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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
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213話 決戦準備10

 駿府城。

 大御所・徳川家康が隠居の地として選んだ城に、この日は将軍・徳川秀忠が訪れていた。

 本多正信と土井利勝も伴っている。


 既に、秀忠は江戸から軍勢を発する予定だ。

 しかし、その軍勢は江戸に留めたまま200人ほどの護衛兵と土井利勝を伴ったまま駿府を訪れていた。


 本来、駿府の軍勢の方が先に大坂へと出馬する予定だった。

 しかし、家康の体調不良の為、日延べされていたのだ。


 場所は、家康の寝所。

 家康は布団の上に横たわったままである。

 控えるようにいるのは、本多正純と家康の侍医である片山宗哲だ。


「父上、お加減はよろしいのですか?」


 秀忠が訊ねた。


「いや、ただの風邪だったらしい。暫し、安静にしておれば治る」


 横たわったままの回答ではあったが、その返事には力強さがあった。


「まだ暫くは安静にしていただきたいのですが……ご本復には時間がかかりますゆえ」


「そのような時間の余裕はない。大坂攻めが近いのだ」


 宗哲の言葉に、家康は首を横に振って返した。


「そうですか……」


 無論、いかに父の体調が悪くても大坂攻めを中止にしようなどという発想は秀忠にはない。

 だが、家康を気遣うようにこんな事を言った。


「ならば、私が総大将として大坂城を攻め、父上はこの駿府城で養生を」


「ならん」


 秀忠の言葉を遮る。


「大坂攻めには儂も行く」


 このような状況になってしまった以上、大坂攻めは回避できない。

 だが、せめて秀信の命だけは助けたいと考えていた。だが、忠吉の件を除いても、元々秀信に良い感情を持っていなかった秀忠だ。その秀忠に総大将を任せてしまうわけにはいかないのだ。


 ごほ、と小さく咳込んでから家康は続ける。


「儂は倒れん。それよりもお前の方こそ良いのか。将軍ともあろう者が、このような時期に。儂を見舞うほど暇ではないはずだが」


「何を仰せですか。父上の命以上に大切なものなど、徳川家にはありませぬ」


 小さく笑って秀忠は答える。


「……うむ」


 家康は頷く。


 ……子の孝心すら信じれんようになるとはの。


 秀忠も肉親の情が理解できない男ではない。

 その事は分かっているが、それ以上に将軍としての冷酷さを兼ね備えた男だ。


 自分で大坂を攻め、秀信の首を獲りたいがための発言ではないかと疑ってしまった。


「ですが、此度の大坂攻めは万が一にも失敗が許されない戦。そのような時に本陣で父上が倒れるような事になれば、どうされるおつもりですか」


 そう言って続ける。


「そうなれば大坂方は勢いづき、幕府に不満を持つ外様大名や、私の弟達が反旗を翻すような事態になるは必定」


「上様。いくら上様といえども、その発言は」


 傍らから、正純が言った。


「よい」


 家康が上体を起こす。


「大御所様」


 片山宗哲が慌てた様子で家康を支える。


「確かに秀忠の言う事も一理ある。ゆえに万一に備えておく」


「どうされるというのですか?」


「此度の大坂攻めには影を連れていく」


「影、ですか?」


 利勝が怪訝そうに言った。

 ああ、と秀忠が続ける。


「そういえば、この場にいる者で知らんのはお前だけだったの」


「儂には影武者がおるのよ」


「大御所様に……」


 家康の言葉に利勝は驚愕した様子で聞き返した。


「その影武者はいつからいたのですか?」


「だいぶ前じゃ。あ奴も、この年まで生きてくれたことに感謝せんとな」


 当時の平均寿命を考えれば、家康同様に影武者も相当な高齢になる。


「そうですな。我らも歳をとりました」


 そう正信は苦笑し、皺の増えた自分の顔を触った。


「ま、それはともかく」


 家康は見渡すようにしてから、続ける。


「影武者の存在をしっているのは、儂とここにいる、秀忠、正信、正純、宗哲。それにここにはおらん以心崇伝。忠吉、忠次、忠勝、康政、直政、元忠も知っておったが、既におらん」


