225話 大坂之陣12
「上様」
とある日の軍議。
藤堂高虎が発言した。
「命じられていた、大坂方の南条元忠の調略に成功しました」
南条元忠は伯耆の羽衣石城の元城主。
関ケ原合戦では豊臣秀吉に味方した為、戦後に改易。
現在は浪人となり、大坂城に入っていた。
しかし、大坂方への忠誠心は高いモノではなく、味方につける事も可能だと判断した総大将の徳川秀忠は高虎に調略するよう命じていたのだ。
旧領への復帰を条件に懐柔し、ついに「機会がくれば」と返事をよこしたのだ。
「おお、よくやった」
報告を聞いた秀忠は、上機嫌そうに答える。
「上様、これは好機なのでは」
ここで、松平忠輝が口を挟んだ。
「……好機?」
「その南条元忠は、今は黒田如水と内藤如安の守る出丸にいたはず。元忠に内通させれば、それを制圧する事も不可能ではないはず」
「まだ時期ではない」
秀忠が不機嫌そうに返した。
「しかし、半月ほど膠着状態が続いているのですぞ。それでよろしいのですか?」
忠輝のいうよう、前哨戦こそ派手だったものの、以後は互いに牽制しあうだけの状態が続いた。
「確かに、な。だが、まだまだ大坂方の士気は高い。時期が早すぎる」
「ですが……」
「くどいぞ」
それ以上は聞く耳を持たないといった様子だ。
「上様! 某も同意見ですっ」
口を挟んだのは、家康の孫であり秀忠の甥でもある松平忠直だ。
「お前もか……」
忠輝同様に気にくわない相手であり、戦後の改易候補の相次ぐ意見に秀忠の冷徹な顔がさらに不快そうになる。
「大坂方は栄螺のように閉じこもる腰抜け揃い。ここは、我ら幕府勢の強さを見せるべきかと」
「……」
秀忠が冷たい視線を注ぎながら、他の大名達の様子を伺う。
「某も同意です。今こそ動くべきではないかと」
忠輝に加勢するように言ったのは、井伊直孝だ。
元々、井伊直政の仇を討ちたがっており、燃えている。
さらには若江・八尾の戦いで、大坂方に言い様に翻弄されたせいか、手柄には飢えていた。
だが、そんな直孝にも秀忠は覚めた視線を送る。
……ふん。どいつもこいつも。
「しかし、現状、我が軍が敵を包囲して一か月以上経とうとしております。これ以上、膠着状態が続けば士気にも関わるかと」
本多忠朝も不満そうに言った。
「それがどうした。長期戦になれば不利になるのは、織田秀信の方だ。間者共の報せでは、奴らの兵共も不安を口にするようになったらしいぞ」
事実だった。
秀忠が大坂城に潜り込ませた間者達は、そう報告してきている。
元々、浪人勢のほとんどは織田家に忠誠を誓って集ったのではない。
他に行く当てがなかったり、幕府に怨みがあったりといった動機だ。
幕府との戦が続いているうちは、そちらに集中できてまだ良かった。
だが、本格的なぶつかり合いがしばらくなくなった今、小さな不満や不安が浪人勢の中に芽生え始めていた。
織田家は自分達をいつまで雇い続けてくれるのか、幕府との和議が成立してしまえば、自分達はその交渉条件として言い様に使われてしまうのではないか。
そういった思いから、元々の織田家臣との間に溝ができ、不穏な空気が漂うようになっていた。
「本格的な冬となれば、物資の消費も増える。寒さも堪えるであろう。そんな時こそ、寒さに慣れた北陸勢のお前らの見せ場ではないか」
秀忠は皮肉げに言う。
「とにかく、将軍としてはお前らの案は却下する。今はまだ時期が早すぎる。そうですな、大御所」
「うむ」
家康の影武者も頷く。
将軍と大御所がそう決定した以上、諸大名も納得せざるを得ない。
この日の軍議はそれで終わった。
それでも、秀忠の中で侮りがあったのも事実だ。
大坂方に、ではない。
味方である忠輝と忠直にだ。
忠輝と忠直は結託し、独断で大坂方の出丸への攻撃を決断したのだ。
二人は昵懇の間柄である北陸勢の大名を密かに呼び寄せ、味方につけた。
そして忠輝は、秀忠の命令であると高虎を通じ、元忠に内部から攻撃するよう指示を出した。
しかし、その南条元忠の寝返りは直前で露呈していた。
城内で切腹させられてしまうのだが、幕府軍はそれを知るよりも早く攻め寄せた。
松平忠輝、同忠直、本多忠朝、井伊直孝、前田利長、丹羽長重らを中心とした軍勢である。
「やれ、やれーっ!!」
先頭にいた部隊がまとめて鉄砲の餌食になる。
だが、南条元忠がいずれ寝返ると信じている幕府軍は構う事なく突撃を続行させた。
犠牲者が増えていく。
様子がおかしい事に気がついたのは、数百人の犠牲者が出た後だった。
……南条元忠は寝返るのを躊躇したのか? あるいは、感づかれたのか。
指揮を執る井伊直孝に焦慮の思いが高まる。
