219話 大坂之陣6
大坂へと攻め寄せた二方面軍の敗退は、ただちに伏見城にいる大御所・徳川家康のところに伝わった。
「そうか」
家康の顔も険しい。
予想以上の被害でもある。
「それで、いつ頃までに義直の軍勢は立て直せる」
義直の代理として、訪れている安藤直次が家康の前にいる。
「すぐにでも。大坂方は郡山城を奪いました。即座に奪還に動くべきでしょう」
「そうよな。黒田如水もそのまま郡山城で遊んでいるということはあるまい」
「はい、とりあえずは比較的被害の少なった軍勢に向かわせ、黒田如水の軍勢の動きを牽制させております」
「そうか。 ……それで義直はどうしておる?」
ここで、家康が子の様子を尋ねた。
「再度の出陣を、と大御所様に許可を求めております」
「そうか」
家康は複雑そうな表情になる。
闘志が衰えず、というのは良いが現状を考えて欲しいものだ――とも思う。
これだけの被害が出たのだ。
まだ暫くは態勢を立て直す事が優先であろう。
再度の出陣は、その上で改めて軍議を開いてから決めるべき事柄。
……全く、儂の子供達は血気盛んな者ばかりよな。そんなに織田を滅ぼしたいか。
そういった不満を口にする事はなかった。
そんな家康に、直次が報告を続ける。
「不幸中の幸いといえるのですが、主に被害が大きかったのは、池田、仙石、真田ら外様大名です」
全体の死者は1000人を超える。
だが、義直の率いていた本隊の死者はその1割にも満たない50人ほどだ。
犠牲者は外様大名に集中している。
「うむ。輝政には気の毒な事をした」
池田輝政は、元々親徳川大名と知られている。
家康の信頼も厚い。
次女の督姫も嫁がせている。
兄の元助は織田信孝の反乱の際に討ち死にしているし、輝政と長吉の下の弟の長政も既に故人だ。
長吉が討ち死にした今、池田恒興の血を受け継ぐ男子で生き残っているのは輝政のみとなってしまった。
「戦後には、十分に報いてやらんとな」
「しかし、池田家は今でも大国。今以上の加増となれば……」
「将軍は渋るかもしれんな」
直次の言葉に、家康は苦笑する。
外様ではあるが、家康の池田家への評価は高い。
かつて、父である恒興が織田信孝に組していた事もあり、ある程度石高は抑えられていたが、地味ながらも幕府に貢献し続け、加増を受けていった。
今では、美濃という要地を与えられている。
「だが、それだけの忠誠を輝政は示している。それに報いずして何が将軍家だ」
「ははっ」
大御所の言葉に、かしこまったように直次は頷いた。
「しかし、大和の郡山城が奪われたとなると……」
おそらく、ここを拠点として本格的に大和の制圧に乗り出してくるだろう。
そうなれば、厄介な事になる。
そんな時に続いて、酒井忠世が現れた。
将軍・秀忠からの使いである。
既に、大まかな戦の経過に関しては報告を受けているが、細かな報告はまだである。
忠世の説明を聞き終え、家康は頷く。
「そうか。敵勢を撃退できなんだか」
「申し訳ありません」
忠世が謝罪するように頭を下げる。
「まあ、良い。将軍も無事のようだし、他の大名達もだ。まだ十分に立て直せる」
家康の顔には余裕がある。
事実、幕府軍にはまだまだ余裕があった。
義直の軍勢が破れ、秀忠の軍勢が引き分けたといっても、許容範囲内の犠牲だ。
池田長吉を除けば、有力な大名や武将に死者はいない。
大和郡山城を奪われたのも痛いが、それでも反撃は可能だ。
「ふむ……」
家康がどうすべきか、と呟く。
京に残した有力武将達を集めて協議しようとした時だった、
「大御所様」
小姓が現れ、土井利勝から使者が来た事を告げた。
「利勝からか」
利勝は、豊臣秀頼や小早川秀秋ら西国大名達の目付として送っている。
おそらく、西国勢の情報だろう。
使者の口から、明石全登や内藤如安ら率いる軍勢との戦いの報告がされた。
吉報である。
「おおっ、伊丹城を奪ったか」
直次と忠世の報告を受けて、渋面を作っていた家康の顔にはじめて喜色が浮かぶ。
明石川の付近で対峙していた、織田軍を撃破し、さらには伊丹城まで奪ったという報告である。
この場に残っていた直次と忠世の顔も安堵した様子だった。
「おそらく、この報告を受ければ大和や河内方面の敵勢も引き上げるであろう」
