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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
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216話 大坂之陣3

「来るな。幕府勢が。儂の武勇伝の脇役になるためにのう」


 黒田如水がふっふっふ、と不敵な笑みを浮かべる。

 傍らに控える、後藤基次が言った。


「はい。相当な数ですな。予想よりも多いかもしれませぬ」


 大和方面から押し寄せてくる軍勢を迎え撃つべく、1万5000の兵を率いていた。

 敵はその数倍。だが、如水は臆することはなかった。


「来るのは池田輝政、真田信之、仙石秀久、水野勝成、松倉重政、本多忠政、榊原康勝、織田秀雄ら。そして大将は徳川義直か」


「ですが、義直は元服を終えたばかりの少年です。実質的な指揮は彼の付家老である成瀬正成や安藤直次らがとるのでしょうな」


 家康の子供の中で、この大和方面の軍勢にいるのは義直のみ。

 将軍である秀忠は、河内方面の総大将。六男の松平忠輝はその秀忠に同行。頼房は、駿府城の守備を担当していた。

 まだ少年で、しかも初陣である義直を心配した家康が、当初の予定では河内方面に進軍する予定だった忠政と康勝をつけた。


「いっその事、義直まで討ち取ってしまうのも良いかもしれんのう」


 と如水は思うが、思い直す。


「いや、それはまずいか。将軍ならともかく初陣の小童などを討ち取ってしまえば、むしろ儂の評判に傷がつく」


 如水はこれを戦ではなく、後世に名を遺す為の戦のつもりでいる。

 そのためには、勝ち方にも拘っていたのだ。


「それに、今後、儂の武勇伝を語り継ぐ事になるのは徳川幕府。その初代将軍の子を討ち取ったとあっては、儂の事を称えにくいであろう」


 ふっふっふ、と不敵に笑う。


「理想を言えば、最期は大御所を後一歩のところまで追い詰めるが、儂が討ち取られるといった流れじゃな」


「大御所を討ち取るのではなく、後一歩まで、ですか?」


 基次の言葉に如水は首を横に振って返す。


「大御所は何といっても、徳川の人間にとって何よりも尊い偉人じゃ。そんな男を討ち取ってしまえば、儂を英雄として称え続けるのが難しくなる」


「では、本気で織田の勝利を目指さないと……?」


「不満か?」


「いえ。某も殿と同じです。織田の為に戦うのではなく、自分の為。そして殿の為です」


 その言葉に如水はうむ、と頷く。


「それに場合によっては、だ。幕府の軍勢を叩きのめした方が良くなればその時はその時。まあ、どちらにせよ、今ここで義直の軍勢は叩きのめす必要がある。準備にうつれ」


 如水は軽く手を叩く。

 すると、如水用の輿が用意され、それに如水が乗り込んだ。


「行くぞ。まずは初戦を飾るとするか」




 徳川義直を総大将とした、6万の軍勢が進む。