無論、この時点の直孝の状況では判断ができない。
しかし、未だに何の動きを見せない以上、南条元忠に何かがあった事は分かる。
……このままでは、まずい。
忸怩たる思いはある。
だが、ここで判断を誤ると致命的な事態に繋がりかねない。
「やむをえん! 撤退するぞっ」
そこからの決断は早かった。
馬腹を蹴り、声を張り上げる。
「撤退だ、撤退!」
さすがは、井伊の精強部隊だ。
前線指揮官達の判断も早い。
いち早く部隊をまとめ、撤退していく。
前田勢がや丹羽勢も続々と撤退していく。
だが、それでもこの判断は遅かった。
撤退が完了するまでに、かなりの人数の犠牲者を出してしまったのである。
幹部武将達に犠牲者は出なかったものの、その数は大きかった。
松平忠輝達の失敗を知った秀忠は激怒した。
「一体、何をしておる!」
この戦が始めってから、はじめてともいえるほどの凄まじい形相だ。
手は震え、顔は朱に染まっている。
幕府勢の犠牲者の数は多い。とはいえ、決して立ち直れないほどの大打撃というわけではない。だが、自身の判断を無視して暴走した忠輝と忠直には怒り狂っていた。
「も、申し訳ありません……」
忠輝としても反論の余地はない。
ただ震えた体で、兄の次の言葉を待った。
「私の言葉を忘れたのか? それとも、私の事など無視しても良いと思うておったのか!」
「そのような事は……」
忠輝は震える。
秀忠を軽んじるような態度から、出撃を行ったのは事実だ。だが、見返すどころか言い訳のしようがないほどの大敗だった。
「その、直孝と忠朝が……」
忠輝は動揺に震えるような体で縮こまり、忠直は直孝の名を口にした。
「直孝と忠朝がどうした?」
苛立った様子のまま、秀忠は今度は忠直の方へと顔を向ける。
「今が好機故、と……」
「馬鹿者が」
ぎろり、と秀忠の視線が忠直を貫く。
怒りも冷えたのか、怒り狂っていた先ほどまでとは違った冷たいもののだった。
「この愚か者が。己の失態を棚にあげ、直孝と忠朝に罪を押し付ける気か?」
「そのような事は……」
忠直は縮こまる。
秀忠はそれにちっ、と小さく舌打ちしただけで視線を忠輝に戻す。
「どう責任を取る気だ。お前ら二人揃って腹を掻っ捌くか?」
「い、いえ。大御所様の子である私がそのような事をしては、全体の士気にも関わるのではないかと……」
「ふん。己の命が惜しいだけであろうに」
吐き捨てるような口調だ。
「無能が。いや、無能なだけならまだしも余計な事をして足を引っ張るとはな」
重なる罵倒に、忠輝も忠直も耐えるしかない。
怒りのためか、屈辱のためか。忠輝と忠直の手が小刻みにぷるぷると震えている。
それに気づいても、秀忠は冷たい視線を注いだままだ。
「第一、お前らは自分の保身ばかりを考えておるようだが、巻き込んだ大名連中や付き従う兵の事を少しでも考えたのか? どれだけの犠牲者が出たと思っておる」
「申し訳、ありません……」
平伏する二人にはっ、と一つ失笑をしてから、
「だが、まあいい。お前も今言ったように、大御所様の子である事にかわりはないし、忠直は孫だ。そのお前らが切腹とあっては、諸大名に与える影響も大きい」
「そ、それでは……」
忠輝と忠直が希望を取り戻したかのように顔を輝かす。
その二人に対し、冷然と告げた。
「此度は処分を保留にしてやる。だが忘れるな、不問にしたわけではない」
「はっ……」
平伏する二人に冷笑を浮かべ、小さく呟く。
「この役立たずめ。やはり戦後には不要な存在か」
「――っ!」
かなりの小声ではあったのだが、忠直の聴覚は鋭かった。
しかし、この状況で下手に言葉を挟むわけにはいかない。
「これからは、もう余計な事は許さん。大人しく私の判断にだけ従っていろ」
忠輝と忠直を追い返した後、側近達を集めた改めて軍議を行う。
結果、強引な力攻めに効果は薄いと判断した幕府軍首脳は、カルバリン砲やオランダから輸入したカノン砲などを用いての長期戦へと計画を戻す事にしたのだ。
射程距離は長く、命中はせずとも大坂方の重鎮に重圧を与える事ができる。
無論、和製大砲も大量に用いた。
砲術家として知られる、稲富重次の指南もあり、それは見事なものだった。
まるで休まる間もなく、命中せずとも大轟音は兵達を心理的に追い詰める。
そんな中、浅野幸長の治める紀伊の国で騒ぎが起こる。
大坂へと浅野家の兵の大半を動かしたこの機に、浅野家の統治に不満を持つ者達が決起したのだ。
慌てた幸長は、幕府に許可を得て弟の長晟に兵の半数を預け、国元へと戻らせた。
状況は膠着しながらも、不穏な空気のまま、季節は完全な冬へと移りつつあったのである。




