226話 大坂之陣13
この日、大坂城に雪が降った。
「初雪ですな」
伊達秀宗の陣。
片倉景綱が秀宗に言った。
「うむ。この辺りでは早いのか? 我らにとっては遅すぎるぐらいだが……」
秀宗は、ほとんどを奥羽で過ごして来た。
そのため、温暖な気候の事など分からない。
「はい。例年であれば、あと半月は先だとか」
「そうか」
秀宗はそう言いながら、歩き回る。
兵達に緩みは見られないし、寒さに苦戦している様子もない。
伊達の兵にとって、この程度の寒さなど慣れているのだろう。
「九州や四国の兵は大変であろうな」
「そうですな。まあ、九州や四国といっても福島殿や藤堂殿のように上に立つものは違う場合もありますが」
福島正則や加藤清正は尾張出身。
藤堂高虎は近江の出身だ。
九州や四国の大名といっても、かつての豊臣家は旧織田政権が母体となっている。当然ながら、尾張・美濃・近江の出身者が多い。
「それでも引き連れている兵達は、別であろう」
秀宗の言葉にそうですな、と逆らう事なく頷いてから、
「ところで、和睦交渉が進んでいる事に関してはご存知ですかな?」
「和睦? それは相当に難しいという結論ではなかったのか?」
景綱の言葉に秀宗は怪訝そうな顔をする。
「はい。ですが、一時的な休戦であれば可能性はあります」
「何、そうなのか?」
意外そうな顔をする秀宗に、景綱は説明する。
「大坂方も、仕切り直したいと考えているのです」
「仕切り直し?」
「はい。膠着状態が続き、浪人勢の士気は下がり続け。下手をすれば、浪人勢に大坂城を乗っ取られるのではないかとまで考えているのでしょうな」
くく、と小さく笑う。
「では、幕府には休戦する理由などないではないか。このまま戦が続けば、幕府が有利なのだぞ」
秀宗の言葉に景綱は言葉を濁す。
「どうでしょうな。幕府にも案外、弱味はあるかもしれませんぞ」
「……そうか」
秀宗は一つ息をつくと、白湯を口に運ぶ。
経験豊富であり、父・政宗の信頼の厚いこの男の事は信頼しているが、完全に信用できないところがあった。
あくまでこの男は、父の忠臣であって自分にとっての忠臣ではない。
こういって言葉をぼかす事が度々あり、その度にそれを感じ取ってしまうのだ。
伊達家の抱える黒脛巾組からの報告も、景綱を通じて伝わってくる。
政宗が何やら企んでいる様子もあるが、その詳細を秀宗は知らされていない。
「もっとも、大坂方が何も手を打てないようであれば、このまま滅びる可能性も高いですが」
「構わん。私にとって、織田は妻の実家の仇でもあるしな。その方が良い」
秀宗の正室は、井伊直政の娘なのだ。
「そうですな」
景綱も逆らわずに頷いた。
「その井伊直政殿の件がなければ、和睦はもっと簡単だったのでしょうな。あの件は大坂方だけでなく、幕府の穏便派にとっても大きな痛手でした。幕府からすれば、面子を潰された以上、生半可な条件では和睦できなくなりましたからな」
「現状では難しいのか?」
「はい。幕府が望んでいるのは、織田家が明確な形で傘下の一大名になる事。その為に人質を江戸に差し出し、国替えに応じるのは最低条件でしょうな。その上で織田秀信は最低でも隠居」
「確か、織田秀信に子が何人かおったな」
「はい。嫡男の他に庶子もいます。おそらくは嫡男に家督を、庶子のいずれかを人質に、という事になるでしょうな」
これは、決しておかしな事ではない。
有力大名達は皆、江戸に人質を送っているし、これは豊臣時代や織田時代もそうだった。
にもかかわらず、天下人となった徳川は今の織田をかつての主家とはいえ例外扱いし続けていた。
