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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
219/251

217話 大坂之陣4

 河内方面へと攻め寄せた幕府軍だが、この河内方面軍に織田軍は生駒一正、最上家親、田中吉次らが率いる。


 幕府軍の河内方面軍の総大将は、将軍である秀忠である。さらには、秀忠の弟である松平忠輝、甥である忠直。本多忠勝の子である忠政・忠朝。井伊直政の子である直孝など、大和方面や西国方面と比べて幕府の主軍ともいうべき面子が揃っている。

 その数も6万ほどだった。


 そんな時、井伊直孝は、戦が決まってから常に険しい顔をしていた。


 ……おのれ、大坂の馬鹿殿が!


 軍議の席でもそれは変わらない。

 怒りの為か、常に真っ赤だ。それはまさに、「井伊の赤鬼」というに相応しい形相だ。


 原因は、当然ながら大坂の織田秀信にあった。


 ……あんな男であっても、かつて主君だった信忠公の跡取りである織田の当主。故に、忠吉様は義理立てした。それを父上は手伝っていた。


 だが。


 ……その返答があれだというのか!


 直孝は、浪人勢が黒幕だとは知らない。


 最も、その浪人達を雇ったのは秀信だ。

 ゆえに、それを知ったところで秀信憎しの心は変わらないだろうが。


「あの男に味方する者は、皆、儂が叩ききってやる!」


「そういきり立つべきではない。冷静になれ」


 本多忠政が諫めるように言った。

 同じ徳川四天王の子ではあるが、こちらは既に40近い。

 それゆえか、落ち着きがあった。


「本多殿は腹が立たんのか!」


 だが、その忠政にも怒鳴るように直孝は返す。


「井伊殿のいう通りですぞ、兄上!」


 その忠政の弟の忠朝が、直孝を擁護するように言う。


「何、腹を立てたところでどうにもならんじゃろ」


 忠政は落ち着いた仕草で言った。


「勇ましいのは結構じゃが、それだけで敵将の首はとれん。もう少し落ち着いたらどうじゃ」


 若い者達を宥めようとする忠政だが、将達は興奮したままだ。


「いや、直孝や忠朝の言う通りだ」


 家康の孫である松平忠直も、そのうちの一人だった。


「何が何でも、叩きのめす! その勢いで大坂城まで攻め寄せて秀信の首をとり、叔父上と直政の墓前に捧げてやるべきだ。そうであろうっ」


 おおっ、と同意に応えるよう八割ほどの将が応じる。


「殿」


 その冷静でない様子の主君を見て、本多富正が口を挟む。


「本多殿のいう事ももっともかと。ここは何卒、冷静に」


 だが、忠直は聞いていなかった。

 完全に興奮状態にある。


 さらには、


「忠直も直孝もよくぞ言った!」


 快活に笑い、話に入って来たのは松平忠輝だ。

 忠吉が亡くなった今、将軍である秀忠を除けば家康の子の中で最年長になる人物でもある。


「何としてでも直政と忠吉の仇を取ってやろうではないか!」


「その通りですぞ!」


 同意するように忠直も頷く。

 前田利長、上杉景勝、丹羽長重、南部利直ら外様大名らは、家康の子や譜代の家臣達の言葉に口を挟むような発言力はない。

 黙って彼らのやり取りを聞いていた。


 その間に斥候が戻って来たらしく、その報告が入る。


「河内方面に出っ張った敵の数は1万5000か」


「はい」


「まあ、妥当な数か」


 それを聞き、忠政が頷く。

 その横で聞いていた忠輝が鼻で笑うように言った。


「我が軍の3分の1以下か。この戦、決まったも同然だな」


 しかも、と付け加える。


「兵を率いているのは、最上家親や田中吉次だという。家親など親の築いた大国を一代で潰した暗愚ではないか。楽な相手よな」


「吉次は我が父の討ち取った男の子か。これも何かの縁かもしれんな」


 直孝が呟く。

 田中吉政は、かつて関ケ原合戦で井伊直政の軍勢によって討ち取られていた。


「確かに、家親は判断を誤り、家を潰した者。ですが、だからといって油断は禁物です。苦い経験を糧に成長しているかもしれませぬし」


 忠政が諫めるように言った。


「それに、この近くは低湿地帯ですゆえ、大軍を進めるには向いておりませぬ。数の優位が活かせない以上、何卒、慎重に」


 何を言うか、と言いたげに忠輝の目が不快なものでも見るかのようなものへと変わる。

 そんな不穏な空気の中、声をあげたものがいた。


「上様」


 本多正信である。

 彼の配下の兵達は、子の正純と共に京に留まっていたが、正信のみは秀忠への目付として同行していたのだ。


「……なんだ」


 これまで黙って軍議を見聞きしていた秀忠が、はじめて口を開く。


