222話 大坂之陣9
月一更新を心掛けておりましたが、今月はちょっと遅れてしまいました。
大坂城を包囲された織田軍だが、このままというわけにはいかない。
長期戦となれば、20万の兵を養う幕府軍が不利――となるのは、織田軍に援軍の見込みがある場合のみ。
既に、将軍・徳川秀忠は諸大名に起請文を提出させ、改めて譜代・外様を問わずに忠誠を誓わせ、人質も自発的に差し出させた。
だが、それでも用心深い秀忠は彼らの忠誠心を心の底から信じたわけではない。
前田家に関する不穏な動きは秀忠の元にも届けられ、それを知った秀忠は忠誠を試すために前田利長に出撃を指示した。
前田利長だけではない。
旧織田系列の武将である丹羽長重、蒲生秀行らにも出撃を命じた。
大将となったのは、松平忠輝。
彼もまた、秀忠からその忠誠を疑われている男であり、戦後の改易候補の筆頭だ。
黒田如水、明石全登がその軍勢を迎え撃った。
数こそ劣るものの、巧な用兵で幕府軍を翻弄する。
幕府軍の犠牲者が増えだした。
秀忠も、本格的な城攻めにするつもりはなく、撤退を決断。
黒田如水も元々は長期戦を想定している。必要以上の追撃をする事なく、この戦いは終わった。
海の方でも大坂方は反撃を見せる。
小西旧臣の淡輪重政らを中心とした織田水軍の残存戦力で出撃。
海上に浮かぶ幕府水軍へと、明朝に襲撃をかけた。
既に壊滅したも同然と思われた水軍の襲撃に幕府水軍は驚愕した。
油断もあった。
幕府の軍船に攻撃を加えた後、手早く撤退。
態勢を立て直した頃には既に織田水軍は撤退を完了していた。
幕府水軍を指揮する向井忠勝にとっても予想外ともいえる織田水軍の反撃だった。
何隻かが部分的に破損しただけであり、沈没した船はない。
だが、完全に制海権を奪ったと思い込んでいた幕府水軍にとってはかなりの衝撃を与える事に成功した。
幕府軍の本陣。
幸先良い出だしだと思われたにもかからず、躓いた。
皆の顔色は良くない。
だが、総大将である将軍・秀忠の顔には余裕の色がある。
大御所・家康――影武者であり、実質的にも名目上も飾りだけの存在ではあるが――は無言のままだ。
「大坂城はやはり天下の名城。一筋縄ではいかんな」
秀忠が言う。
有力大名達が揃っての軍議だが、他に発言する者はいない。
「上様」
本多忠朝が発言の許可を求めた。
秀忠が頷く。
「次の出撃は是非とも某に」
「……うむ。その時には、な」
だが、秀忠の返事には力が込められていない。
秀忠にとって、譜代大名や忠誠心を疑っていない外様大名にはあまり損耗して欲しくない。
力が削がれるのであれば、戦後の改易候補ともいえる大名達が望ましいのだ。
今見せた忠朝の忠誠は、有難迷惑と言えた。
忠朝もそんな秀忠の思惑を感じ取ったのか、それ以上に強く言う事なく黙り込む。
「是非とも某にも!」
忠朝に続き、勢い込んで発言したのは、井伊直孝だ。
……またか。
秀忠は内心で舌打ちする。
この両名の言葉に、八尾・若江の戦いでの苦い記憶が脳内で再生される。
……何とか華々しい戦果が欲しいのであろうが、私が何を求めているのか分からんのか。
最も信頼する土井利勝はこの場にいない。
こういった時、秀忠の思いを誰よりも敏感に察し、発言していた利勝は、豊臣秀頼の元へと派遣されているのだ。
「大御所様! 何卒!」
秀忠では埒が明かないと判断したのか、あろう事か大御所である家康に直孝は発言する。
この家康は影武者。
これまで、最終的な決定をしているだけだった。
だが、多くの武将達は跡を継がせた秀忠に華を持たせ、最後の大仕事を任せているのだと判断していた。
そして、影武者だという事実を知る者は少ない。
「……将軍に任せてある」
だが、影武者の返事は素っ気なかった。
こういった事態に備えての打ち合わせはしてあるのだ。
「ですが、大御所様。某は何としてでも、秀信の首を父上の墓前に捧げたいのです」
冷たい対応をされても、直孝の熱い視線が注がれている。
「うむ。儂も思いは同じだ。いずれお前の力が必要になる時が必ず来る。その時には任せた。存分に父の仇をとるが良い」
影武者のその言葉に、直孝も引き下がるほかない。
結局、この日の軍議は有力な意見が出ないまま終わり、忠誠心の若手武将達も憮然としたまま引き下がった。
伊達秀宗の陣。
「鈴木殿」
伊達軍を率いている秀宗と共に軍議に参加していた片倉景綱が鈴木元信に話しかけた。
元信は、政宗からの信頼も厚く、景綱からしてもかなり込み入った話のできる男だ。
「何かあるな」
「片倉殿?」
唐突な景綱の言葉に、元信は怪訝そうな顔をする。
「大御所様だ。様子がおかしい」
……妙に口数が少ない。
景綱の頭に疑問符が浮かぶ。
この戦が始まって以降、家康は異様なまでに大人しい。
無論、余計な口出しをせずに秀忠を名実共に総大将としてその力を認めさせよう、という思いもあるのだろう。
だとしても、
「鈴木殿は妙に思わなんだか。井伊直孝の発言をだ」
「父の仇である織田秀信の首を墓前に――ああ、確かに」
元信も頭の回転は速い。
景綱の言いたい事を即座に察した。
「らしくない。大御所様にしては」
「その通り。大御所様は秀信の助命を考えておる。これまでの動きからそれは明らか――にも関わらず、秀信を討つ事を推奨するような言いよう」
「確かに」
元信は頷く。
「その通りよ。それに、大御所様は以前から口数が極端に少ない」
景綱はニヤリを笑う。
「それに、ここ数か月の大御所様にはおかしな点が多い」
「これは面白い事になっておるのかもしれんぞ」
「片倉殿。やはり、あの大御所様は……」
「おっと、その先は言うべきではない」
景綱は面白そうに笑うと、軽く手を叩く。
黒脛巾組の男が現れた。
「周りに人はおらんな」
「は」
返事は短い。
それに満足そうにうなずくと、景綱は言った。
続いて小姓を呼び、紙と筆を用意させる。
即座に書き上げたそれを黒脛巾組の男に手渡す。
「任せたぞ」
書状を受け取った男は無言で頷くと、この場から去っていく。
「これはもしかすると、もしかするぞ」
「うむ」
景綱の言葉に元信も興奮気味に頷く。
「まだ機会はある――そう思い続けたものの、殿の大望も夢と消えたかと思っておった。じゃが、最後の最後で好機が訪れたかもしれん」
この地にはいない主を脳裏に浮かべ、景綱は瞳に強い意志の色を宿した。




