214話 大坂之陣1
――大坂城。
かつて、織田信長が石山本願寺と10年にもなる争いをしてでも欲した大坂の地。
その地に、織田信忠によって建てられた天下一の名城。
まさに、織田天下の象徴ともいえるこの城の大広間。
かつてないほどの熱気に包まれている。
上座に座っているのは、織田秀信。信長、信忠の後継者であり、大坂城の主だ。
ここ数日、常に見せていた怯えては消えていない。
どこか不安そうに視線を先ほどから動かしている。
傍らには、織田有楽斎がいる。
その有楽斎が、顔を向ける。
当主に構わずはじめろという合図だ。
「――それでは」
その有楽斎に代わって、口を開いたのは富田信高だ。
信高の父である富田一白は、信長・信忠の死後、弱体化した織田家に変わり、天下を牛耳るようになった豊臣秀吉に接近。
関ケ原の戦いでは、秀吉の命に従い、当時織田信雄と名乗っていた常真の説得に赴いたが失敗。
子の信高は、織田家に戻っていた。
「これより軍議をはじめる。各々方、遠慮は無用。立場に関係なくな」
そういって、浪人達を見渡す。
ある意味当然といえば当然だが、浪人達は浪人達、織田家臣団は織田家臣同士で会話する事が多く、織田家臣と浪人が会話をしている場面を見る事はほとんどなかった。
露骨に浪人達が差別されているわけではないが、不自然なほどに両者の間に会話は少なく、あっても必要最低限のものだ。
それが自然と、織田家臣団と浪人達の間には見えない壁のようなものがあるように感じる。
「例え誰の意見であっても、有効なものと考えれば、すぐに採用する。そうですな、上様」
生駒一正が続けて喋った。
彼は、信長時代から多くの戦に参加し、大陸出兵では朝鮮への渡海経験もある。
浪人衆ではなく、織田家臣の中では数少ない戦経験の豊富な武将だ。
「……うむ」
秀信も相変わらず落ち着きは見られない。
だが、その一言だけで満足したのか、一正は浪人衆達の方へと目を向ける。
黒田如水、後藤基次、最上家親、明石全登、内藤如安、長宗我部盛親、薄田兼相、大谷吉治、田中吉次らの姿がある。
「されば」
如水が口を開く。
この中では、元も実績のある存在であり自然な形だった。
「調べによりますと、敵の総勢はおよそ20万以上。我が軍は5万5000でござる」
「3倍、いやもしかすれば4倍以上かもしれんな」
家親の顔が曇る。
「だが、全ての敵勢が一気に大坂城に来るわけではない。幾多にも分かれてであろう」
一正の言葉に、如水が頷く。
「はい、京都の伏見城と二条城に大御所と将軍と東国の軍勢が。一方、姫路城にもに中国、九州の兵が集ってきているようです」
「敵は陸からだけではなく、海からも攻めてくるであろうな」
盛親が続ける。
「向井忠勝ら徳川水軍、それに九鬼守隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤嘉明といった大陸遠征でも水軍を率いていた連中がだ」
大坂織田軍も、盛親や如安の呼びかけに応じて集った長宗我部や小西の旧臣を中心に水軍を組織していたが、急ごしらえの存在であり、明らかに敵と比べれば見劣りする。
「海での戦いとなれば不利かもしれませんな」
全登の言葉に、如水は頷く。
「だが、陸で勝てばいい」
「そうですな。で、問題の陸の方はどうやって幕府軍が攻めてくると思われますかな?」
「敵は大勢、となれば奇策で来る可能性はほとんどない。正道でくるでしょうな」
「といわれますと?」
「おそらく、軍を何手かにわけてこちらに攻め寄せてくるでしょう」
摂津・和泉・河内周辺の絵図が用意される。
「まず西国方面から、豊臣秀頼、毛利輝元ら中国勢。それに、四国勢の一部、そして加藤清正、鍋島勝茂ら九州勢が押し寄せてくるかと」
旧主である太閤・秀吉の子である秀頼を如水は呼び捨てた。
今の豊臣は、幕府軍参加の外様大名であり明確な敵なのだ。当然といえば当然だった。
「うむ」
他のものも頷く。
「続いて、もう一軍は大和郡山城あたりから奈良街道を通って」
「大和郡山城だと!」
ここで黙って聞いていた秀信が、急に嚇怒したように叫んだ。
如水の言葉も遮られ、何事かと皆の視線も集まる。
「同じ織田一族のくせに! 裏切り者めがっ」
その名を聞いて、叔父や従兄弟の事を思い出したのだろう。
この時、既に大和織田家が幕府方として攻め寄せるのはほぼ確実となっていた。
その大和織田家に対する秀信の怒りは大きい。
何せ、関ケ原の時とは違う。
あの時は天下の主導権争いではあったが、織田対徳川の戦いではない。
幕府は明確に、大坂の織田家を滅ぼそうと戦を仕掛けてくるのだ。にも関わらず、織田を滅ぼそうとする徳川に味方している。