これはからはその特別扱いをやめ、天下城とも呼ばれる大坂城から追い出す気だろうと思われていた。
「そういえば、父上は今、江戸城なのか?」
「はい。殿は今、色々とやるべき事がありますゆえ」
その「やるべき事」とやらを問いただしたいが、景綱ははぐらかすだろう。肝心な事は、政宗とごく一部の側近達で決めている。
茂庭綱元の出奔に関してもそうだった。
秘密を知る者は少ない方がいいという事なのだろう。
最も、だからこそあの豊臣秀吉すら欺く事ができたのだ。
それが分かるだけに、秀宗としても面白くない。
「仙台の方は大丈夫なのか?」
「今は、忠宗様が領内の統治を任されております故」
秀宗が一瞬、顔をしかめる。
秀宗も政宗の子だが、後継者として有力なのは異母弟の忠宗なのだ。
正式に家督継承をしたわけではないが、概ねそうなるだろうと思われていた。
「忠宗はまだ経験も足りまい。父上がいなくとも良いのか?」
「仙台にも残った家臣はおりますゆえ」
先ほどから、聞きたい事をはぐらかされている気もする。
不満に思いながらも秀宗はさらに訊ねる。
「それで、その父上は江戸で何を?」
長い事、政宗は江戸城に留まっている。
秀宗はその詳細を知らされていない。
「福島殿や黒田殿なども江戸におりますし、世間話でもするつもりなのではないでしょうか」
景綱は無表情のまま答える。
「……そうか」
やはり肝心な事ははぐらかしてくる。
そう確信した秀宗は立ち上がった。
「どちらへ?」
「今日はもう寝る」
秀宗は、景綱から離れて歩き出した。
……父上に考えがあるのは分かる。それも良からぬ企みだ。それにどうこう言うつもりはない。だが、こうまで秘密にされるといい気はせんな。
以前に、似たような事を伊達成実が愚痴っていた事を思い出す。
彼もまた、一部の側近のみを信頼して決めてしまう政宗に不信感を抱いている一人だった。
速足で景綱から離れていく。
だが、いくら距離をとろうとも景綱の無表情の視線に貫かれているような気がした。
豊臣秀頼の陣所。
秀頼の傍らには、大野治長と石田三成が控える。
その二人の前にいるのは、土井利勝だ。
「紀伊国の件でして」
利勝が切り出した。
「はい、秀頼殿に協力を願えないかと」
「しかし、今の豊臣家には……」
秀頼は言葉を濁す。
利勝――というよりは徳川幕府は、利勝に豊臣秀長の旧臣を貸して欲しいと頼み込んでいた。
かつて、紀伊国は秀長の領国だった。
関ケ原合戦の後、秀長はその領土全てを幕府を開いた徳川家に差し出し、交渉材料とした。
その家臣団は、それぞれの道を行き、姫路の秀頼率いる豊臣家に仕える者もいれば、豊臣と離れれ独自路線に行った者もいるし、新たな紀伊の領主となった浅野家に仕えた者もいる。
「桑山重晴は既に亡くなっておりますし……」
かつての秀長の片腕ともいうべき男の名をあげた。
重晴は、大坂城や姫路城にいる時期も長かった秀長に代わり、紀伊国の国政に携わり、和歌山城でも病身の秀長に代わり事実上の城主のように過ごしていた時期もあった。
しかし、既に故人となっている。
「ならば、藤堂殿の方が詳しいのでは?」
三成が口を挟んだ。
藤堂高虎も、重晴同様の秀長の元重臣。
こちらは存命者であり、外様大名だ。紀伊国の事情にも詳しい。
現在は豊臣から完全に独立。
外様でありながら、家康からも秀忠からも信頼の厚い数少ない人物だった。
「藤堂殿はやる事が多い。これ以上、負担を増やすのもどうかと思いましてな」
その信頼の厚い高虎と比較するような物言いに、三成が反論の言葉を出そうとするよりも先に、秀頼が言った。
「そうですか。では仕方がありませんな」