 秀忠と正信との仲は決して良いとはいえない。

 それに、父からの目付だという事は秀忠も理解している。

 父である家康との間に築かれたような固い信頼関係もない。

 それどころか、彼の暗躍によって側近を失脚させられた事もある。


 だが、それでもこれまでの実績自体は秀忠も評価しているし、本多正信という男の幕府での影響力と発言力はしっかりと理解している。しかし、感情はまた別の問題だった。


 そんな将軍からの冷たい視線を向けられながらも、正信は口を動かす。


「先鋒は本多忠政殿に任せるべきではないかと」


 これまでの様子を見ていての発言である。

 当初の予定では、井伊直孝を先鋒に任せる予定だった。

 しかし、その直孝は明らかに冷静ではない。

 かといって、戦の幕開けとなるであろう誉れある役目を外様に任せたくもなかった。


 それゆえに、比較的冷静そうな忠政の指名である。


 だがその発言に直孝は血相を変えた。


「なんですと! 某に控えておれというのですかっ」


「そんな事は言っておらん。だが、先鋒の役目は忠政殿の方が向いていると判断しただけじゃ」


 正信の言葉に直孝は反論する。


「父上の代から、誉ある徳川軍団の先鋒隊を率いるのは井伊家と決まっているはず。関ケ原の時もそうだった。にも拘わらず……」


「井伊殿。まあ、落ち着かれよ」


 正信ではなく、指名された忠政の方が諫めるように言った。


「某を指名とは名誉な事じゃが井伊殿にも面子があるじゃろうし、そのつもりで準備もしてきたであろう。急にそのように言われても困る」


「その通りじゃ」


「うむ」


 この場には、反本多正信・正純派ともいう者が多い。

 それゆえに、正信の意見に対して否定的な様子だった。


「正信」


 そんな諸将の反応を見ながら秀忠が言った。


「既に直孝の先鋒は一度、二条城での軍議で決まっている。大御所様も同意した。今さら変える事はできん」


「……御意」


 正信もこれ以上食い下がるのは無駄だと判断し、意見をひっこめた。


「では、直孝に任す。期待しておるぞ」


「はっ」


 秀忠の言葉に、直孝は力強く頷いた。




 井伊直孝を中心とした8000ほどの軍勢が悠然と進軍していく。

 その軍勢には上杉景勝、丹羽長重も同行している。

 まだ、日も昇り切っていない刻限での事だった。


 ――敵勢発見。


 斥候からの慌てた報告が来た。

 予想よりも早い事に、直孝は驚く。


 だが人数は6000ほどとの報告だった。

 河内方面に出っ張って来た軍勢の半分以下だ。


 ……先制攻撃をする気でいたか。


「敵は、若江と八尾辺りに陣取っているようです」


 斥候からの報告である。


「兵数は?」


「3000ずつと見受けました」


「そうか……」


 直孝は顎に手を当てて考える。


「我らも兵を分ける。儂の直属の4000の兵は儂と共に来い。残りの4000は上杉景勝殿と丹羽長重殿が率いるように伝えい」


 はっ、と伝令が駆けていく。


 この河内方面でも戦いが始まろうとしていた。



 指示を受けた上杉・丹羽軍は、兵を進めた。

 若江の敵勢に迫るため、玉串川を渡り始めた上杉景勝だったが、それを見ていた大坂方の最上家親はニヤリと笑う。


 ……幕府勢を見返してやるのも良かったが、父の代からの因縁がある景勝が相手というのも悪くない。


 幕府軍が攻める。

 迎え撃つ、最上軍。

 両軍が激突した。


 幕府軍は忠政が危惧したように、低湿地帯で大軍の利点を活かせなかった。

 思うように動けない幕府軍に、鉄砲や弓矢が降り注ぐ。


 たちまちのうちに、銃弾や矢の餌食になる者が続出した。


 それでも、幕府軍は進んでくる。

 数では優位なのだ。

 多少の犠牲を厭わずに攻めれば、活路は開けるという思いがある。


 何より、ここで無様な姿を見せればあの冷酷な将軍の事だ。改易もありえるという恐怖もあった。

 景勝は、今の恐怖などよりも、未来の恐怖が勝った。


 強引に兵を進めていく。

 前進を続けた幕府軍は、ついに最上軍に迫った。

 一進一退の、攻防が続く。


 幕府軍も被害は大きい。

 数では勝るものの、ほとんど無傷の最上軍を相手に苦戦を強いられた。


 それでも、やがて最上軍の被害も大きくなってくる。


 だが、ここで、これまで後方の安全な位置におり、比較的、被害の少なかった丹羽勢が参戦してきた。


「やれ、やれ! 最上を叩きのめせっ」


 丹羽軍の将兵が、声を張り上げている。

 丹羽軍には勢いがあった。


 一気に最上軍は数を減らしてくる。

 幕府軍の優位に傾く。

 それでも、最上家親も必死に踏みとどまった。


 ……ふん、数の不利は承知の上よ!