「……とにかく、その大和の織田家も幕府と共に倒す為の策を練りましょうぞ」
大事な軍議の席で脱線しては構わないと、如水が話を戻す。
秀信も一度叫んで気がすんだのか、それ以上は言わずに押し黙る。
「高野街道から河内方面にも幕府軍は攻め寄せてくるでしょう。軍の配分がどうなるかはわかりませんが、最低でも5万以上かと」
「5万か。我らの総勢とほとんど変わりませんな」
「あくまで最低でも、ですが。もしかしたら7、8万。いや、あるいは10万の可能性も考えるべきでしょうな」
場の空気が重くなるがですが、と如水は気にする事なく続ける。
「我らもそれを迎え撃ちましょう」
「とすると、其方たちはこの大坂城から出るのか?」
秀信が口を挟んだ。
「はい、いかに天下一の名城である大坂城といえども籠城してはいずれ自滅の道を辿ります。大御所や将軍の首をとり、幕府に大きな打撃を与えるためにもここはこちらからも攻めるべきかと」
「う、うむ」
如水の言葉に気圧されるように、秀信は口を噤む。
「三手に分かれた軍勢と戦うのであれば、こちらも兵を分ける必要があるな」
一正の顔が曇る。
「海からの攻撃、さらに万一の時に備えて大坂城に1万。残り三手に1万5000ずつ」
「いずれの軍勢も好きに動かれてしまえば、この大坂城に到達します。そして、大坂城が包囲されてしまえば、我らが勝てる可能性も一気に縮まってしまいます。やむをえんでしょう」
「だが、敵は最低5万といったばかりであろう。勝てるのか?」
秀信が疑問の混ざった口調で訊ねた。
「正直にいって不利な戦いでしょうな」
「では」
「ですが、勝てる可能性があるとすれば、大坂城外で戦うほかありません。城に閉じこもってしまえば、長く戦う事はできてもそれだけです」
如水が力を込めて言い切った。
如水の言った事は嘘ではない。
だが、それだけが理由ではない。実のところ、如水は自分の寿命が残り少ない事を悟りつつあったのだ。
そのため、不利ではあっても短期に決着が着く城外での決戦を望んでいた。
「うむ。 ……それはそうか」
秀信も、それ以上の反論することはなく引き下がる。
あくまで幕府打倒に拘る秀信も、籠城策に拘る気はないようだ。
「他の者の意見は?」
織田家臣、浪人衆の間で意見が出る。
全体的に野戦に傾いているが、織田家臣団の中からはある程度ではあるが籠城策を主張する者もいる。
確かに、籠城策では負けはしなくても勝ちは望めない。
だが、時間が経てば和睦という道もとれる。その事に一縷の望みを繋いでいるのだ。
が、それでも野戦の声が圧倒的に多い。
何よりも、当主である秀信がそちらを望んでいるのだ。
「……決まりだ。城外で幕府を叩く」
「ははっ」
秀信の言葉に、皆が揃って平伏する。
「それで、陣立の方はどうされるのですか?」
信高が訊ねた。
「うむ、総大将である予はどこにいくべきだと思う?」
総大将、という言葉を強調するように秀信が言った。
「上様は、この大坂城をお守りくだされ。上様あっての織田家。万一の事があればそれまでです」
如水の言葉に、浪人達も同意する。
最後の戦場と決めている浪人達にとって、戦場で秀信に下手に口を出してほしくはない。
織田家臣団も秀信に総大将としての器量はない事は分かっている。指揮能力は期待できないし、討ち死にでもされれば困る。
ならば、この大坂城に留まってもらった方がいいと思っていた。
「それもそうか。では、予は大坂城に留まるとしよう」
場の空気に流されるように、秀信も頷いた。
「では……」
具体的な配置が決められる。
まず、大坂城に1万の兵と共に、秀信と信高、それに如安ら一部の浪人もここに加わる。
西国方面の敵に対抗する為、明石全澄、薄田兼相らが修築された伊丹城へと移動。
奈良街道の敵に対抗する為、黒田如水、後藤基次、大谷吉治らが。
高野街道の敵には、生駒一正、最上家親、田中吉次らが向かう。
「……こんなところか」
具体的な配置が決まり、どこか弛緩した空気が漂う。
「では、ここまでとしましょう。上様」
「うむ」
秀信も頷き、軍議が終わった。
天下を統一した徳川家と、それを認めないかつての天下人・織田家。
50年前は同盟国はであり、40年前は従属に近い同盟関係となり、30年前には完全に臣下となった。だが20年前に、信忠が死に、織田が分裂した事によって再び力関係が変わった。10年前に徳川家は天下人となり、織田家は一介の大名に転落した。
年月と共に、力関係も変化し続けた両家。
その徳川と織田がついに激突することになる。
富田信高関連のところでミス(間違えて史実通りに改易)があったので、大久保長安事件(197話)の箇所を訂正しました。




