228話 大坂の陣15
慶長19年となった。
伏見城下にある屋敷に、伊達政宗はいた。
大坂の戦場を離れ、今はこの地に戻ってきていた片倉景綱と、伊達主従の久々の対面だった。
二人の前には祝いの膳が置かれている。
口数は互いに少ない。
膳にもほとんど手をつけようとはしない。
「……」
「……殿」
景綱が先に口を開いた。
「大御所様の件、おそらくは間違いないかと」
「そうか」
政宗が答える。
「何度か軍議でその御姿を拝謁しましたが、やはりあれは」
「別人――影武者か」
「はい。顔も声もそっくりではありますが、どことなく違和感があります。確証はありませんが」
「うむ」
「問題は、某ですら違和感を抱くような状態であるのに、何故、本物の大御所様が出てこないかという事です」
「そうよな」
政宗の返事は短かった。
「大御所様の安全の為の影武者、という可能性はもう低いな。そんな影武者を長い間、本陣に置いておく方がかえって危険だ」
「であれば、そうせざるをえない――そういう状況なのではないかと」
「うむ。儂も同意だ」
政宗は頷く。
「大御所様が病を患っているのではという話は、黒脛巾組がかなり前から掴んでおった。もしかすると、それが悪化しているのかもしれん」
「となると、大御所様は重症。あるいは――」
「おっと、その先は言ってはならんぞ」
政宗がここではじめて笑みを見せる。
「どちらにせよ、その前提で考えるのは楽観が過ぎる。しかし、容易に動けない状態である事に変わりはあるまい」
「すると大御所様は、駿府城でしょうか」
「その可能性もあるが――儂は、伏見城か二条城で密かに療養中だと考えておる」
「何故ですか?」
「万が一に備えてだ。駿府城や江戸城では、万が一があった場合、動けるのが遅すぎる。身体がまともに動かせず、指示さえ出せる状態であればそうする」
「なるほど」
景綱は頷く。
「して、その万一の場合とはどのような場合ですかな?」
「無論、幕府がひっくり返るような非常事態だ」
「なるほど。殿のような方が悪巧みをなさったりですな」
景綱もニヤリと笑う。
「ふふ。まあな」
政宗も頷き、笑いあった。
暫くした後、その笑いを消して無表情になる。
そのままポツリと言った。
「……できると思うか?」
「可能性は十分にあるかと」
短かな言葉。
だが、それで二人は通じ合った。
「様々な事態に備え、前もって打ち合わせはしてあります。そのための布石も打ちました」
「うむ。儂もそのつもりで、江戸城の方で下準備を進めて来た。全ては順調だ」
「はい。ですが、実際にはどのような不測の事態が起きるか分かったものではありません。かつて、明智光秀の裏切りによって本能寺で消えた織田信長公、対馬海峡に沈んだ信忠公、そして」
ここで一呼吸置いてから、続ける。
「殿の謀略で茂庭殿の裏切りによって関ケ原で、討ち取られた太閤のように。どのように順調であっても、予期せぬ事態は起きます」
「うむ」
政宗は頷いた。
「だが、最悪の場合に備えて常に慎重に動くのが儂のやり方じゃ。無理だと判断すれば、動かん。9割以上うまくいくと考えて、はじめて動く」
「ですが、1割程度の危険であれば、突き進むのが殿でありましょう」
その言葉に政宗も頷く。
「その通り。此度の計画。うまくいけば、成功する確率は低くない――はずじゃ」
政宗は自分の杯に酒を注ぐ。
「――婿殿にも話しておくか」
そのまま、杯を口元まで運ぶ。
「計画の事をですか? まだ時期早々では?」
景綱が眉を顰める。
時期早々などというのは建前であり、実際は違った。
彼にとって、忠輝の評価は高くない。
傀儡として彼を祭り上げる事には賛同しているものの、能力そのものは認めていないのだ。
今回の大坂の陣での失態などでも、その評価をさらに悪い方に更新している。
計画を話した結果、下手な事を仕出かして、秀忠辺りに勘づかれでもすれば全てが台無しになる。
「まあ、な。話すのは計画の一部だ。それはそれとして」
空になった杯を置き、政宗は口元を拭う。
「婿殿の甥がやらかしたそうだな」
「甥と言われますと――」
景綱は首をひねる。
何せ、忠輝の甥は多い。
次期将軍の最有力候補である家光や忠長などもそうだ。
しかし、「やらかした」という言葉で察しをつけた。
「忠直様ですか」
「そうだ」
政宗がニヤリと笑う。
「あの男、将軍の娘に斬りかかりそうになったらしい」
「まことですか」
景綱も驚く。
忠直は正室である勝姫と不仲である事は知っていたが、それほど悪化していたとは。
「ま、周囲の家臣共が止めたらしいがの。箝口令も敷いたらしい。だが、完全に隠し通せるものではない」
黒脛巾組が情報を入手し、即座に政宗に報告してきたのだ。
「となると、上様にも……」
「当然伝わっているな。松平の家臣連中は必死に隠すだろうが、隠し通せるものではない」
「それはそれは……」
景綱も、政宗の思惑を察したらしく、ニヤリと笑う。
「我らにとっては好都合ですな」
「そういうな。不忠者として上様に成敗されるかもしれんぞ」
そう言いながらも、政宗の顔も笑っている。
笑いながら、盃に酒を注いだ。
「となると、それゆえに忠輝様ですか」
「そうだ。忠輝様からの方が話を通しやすい」
「ふふ、だいぶ話が具体的になってきましたな。かつて、夢物語だった話がようやく現実になりそうです」
「なりそう、ではない。なるのだ」
政宗も上機嫌そうに杯を口元へ持っていった。
「某もだいぶ若返ってきたかのように感じますぞ」
一時期、病で弱っていた時期もあったが、今はだいぶ回復してきている。
景綱の肌にも気力が戻っているかに見えた。
「そのためには、お前もまだまだ元気でいてもらわねばならんぞ」
「そうですな。後3年は殿にお仕えする気でおりますぞ」
「……3年と言わず、10年でも20年でも頼む」
そういった政宗の言葉には、珍しく労わりが篭っていた。
政宗は冷酷な男だが、幼年期から自分を支え続けたこの景綱だけは特別らしい。
「ですが、殿。某よりも心配な男がおりますぞ」
「何?」
景綱の言葉に、政宗は首をかしげる。
「黒田如水です」
「あの男か……」
むぅ、と唸るように呟き半分ほど中身の残った杯を置く。
景綱とは対照的に黒田如水の体調が悪化している事も、黒脛巾組を通して知っていた。
「儂の野望の為にも、もう少し生きながらえてくれんものか」
景綱の時とは違い、野心に満ちた瞳で如水の延命の願いを口にした。
「そればかりは、どうしようもありませんな。敵陣にいる男ですゆえ、医師を紹介するわけにもいきませんし、祈るぐらいしか」
「奴が健在か否かで、多少、計画の内容が変わる」
だが、と政宗は続ける。
「それでも、大筋は変わらん。半年――いや、三か月後にこの日の本は大きく変動しているであろうよ」
そう宣言するように言うと、杯に残っていた酒を完全に飲み干した。