 先頭にいたのは、池田輝政率いる池田勢だ。

 ゆるりとした調子で進む。


「この辺りは既に敵領。警戒せい」


 池田軍の侍大将が、配下の者達に言った。


「敵は来ますかね?」


 部下の言葉に、侍大将は答える。


「斥候によれば、敵は、我らよりもはるかに少ないと聞きます。ならば、大坂城に篭るのではないでしょうか」


「分からん。だが、大坂城に籠っても勝機は乏しい。当然、野戦でも勝ち目は薄いが。 ……それでも、大坂からかなりの兵が動いたという知らせもあった」


「そうですね。ですが」


 と答えかけた時、前方が急に騒がしくなった。

 兵の悲鳴、怒声といったものが飛び交う。


「敵勢か!?」


 侍大将の、焦りの混じった声が出る。


「はい! おそらくは、大坂の織田軍かとっ」


 先頭の方の兵が、慌てて伝言を伝えにくる。


「即座に戦闘の準備をせいっ」


 慌てて臨戦態勢へとうつる池田勢に、後藤基次率いる黒田勢が、襲いかかる。


「やれ、やれーっ!!」


 実際、黒田勢は幕府軍より遥かに少ない。

 だが、それ以上に黒田勢には勢いがあった。逆に、不意を突かれた形になった池田勢は混乱しており、思うように大軍の利点を活かす事ができない。

 幕府軍は池田勢を蹴散らし、崩していく。


 とにかく、黒田勢の勢いは凄まじい。


 いきなりの襲撃を受け、池田勢も衝撃を受けた。

 だが、既にその衝撃からは立ち直りつつある。にも拘わらず、黒田勢の勢いを止める事ができずにたのだ。


「まずいな」


 指揮を執る、輝政が忌々しげに舌打ちする。

 このままでは、一気に崩れかねない。先頭の自分達が破れれば、後続にも影響が出る。




「正成、直次。どうすれば良いのだ」


 義直が、頼りにする側近二人に訊ねる。

 彼は御三家と呼ばれる、関ケ原以降に生まれた家康の三人の子供の中でも最も血気盛んだ。

 今回の戦いでも兄の仇を討つのだと勢い込んで、大坂攻めに志願した。


 だが、それでもこれは初陣であり戦の経験が圧倒的に不足している。

 思わぬ敵の反撃を受けて戸惑っていた。


「……何卒、冷静に」


 直次が諫めるように言った。


「先頭の部隊が崩れかかっているとはいえ、敵の総勢より我らの方がはるかに多い。落ち着いてくだされ。ここで浮足立つような事があれば、その時こそ我が軍の敗走となりましょう」


「う、うむ」


 落ち着いた直次の言葉に、義直もいくらかは冷静さを取り戻したようだ。


「とにかく、兵を立ち直らせる事です。とにかく、焦らずに。焦りは判断力を鈍らせます。冷静な対処こそが、勝利への秘訣です」


「うむ……」


 義直は頷く。

 そして、相次いで報告が飛び込む。


 しかし、戦局は幕府軍不利へと進んでいる。

 無論、幕府軍の将兵の中にも、恩賞や栄達を目的として参加している者もいる。だが、絶大な力を持つ幕府の命令を拒めずにやむなく参加させられている大名は少なくない、その配下の兵達の士気も低い。