 一度や二度の負けは、幕府にとって大した痛手にならない。

 だが、大坂方にとっては一度の敗戦が致命傷に繋がりかねない。


 ……全く、不平等なものよな。


 そう内心で自嘲するように笑う。

 家親もそれは理解しているし、大坂城での軍議でも浪人達の間で共通した認識だった。

 それほど、幕府との力に差があることを理解していた。


「よし!」


 家親の顔に喜悦の色が浮かぶ。

 援軍としてきた丹羽軍の勢いが急激になくなってきたのだ。

 敵の猛攻を凌ぎ切った。そう確信させた。




 八尾に布陣していた大坂方の指揮を執り、幕府の軍勢を長瀬川で迎え撃ったのは、田中吉次だった。

 攻め込んだ井伊直孝の軍勢を相手に奮戦する。


 こちらでも、幕府軍ではなく大坂方が優位だった。


 緩やかにではあるが、直孝の軍勢が押されている。

 相次いでくる報告を聞き、直孝は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。


 まだ幕府軍には、後続の軍勢として将軍・秀忠の軍勢がいる。

 京都には大御所・家康の軍勢もいる。


 どちらが優位かといえば、間違いなく幕府軍だ。


 しかし、直孝には今、この目の前の戦場しか見えていない。


「馬鹿者! 何をやっておるか、前に出て戦えっ」


 直孝は顔を赤くして怒鳴り、味方を鼓舞した。

 その甲斐あってか、井伊勢は勢いを取り戻す。


 少しずつ、田中勢を押し始めた。

 しかしそれでも、一気に崩す事ができない。


 そんな中、本多忠政の軍勢が到着したという知らせが入った。


 即座に支援を願いたいという思いがある直孝だったが、本多忠政から送られてきた伝令からは意外な言葉が出てきた。


「井伊様。参戦した丹羽勢も、最上家親に押され気味だ。我らの主は上杉や丹羽の救援に赴くべきかと」


 この戦線に赴いてきていた、本多忠政からの伝令である。


「井伊様の方は田中吉次の軍勢と互角の御様子。ならば、苦戦している上杉勢の方に、と」


「そうか……」


 あれほど勢い込んで先鋒を願った以上、困ったから助けてくれとは素直には言えない。

 それでも、圧倒的な劣勢であれば頭を下げてでも支援を求めただろう。


 しかし、戦線は伝令の言うように互角。

 ならば、苦戦気味の上杉勢の方を支援するという忠政の言葉は正しい。


「う、うむ」


 だが直孝の口から、次の言葉が出てこない。

 この事態に、どう答えるべきかどうすべき迷っているようだ。

 家康や秀忠からの受けも良く、父の才を受け継いでいるといわれる直孝だったが、経験という点では父に比べて大きく劣る。


「井伊様、聞いておられるのですか」


「無論、聞いておる」


 伝令の催促するような言葉に、つい苛立つように小さく舌打ちをする。


「では我が主が救援に上杉勢の救援に行かせていただく。よろしいですな」


「わかった」


 不承不承といった様子で頷くと、本多忠政の陣に伝令は戻っていった。




 伝令が戻った後、忠政もすぐに動く。


「いくぞ」


 その言葉に、忠勝時代からの鍛えられた家臣達もすぐに続く。


「はっ」


「味方を助けるぞ」


 そういうと、忠政は馬腹を蹴って駆ける。

 家臣達もそれに続く。


「やれ、やれー! 勇士共を死なすなっ」


 忠政は声を張り上げ、最上軍に壊滅されつつあった味方の救援に赴いた。

 敵からの救援が来たと知り、最上軍は浮足立つ。


 さすがに、本多軍は強い。たちまちのうちに最上軍が押され出した。


 忠政の奮闘により、次第に数で勝る幕府軍が優位になっていく。

 だが、最上軍には勢いがある。ここで負ける事ができないという強い思いがある。押されながらも、なかなか崩れない。

 激しい攻防が続く。


 一方の、田中吉次の軍勢も勢いがなくなってきた。

 それでも、その家親の軍勢を、直孝は押し切れずにいた。


 日没まで戦いは続いた。

 だが、決定的といえるほどの結果にはつながらなかった。


 この八尾・若江の戦いは事実上の引き分けに終わったのである。

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