「そうですな。大坂城が囲まれてしまえば一大事。そうなってからでは、遅いですからな。兵站も危うくなる」
「追撃は?」
直次が頷き、忠世が訊ねた。
「不要じゃ。敗戦から十分に立ち直っておらん今の状態では、逆に手痛い逆襲を食らう。敵も戦国の遺物ともいえる戦上手が揃っておる。下手をすれば、手痛い反撃を食らう。ここは、奴らをそのまま大坂城に逃がしてやれ」
「ははっ」
「御意」
二人が頷く。
「即座に、大坂城を攻め落とせるとは儂も思ってはおらん。やはりあの城は難攻不落の巨城。だが、所詮は人が築いたもの」
一呼吸置いてから、家康は続ける。
「攻めれば、必ず落ちる」
自信の込められた口調で、断言するように言った。
だがその直後、軽く胸の辺りを抑える。
「どうかなさいましたか?」
「……いや、何でもない。大坂攻めには儂も出る。出陣の準備をしておいてくれ」
話を打ち切りたがってる事を敏感にさっした直次と忠世は、話をここで切り上げた。
だが、家康は翌日、伏見城を出る事ははなかった。
病は予想以上に重く、片山宗哲が頑強に反対したのである。
とはいえ、大御所である家康不在とあっては大坂攻めの士気にも関わると判断され、影武者が家康として出陣していったのである。
やむなき事ではあるが、大坂城の落城が決定的になれば、何が何でも家康は出ていく気でいた。
……秀忠であれば、間違いなく秀信を殺しかねん。
秀忠だけではない。家康を除いた幕府首脳のほとんどが、大坂滅ぶべし、秀信死すべし、で意見が一致している。前者はまだしも、後者は絶対に認めるわけにはいかない。
大坂織田家を滅ぼすのはやむをえないにせよ、せめて秀信の命だけは――と家康は決意していた。
一方の徳川秀忠の陣。
敵勢に忍び込ませておいた忍からの報告が届いた。
「――敵勢、大坂城へと撤退する様子」
それを聞いた秀忠は、すぐに使番を送り、各陣から有力武将を集めた。
ただし、外様大名はいない。
松平忠輝に忠直。本多忠政と忠朝の兄弟。井伊直孝らである。
「……というわけだ」
忍からもたらされた情報、それに大御所からの指示を秀忠は伝える。
「追撃の好機ですぞ、上様」
直孝が迫るように、秀忠に言う。
「今すぐ、敵勢を負えば、大打撃を与える事ができます」
「威勢がいいのは結構だがの」
秀忠は苦笑する。
「我が軍はかなりの犠牲者を出し、いまだに立ち直ったとは言い難い。特にお前の部隊の犠牲者は多かったというではないか」
「それは……」
直孝は言い淀む。
秀忠の言う事は事実だった。
「ですが、このままで良いのですか?」
忠朝が口を挟む。
「聞いたところによると、外様連中ばかりが活躍したそうではないですか」
「まあ、姫路城に集っていた連中は外様が中心。兵の比率からいっても、活躍するのも当然、外様であろうな」
平然とした口調で秀忠が言った。
不満そうにしている直孝や忠朝とは違い、まるで気にしている様子はない。
「上様、それでよろしいのですか!」
「お前らの忠義は有り難いが。そう焦るな、まだ活躍の機会はある」
「その通りだ、忠朝」
弟を窘めるよう、忠政が口を挟む。
「大将の織田秀信は勿論、敵の有力武将はほぼ無傷。大坂城も健在。手柄ならまだいくらでも転がっている。大坂城を囲んだ後にな」
「その通りだ。お前らには期待しているのだぞ」
秀忠もそれに続く。
「……は」
将軍にそう言われては、忠朝も直孝も引き下がるしかない。
「ですが、大坂攻め最大の功名は、我らが立てる所存。是非とも、父上の仇である織田秀信の首をとる機会を我ら井伊に」
「わかっておる」
だが、そう言いながらも秀忠は外様大名を中心に大坂城を攻めさせようと目論んでいた。
そのためにも、適度に外様大名の力が削がれてくれる方が良い。
そして、譜代の力は温存したい。
……最後の大戦だ。奴らにとっても良き思いでになるであろう。これからは長らく太平の世が続く事になる故な。
今後、日の本から戦はなくす。
少なくとも、秀忠が将軍であり続けるはそのつもりだった。
……全く、こういった者達も太平の世にも少しは必要であろうが多くはいらんな。
血気盛んに見える弟や甥、それに家臣達を見ながら秀忠はそう考えていた。