 加えて、戦経験の乏しい若者も多く参加している。


 それに対し、敵勢はこの大坂を死に場所にしてもかまわないと集った、戦国の遺物。

 当然、平均年齢は高く、体力的に厳しいものも多いが、とにかく勇猛だ。


 若くとも、いや若いからこそこんなところで死にたくはないと考える幕府の将兵達を、黒田勢は圧倒していた。


 この大和迎撃軍の総大将である如水の巧な采配。

 基次をはじめとする、指揮官達の活躍。

 死を恐れぬ、兵達の突撃。


 これらの要素が重なりあり、数で圧倒する幕府軍を押していった。






 しかし、人数は黒田勢の方がはるかに少ない。

 士気を少しでも高める為に、如水自らが前線で指揮を執るような状況だった。

 そんな時である。


 幕府の中にも、勇猛な者がいたらしい。

 如水がいると知ったらしく、こちらに、十数人ほどの兵が向かってくる。

 如水は元々、足が不自由な事に加ええて老齢により体力が落ちた為に、つくられた特製の輿で指揮を執っていた。


 大将に近寄らせぬ、とばかりに如水の護衛達がそれを防ごうとする。


 が、それでもいくらかの兵が如水の方へと向かった。


「殿!」


 護衛の一人が叫ぶような声をあげる。


「殿をお守りするっ」


 一人の黒田軍の足軽の恰好をしたものが、颯爽と現れる。


「黒田如水を討てっ」


 敵の一人が、叫ぶと同時に群がるように数人の兵が押し寄せる。

 それを、その兵を足軽が抑えこむ。


 強い。

 複数の人間を相手にしているというのに、この足軽は敵を圧倒している。


 雑魚と思われた足軽の、思わぬ反撃に戸惑った敵は、勢いを失い始める。

 そこに、包み込むように如水の護衛達が敵を囲む。

 少しずつ、敵勢は数を減らし、やがて全てが地面に切り伏せられた。


「助かった」


 如水は、足軽に素直に礼を言った。

 今更、命など惜しむ気はない。

 それどころか、この戦こそが自分の最期だと決めていた。

 しかし、断じてこんな序盤の戦いではない。戦いの終盤。そこまでに、後世に語り継がれるだけの戦果を出してから華々しい最期を迎える気でいたのだ。


「はっ……」


 足軽が頷く。

 如水を、その足軽の顔を見るが見覚えがなかった。


 それも無理はなかった。

 基次のように黒田家の家臣も、大坂城に引き連れてきたものの、ごく一部の話だ。

 今率いている兵達の大半は秀信によって、配下としてつけられた浪人達である。


 ある程度の地位にある者はともかく、足軽の一人一人の顔と名前まではとても覚えきれない。


「見事なものよのう」


「かたじけなく存じます」


「うむ」


 如水は、足軽の先ほどの働きに素直に感心するように顎を撫でた。


 ……このような者に30年、いや40年前に会っていれば即座に取りたてていたであろうな。


 生まれる時代を間違えたであろう、この若者に少しばかり同情する。


 ……まあ、この者も運が良ければこの戦で名を残せるかもしれんな。


 そう思いながら、如水はじっ、と戦場を眺めた。






 形成は、幕府勢不利へと傾いていく。

 義直も、初陣としては上出来なほどに落ち着いて指揮をとっていたが、この劣勢を覆す事ができずにいた。


「直次」


「……は」


「この戦、我らの負けか?」


「……はい」


 一瞬、躊躇ってから直次は答える。


「……」


「ですが、上様も大御所様も京に御健在。大御所様の本隊も無傷です」


「まだまだ立て直せる、か」


「はい。逆に、このまま戦闘を続ければ被害が増え、立て直しが難しくなるだけかと」


「うむ」


 義直は決断したように、立ち上がると言った。


「兵を引く。ただちに、全部隊に伝えてこいっ」


 はっ、と伝令が駆けていく。

 ほどなくして、池田輝政の元からの使いが来た。


「何用だ?」


「は、ここは我が主君が、殿軍をと」


「そうか」


 義直が頷く。

 池田家は、外様大名ではある。

 だが、信孝反乱時に大坂方と安土方で戦っていた時代からの外様だ。

 関ケ原の戦いでも東軍として戦い、相応の働きをした。


 既に、古参といってもいい。

 家康もそれに応え、池田家に対して外様では破格ともいえる扱いをしていた。石高にしても40万石を超える。さらには、家康の次女である督姫を正室としている。


 にも関わらず、危険な殿を引き受けると自ら提案してきていた。

 こういったところが、父・家康から信頼される所以なのであろうか、と義直は感じた。


「直次」


 判断を求めるように、直次へと視線を向ける。

 直次は黙って頷く。


「正成」


 正成も同様に頷いた。

 義直も、これで決断したように言う。


「分かった。輝政には、其方の忠義を忘れぬと伝えい」


「ははっ」


 輝政からの使いが駆けていく。

 それを見てから、義直は撤退に取り掛かった。


 この判断は、正解となった。

 義直を含む、義直本隊の被害は軽微ですんだのだ。

 死者はほとんどなく、負傷者も少数。


 だが、それでもこれは負け戦である事に変わりはない。

 義直本隊はともかく、全体の被害は決して少なくなかったのだ。


 特に、殿を務めた池田軍の被害は甚大だった。

 300以上の死者を出し、輝政は生還できたものの、その弟である長吉は討ち死にした。

 幕府全体での死者も、1000人近い。負傷者はその数倍だ。

 対する、黒田勢の犠牲者は100人にも満たない。

 幕府軍の完敗である。


 黒田如水率いる浪人衆は、初戦で幕府勢に大きな痛手を負わせる事に成功したのである。

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