「随分と少ないですな」


 この場にいる者と崇伝を除けば、ほかはみな故人となっている。


「知る人間が増えれば、それだけ秘密が漏れる可能性も高まるからの。忠吉ですら、関ケ原の戦いの直前に明かした。最悪の場合、その影武者を儂として、清州城で徳川軍をまとめさせる算段であった。 ……まあ、知っての通り、関ケ原の戦いでは豊臣を叩きのめす事ができたゆえ、不要となったがな」


「それで、その影武者の存在を私にも……」


「そうじゃ。万一の時は、影武者を儂として振る舞わせる事になるからの。知っている人間は少ない方が良いが――少なすぎても、いざという時にまずいからの」


 秀忠は、ちらりと利勝を見る。

 だが、さすがに驚きの色は隠せなかったらしく、珍しい顔をしている。


「すると、義直様達は……」


「あ奴らはまだ幼い。知る必要はなかろう」


 家康はきっぱりと言う。

 年を取ってからできた子供達を溺愛する家康だが、こういった部分はしっかりと公私を分けていた。


 もっとも、家康の子の中で既に青年といえる年齢に達している松平忠輝については触れなかった。


 利勝も、そこに突っ込む気はない。

 家康と忠輝の微妙な関係は彼もよく知っているのだ。


「話を戻すぞ」


 家康がそう言って話題を修正する。


「明日にでも儂は、大坂へと出馬する。儂は影武者と共に、二条城へ行く。お前は伏見城。京についてから、改めて諸大名と共に軍議を開く」


「は」


 秀忠も頷く。


「では、我らは暫し駿府に留まりますかな」


「うむ。軍勢をまとめてから後で来てくれ」


「父上。私達が着くまで、大坂に攻めかかるような真似はしないでください」


「分かっておる」


 秀忠の冗談めかした言葉に、家康も苦笑して返した。




 翌日、家康と駿府に集った軍勢が発する事になる。

 秀忠は、江戸に残した軍勢と合流してから改めて兵を西に向ける予定だ。


 遠江掛川、三河御油、尾張名古屋、美濃墨俣、近江大津と経由して京へと入る。

 この頃には、既に家康の顔色も良くなっていた。


 駕籠で揺られながら、今後行われるであろう大坂攻めに思考を進める。


 ……いよいよか。


 京が間近になるにつれ、少しずつ良くなっていく体調とは裏腹に気持ちは重くなってくる。


 ……ここまで来た以上、戦は避けられん。信長公、信忠公、申し訳ない。


 家康の脳裏に、これから攻める大坂城の主の父と祖父の姿が浮かぶ。

 彼らがこの世を去ってから、既に20年以上の年月が流れている。


 それでも、義理堅い性格の家康は未だに彼らの子であり孫である秀信の事を考えていた。


 ……せめて、織田の名だけでも残せれば良いが。


 信雄系列の大和織田家は残っているが、本来の織田家というべき存在は信長の後に家督を継いだ信忠、そしてその信忠の後継者である秀信だろう。


 その織田家を滅ぼしてしまう。

 それも自分の手で。


 ……今川を滅ぼした時と同じようになれば良いが。


 かつて、主家である今川家を滅ぼした事もあるが、当主の氏真を殺したわけではない。

 その氏真は家康の庇護下にあり、孫の範英も秀忠に仕えている。


 だが、今川の時とは状況がかなり違う。

 今回の場合は、織田の領土を手に入れる為というより、織田家、さらに言えば織田秀信そのものの滅亡が目的だ。


 そんな中で秀信の命を助けるのは難しいだろう。


 家康は悩んだまま、二条城へと到着した。

 この時点で、子の義直を含めた畿内と東海の大名らが集結していた。


 が、翌日の早朝に予想外の報告が届く。


「何? 忠直の軍勢が?」


 松平忠直含める北陸勢が、近江大津に到着したという報告だった。

 それ自体は問題がない。


 だが、問題はあまりに早い事だ。

 忠直の大津到着の予定は、明日の夕方のはずだった。

 一日半も早い到着だったのである。


 さらには、将軍である秀忠の軍勢がこちらも予定よりも早く三河岡崎に着いたという報告もあった。


 ……全く、儂の子らは。それほど大坂を早く攻めたいのか。


 手柄に飢えるのは、戦乱の世であれば望ましい。

 だが、太平の世に向かおうというこの時期にとあってはむしろ不安でしかなかった。


 家康にとって、大坂方との戦がはじまってすらいない状態から、不満の多い出だしとなったのである。


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