227話 大坂の陣14
徳川秀忠の本陣。
そこに、将軍とわずかな側近しか近寄れない場所がある。
その側近以外でこの場所に近づいたものは、迷わず斬れと厳命してある。
そんな場所に、秀忠はいた。
「……間者共の報告では、浪人共は動揺しておるようだが、まだそれだけだ」
「そうですか。交渉が進むにはまだ時間がかかりそうですな」
相対する男が答える。
本来、この場所にいないはずの本多正信だが、密かに呼び寄せていたのだ。
「父上の容態はどうなのだ?」
秀忠が訊ねる。
「今は安定しております。ですが、安心はできませんな」
正信が答えた。
「……」
秀忠は顎に手を当てて考え込む。
……いっその事、この機に総攻撃をかけてみるか。
だが、現実問題として今、大坂城を無理に攻撃しても落とせる可能性は低い。
松平忠輝や忠直の失敗も頭をかすめる。
……全く、あいつらの事を考えただけで苛立つ。
処分を下してはいないとはいえ、本音をいえば即座に改易してやりたいほどだ。
しかし、この状況下でそんな事をしてしまえば、幕府軍に与える影響は大きい。
忠直を不快に思う理由はそれだけではない。
秀忠の三女であり忠直に嫁いでいる勝姫から、普段の生活に関しても手紙で知らされているのだ。
それによれば、素行は良いとはいえず、夫婦仲もよくない。
……いや、忠直の事など後回しでいいか。
何とか、苛立ちを飲み込み、頭に冷静さを戻そうとする。
……父上には申し訳ないが、今は全てが順調なのだ。
織田家を残す方向で考えている大御所・家康が病に倒れた影響により、同様の意見を持つ者達の発言力も下がっている。
元々、将軍派の権力が大御所派を圧倒しはじめていた。
しかし、今はさらに力を増している。
……だというのに、後一歩がなかなかうまくいかん。
この距離でもはっきりと見える巨城を見上げる。
幕府の大軍で包囲し、後一歩まで追い詰めているというのにその一歩がなかなか進まない。
それはまるで、自分と大御所・家康の関係と同じに思えて来た。
将軍の発言力は今や大御所を上回っている。だが、それでも完全に好きにできるわけではない。
影武者を置いてはいるが、背後に家康は健在。さらには本多親子のような秀忠よりも家康に忠誠を誓う者達が横槍を入れてくる。
「大坂方は和睦に応じる事はないのであろう」
「はい。和睦交渉は決裂してしまいましたし」
織田有楽斎などを通じて行われた休戦交渉は、流れた。
秀信は徹底して首を縦に振る事なく、条件でも折れる事はなかった。
和睦どころか、一時的な休戦すらできずに年が明けようとしている。
大坂方を完全に滅ぼす気でいる秀忠にとって、むしろありがたい事ではあったのだが問題もないわけではない。
大名や兵達の間に厭戦の空気が漂い始めていたのだ。
「このままでは、大名連中の士気が下がるかもしれんな」
「それでしたら、新年を祝うため、伏見城下の大名屋敷に大名達の妻子を招いてみるのはどうでしょうか」
「なるほど。息抜きにはなるかもしれんな」
秀忠は冷徹な男ではあるが、武将達の士気の高さを保つ事の重要性にも理解を示していた。
「かつて、太閤は信忠公の北条攻めの際、長陣による士気の低下を危惧しておられました。故に、妻子を、そして茶に囲碁や将棋などの名人も呼び寄せようという案を出した事がありました」
「ほう、そんな事があったか」
織田信忠による小田原攻めが行われたのは、秀忠がまだ幼い頃だ。
大まかな話は知っていても、詳細は知らない。
「では、我らも伏見城や二条城の大名屋敷に駿府城や江戸城にいる人質連中を呼び寄せるか?」
「それも良いかもしれませんな?」
諸大名の人質は江戸城と駿府城に分散する形で留め置かれていた。
当然、その人質の多くは大坂城を囲んでいる大名達の妻子だ。長い間、顔を合わせる事ができなければ不満の矛先が幕府に向かわないとは限らない。
「だが、それでも大名連中や人質連中の全員で揃って新年を祝うとはいかんぞ」
「それは当然です。時期をずらして呼び寄せましょう」
正信も頷く。
「それでしたら、今は江戸城にいる福島正則殿はどうされます?」
「……奴か」
秀忠が顔をしかめる。
福島正則もこの時、江戸城にいた。
兵を率いているのは子の忠勝であり、江戸の正則は名目上は江戸城の守りという事になっていたが実質的には人質だ。
「大御所様は、福島殿を頼りにしておられます。やはり、大坂攻めに加えずとも、久々に話したいと言っておられます」
秀忠とは対照的に家康は正則の力を高く買っていた。弟の福島高晴が駿府で騒ぎを起こした際、それを取りなしてのも家康だった。
「まあ、父上もだいぶ弱っておられるようだからな。戦国の世の数少ない生き残りに会いたいのかもしれんな」
秀忠は不満そうながらも、反対はしていないようだ。
正信は話は変わりますが、と続ける。
「江戸には今、あの男もいるようですが」
あの男、と言っただけだがその警戒心の込められた言い方で秀忠は誰の事を言ったのかすぐに分かった。