そんな三成を無視するようにし、利勝は話を戻す。
「紀伊は摂津からも近い。早急に紀伊を平定させなければ、この大坂での戦いにも影響が出る可能性があります」
「ふむ……」
秀頼は考え込む。
利勝は丁重な言い方をしているが、実質的には命令も同然だ。
今の豊臣家に、徳川家からのお願いを断れるはずがない。
「どの程度、お力になれるか分かりませぬが……」
現豊臣の家臣である、秀長旧臣の何人かを派遣するように言った。
利勝も満足そうに頷いてから、帰っていった。
「何と無礼な態度だ」
利勝が退室してからも、三成は憤っていた。
「まあ、我らは今では単なる外様大名。一方のあちらは将軍からの信頼が最も厚いと言われる男だ。仕方がなかろうよ」
治長は幾分か冷静な様子で言った。
「それにしても、あの態度はなかろう」
三成は憤慨したまま苛立った様子で言った。
利勝がいかに幕府で絶大な権限を持とうと、石高でいえば4万石程度だ。それに対し、秀頼は50万石を優に超える大身であり、かつての関白であり天下人に最も近い位置にいた豊臣秀吉の子だ。
いくら何でも無礼すぎると考えているのだろう。
「……今のままでよろしいのですか?」
「何がじゃ?」
三成の言葉に、秀頼は一つ息をついてから聞き返す。
「幕府は、我らを完全に見下しております。このままでは、次の織田家が我らになる可能性もあるのですぞ」
「その気なら、何年も前にそうしているであろうよ」
秀頼はそっけなく答える。
事実、その通りでもあった。
豊臣秀吉が関ケ原で打ち取られ、豊臣の力が大きく衰えて15年。
幕府が本気で潰す気でいたのならば、とっくの昔にそうなっていた。しかし、家康はそれを望まなかった。
「それは大御所が健在だったからでしょう」
しかし、三成は反論する。
「大御所は気に食いませぬが、豊臣を残そうという気はあります。ですが、将軍やその子飼い連中は豊臣を疎んでおります。連中が幕府を牛耳るようになれば、豊臣に未来などありませぬぞ」
「言葉が過ぎますぞ」
治長が窘めるように言った。
既に利勝は退席し、豊臣家の関係者ばかりとはいえ、大声で話すべき事ではない。
「そうですな。失礼しました」
意外にも三成は引き下がった。
そのあまりにもあっさりとした様子に、治長も逆に拍子抜けした様子だ。
しかし、と秀頼と治長に続ける。
「このまま豊臣の未来が明るいとは思えませんぞ」
「幕府に取り潰されるとでも?」
「その可能性はあります」
「だが、我らも幕府の傘下で生き残れるよう努力をしている。千姫様を迎え入れておるし――」
治長の言葉を三成は遮るようにして、秀頼に対して言う。
「幕府の本多正純から、千姫様の入輿について持ち掛けられた際にも、某は申し上げましたが、将軍は実の息子でも娘でも、孫であろうと躊躇する男ではありません」
「むう……」
秀頼も唸る。
千姫の間に子はいない。
側室の間に生まれた男子・国松が一人生まれているが、未だに対面すらしていない。
これは千姫に――そして幕府への配慮からだった。
豊臣の後継者は、徳川の血を受け継いだ者へと渡す。
そうする事で、改易の可能性を少しでも取り除くためだ。
だが、それでも将軍は躊躇せず豊臣は潰す。
三成は強く宣言した。
加藤清正や立花宗茂からの言葉を受け、徳川家に忠誠を示す事のみを強く決意した秀頼だが、三成の言葉に再び揺れはじめる。
……だが、どうしろというのだ。
しかし、そうだとしても手はない。
強大な力を持つ幕府に足掻いたところで、今まさに滅亡の瀬戸際に立たされている織田家のようになるだけだ。
ただ、三成の警告する言葉のみが秀頼の頭の中で再現され続けた。




