兵を引き上げた時、三成に怒りをぶつけた事もあった。
あの時は、一時的ではあるが本気で斬り殺してやろうとすら思った。
だが、今はそのような憤りはない。
かといって、三成と和解しようなどという気もない。
……身体の衰えなど些末なこと。これこそが老いかもしれんな。
自分の築いた加藤の家も、自分の家臣や民は何よりも大事だ。
加藤家と豊臣家を秤にかければ、今では加藤家の方に傾く。
だが、豊臣秀頼、そして豊臣家にもできれば残って欲しいとも思っている。
しかし、この数か月でそれも少しずつ薄れていっている。
ここ最近、何事にも興味を失っていくのを清正も理解していた。
以前の秀頼への忠言は、おそらく清正に残された最後の豊臣家への愛着が言わせたものだったのかもしれない。
……太閤殿下は、今の豊臣家をどう思っているであろうか。
ふと、久々に関ケ原の地で散華した豊臣秀吉の顔が脳裏に蘇る。
そもそもあの御方は、自分の死後など考えた事もなかったに違いない。
ただ、自分のやりたい事を続けた結果、天下人などという存在に近づいていったのだ。
しかし、秀頼が生まれ、豊臣家の安泰を望むようになり、家康排除を強行しようとして――返り討ちにあった。
家の安泰を望んだがゆえに、自分の破滅を招くとは皮肉な話ではある。
ただ、やりたい事をやる。
それを最期まで貫いていれば、あんな最期を迎えずにすんだのかもしれない。もっとも、家康があれから15年経っても健在である事を考えれば、結果的には賭けに出たのは正解だったかもしれないが。
あのままでは、秀吉が先に死に、豊臣家は緩やかな衰退が進んでいっただろう。
……まあ、良いか。
そこまで考え、清正は目を瞑る。
……少なくとも、儂が死ぬまでは豊臣家は残った。見守った。ならば、それで良いか。
加藤家を守り、豊臣家もできる限り守ろった。
……自分の死後までは責任が持てん。後は若い者達に任せるか。
再び大乱が起きる可能性を予見しつつも、清正はそれに参加する事はないだろう。そう確信していた。
清正は、自分の最期が近い事を悟っていたのだ。
そして、それは的中する。
且元と話した数日後に、清正は亡くなったのだ。
戦国の世を生き抜いた武士が、また一人減った。