「伊達政宗か。此度の大坂攻めでは奴の倅も参加しておるからの」
正則の時とは違い、いくらか口調が柔らかい。
政宗に警戒心を持っているのも秀忠も同じだが、息子の秀宗との関係は悪くない。
「本人は隠居したなどと言っておられますが、何を企んでいるのやら。何より、奴は大久保長安の公金横領に加わっていた疑惑があります」
「またその話か」
秀忠は一つ息をつく。
伊達政宗に、大久保長安事件の際、彼の横領した金が政宗のところに流れたという噂があった。
だが結局、証拠はなかった。
「それだけの金があれば、相当の事ができます」
「だが、証拠はなかったのであろう」
もしあれば、提出しているはずだ。
大久保長安は松平忠輝の家老でもあり、忠輝は政宗の娘婿だ。
「はい」
珍しく悔しさが顔から滲み出ている。
かつての政敵、大久保忠隣への執着は相当なものだ。
忠隣が完全に失脚した今になってもそれは衰えていない。
……この男らしからぬ事だな。
無論、徳川家の事を考えているのは事実だろうし、政宗への警戒心も本物だろう。
しかし、私怨も混じっているように見える。
そうした執着に幕府の力を利用しようとする事に、秀忠は良い気がしなかった。
……だが、気に食わない老人だが、この男は優秀だ。
徳川家康を、天下人の座につかせるまでの覇業に大きく貢献した本多正信の忠告だ。
それに、政宗の失脚は娘を娶る忠輝の失脚にもつながる。
政宗以上に忠輝の失脚に、秀忠が拘りがあった。
……やはり警戒するに越した事はないか。
秀忠は頭の中で政宗への警戒度を上げた。
大坂城の一室。
「……そうか。和睦の話は流れたか」
掛け布団を力なく動かした状態のまま、黒田如水が言った。
「はい。やはり反対意見が強いようです」
答えるのは、後藤基次だ。
「賛成意見は昔からの織田家臣ぐらいか」
「そのようです」
基次は同意した。
大半は、この半端な状態での和睦を嫌った。
浪人勢にとって、自分達が贄にされる可能性が高い。
秀信家臣達も、織田の存続を望む古くからの重臣の中の多くは賛成派だが、中には反対する者もいる。
それは、思いのほか善戦してしまったという事も大きい。
西国戦線では大敗を喫したものの、大和方面では幕府軍を叩きのめした。
大坂城に籠ってからも、なかなか致命傷を与えさせない。
「だが、緩やかではあるが、確実に織田は首を絞められておる」
如水は冷静な口調で言った。
今回の幕府との戦いで何度も手柄を立てた如水からしても、大局的にみればやはり織田が不利なのだ。
「何とかせんと、まずいな。このまま戦いが続けば、確実に負ける」
如水はそう言いながら、報告書に目を通している。
「……その、御身体の方は」
遠慮がちに訊ねる。
黒田如水の体調は、ここ数週間で急激に悪化した。
大和へ侵攻し、幕府軍を蹴散らした時の面影はない。松平忠直らの軍勢を叩きのめした辺りから、身体の不調を感じ始め、ここ暫くは臥せっている。
「問題ない」
そうは言うが、明らかに体は弱り切っている。
開戦当初、大和へと侵攻した頃の面影はない。
しかし、瞳に宿る強い意思の色は健在だった。
「年が明けて――暫し経った頃に仕掛ける」
ぼそり、とあまりに小さい一言だったため、基次は最初聞き逃した。
「は?」
「勝負を仕掛ける」
「幕府に、ですか?」
「他にどこがある」
ふふ、と如水は笑う。
「しかし、どうやって……」
現状、幕府軍を押し返しているとはいえ、圧倒的に不利な状況は変わって
いない。
「まあ、勝算があるとはいえんな」
「でしたら……」
如水は黙って首を横に振る。
「まあ、織田時代の家臣連中にとってはある程度は不利であっても和睦を結べればそれは今の織田家にとっては『勝ち』であろう。しかし、儂や他の浪人連中にとっての『勝ち』ではない」
「……」
「儂らにとっての勝ちは、幕府軍の撃破じゃ。それ以外にない。ならば、危険が高くてもやるしかない。浪人連中にも話を通す必要があるからの、新年までに一人一人、儂のところに呼び寄せておいてくれ」
これがもし、かつて豊臣秀吉に仕えていた頃ならば間違っても無謀な策などしなかっただろう。
うまくいく可能性はほとんどないのだ。
こんなにも危険の高い策をとるくらいながら、交渉事に全力を注いで少しでもいい条件をもぎ取るべきだし、それこそが忠義といえるだろう。
だが、織田秀信に関してそこまでの忠誠心はない。
一応、雇われた恩もある以上、最低限の義理立てはする気ではいるが、自身の目的である最期の花道を飾るという目的の方が優先されるのだ。
……だが、もしうまくいけば敵に大打撃を与える事ができる。
如水は起き上がる。
再び体には闘志が蘇りつつある。
……その時が来たら、今度こそ儂の最後の戦いとなる。
決意を胸に、いずれ来るであろう幕府軍との戦いを思い浮かべた。
慶長18年――西暦では1613年――が終わり、新たな年になろうとしていた。
後世に大坂冬の陣と呼ばれる事になるこの戦いは、次の局面を迎えようとしていたのである。




