211話 決戦準備8
全国の諸大名に大坂城攻めが伝えられる中、九州の地も活発に動く。
元々、この地は反徳川色が強い。
関ケ原の後も、最後の最後まで粘った為、徳川側からの心象も悪かった。
そのため、九州の諸大名を味方させるべく大坂方は味方になるよう、誘いの手を伸ばしたが全てはねのけられた。
ある意味、当然といえば当然である。
反幕府色が強かろうが、最終的に勝ち目はないと判断して下った者達なのだ。
今更、織田家につくはずがない。
立花宗茂や金剛秀国といった関ケ原以前から徳川方として戦っていた大名はもちろん、福島や島津といった大名も拒絶した。
特に、現在は流罪になっている有馬晴信の子である直純などは大坂方から送られた書状など開封することすらせずに、幕府側に提出している。
岡本大八事件の余波は、未だに残っていたのだ。
黒田長政も、強い拒絶を示した。
ただでさえ、父・如水の大阪入りによって危うい立場なのだ。
結局、大坂に味方するという大名は一人も出なかった。
福島正則、黒田長政は兵を子や家臣に預け、自らはわずかな手勢と共に江戸に向かう。
島津忠恒、鍋島勝茂らも軍勢を率いて出陣する。
対馬でも、子がまだ幼いため父の宗義智が自ら出陣。
九州勢も本州へと渡り、中国勢と四国勢の一部と合流するため、まずは播磨姫路城へと向かう事になる。
距離的な問題もあり、特に島津は軍を整えるのに時間がかかっていた。
だが、そんな中で加藤清正は誰よりも早く兵を集め、姫路城へと向かった。親徳川派として知られる立花宗茂よりも先であり、姫路城にすらまだ十分な兵が集っていない時期での事だった。
姫路城の主である、今回はあくまで一大名として参陣する事になる豊臣秀頼と会った。
あくまで、対等の大名同士ではあるが、清正の態度は丁重だった。
「お久しぶりです」
「うむ」
体格に関していえば、父である秀吉を遥かに上回り整った顔立ちをしている。当時の平均身長を考えてもかなりの小柄であり、お世辞にも整っているとは言い難い顔だちをしていた秀吉とは似ていない。
というより、外見に関していえば似ている部分を見つける事の方が難しかった。
だが、秀吉は決して不快にさせるような顔でもなかった。「人誑し」と称され、常に笑みを浮かべていた。
一方、秀頼はどこか落ち着きがなかった。
清正がかつての秀吉子飼いの将だった事は、もちろん知っている。
だが、今では石高では豊臣の方が倍近いとはいえどちらも幕府傘下の外様大名に過ぎない。
さらに戦歴でいえば、初陣すらまともにすませていない秀頼とは比べものにならないのだ。
また、秀吉の死後は豊臣から距離を取っていた事もあって、
……自分は、この男に見下されているのではないか。
そんな不安すら、秀頼は抱いていた。
だが、今目の前にいる清正は態度こそ堂々としているが、秀頼を前にして丁重な態度を崩していない。
その清正を前にしても、秀頼は丁重に言った。
「加藤殿」
「どうかされましたか」
既に、主君ではないため呼び捨てる事はしない。加藤殿と呼んだ。
しかし、清正の返事は丁重だった。
その丁重な態度が逆に秀頼を弱気にさせる。
だが、それでも言葉を続けた。
「此度の戦、どう思われる?」
何を聞くべきか迷い、結局はどうという事のない言葉がでてきた。
だが、清正は淀みなす返す。
「公儀に仇成す敵を討つ戦です」
「そうか……」
「それゆえ、某も先鋒として敵を討つ所存」
「何? 貴殿が先鋒だと?」
清正の言葉に、秀頼が驚く。
今回、西国大名、さらにいえば旧豊臣方の戦意は低い。
勝って当然の戦であり、得られる旨味はほとんどない。大坂城はともかく、今の秀信の領土はそこまで多くない。
その少ない獲物も、幕府譜代のものに大半が分け与えられ、外様が得られるものはわずかだろう。
にも拘わらず、出費は多い。
兵に武器、兵糧。幕府もある程度は負担するが、それでも膨大な金がかかる事に変わりはない。
それであり、見返りは少ないのだ。
なのに、その幕府のために積極的に戦うと発言する清正が理解できなかった。
「秀頼様」
清正は、あくまで秀頼様と呼んだ。
立派な髭が秀頼の目にも飛び込む。
かつて、幕府の重鎮である土井利勝が戦国の世は終わったのだと宣言するかのように髭を落とした。
すると、皆がそれに倣うかのように髭を落としたとされるが、そんな中でも清正は髭をそのままにしたという。
この髭は、いわば清正の反骨の心の象徴ともいえた。
そんな強い反骨精神を持つ男がなぜ、幕府の狗のような真似をするのだ、という思いが込み上げてくる。
「これは戦です」
「わかっておりますぞ。だからこそ、兵を集めておるのでしょう」
「そういう意味ではありませぬ。領地を得るためではなく、家を残すため。それもまた立派な戦いなのです。それに手を抜く事は許されませぬ。某は常にそれで成果を残し、家を大きくしてきました」
「……」
秀頼は押し黙る。
幕府には従うべき、などと口を揃えて言いながらも、幕府への不満や陰口を叩く事の多い秀頼の家臣団からはなかなか出てこない事だった。
「そうか、貴殿の意見は参考になる」
ゆえに、本心から思った言葉が出て来た。
だからこそ、もっと聞いてみたいと思った。
「実を申せば、某は病を患っているようなのです。もしかしたら、これが最期の戦場になるやもしれません」
「何?」
はじめて聞いた情報であり、秀頼の目が見開かれる。
「……では大坂になどいかず、熊本城で十分に療養すべきなのでは」
「某の体の使い方は某が一番分かっております。これが、加藤家の当主としての役割」
「そう、か」
秀頼は、何と言っていいかわからずに押し黙る。
暫しの沈黙の後、
「だが、貴殿とはもっと話していたいと思う。正直、貴殿の意見はとても新鮮だった」
「某などより、その役割に相応しい者は他におります」
「それは?」
「立花宗茂殿ですな」
「何?」
ここで、はじめて秀頼の顔にこれまでに浮かんでこなかった表情が浮かぶ。
先ほどと同じ驚きもある。だが、今度は怒りも混ざっている。
「失礼ながら、加藤殿は正気なのか。あの男は我が父を――」
立花宗茂は、かつて太閤・豊臣秀吉を討ち取った男だ。
しかも、将軍である徳川秀忠のお気に入り。
そのため、豊臣関係者の中では最も歯がゆい存在といえた。
秀吉を討った男だというのに、処罰できない。それどころか、逆に旧領を取り戻して外様大名とは思えない幕府からの優遇ぶり。
過去に、秀吉を崇拝する一部の大名や武将が密かに暗殺を目論んだなどという噂もあるほどだ。
「戦場でのことです」
「だが……」
「立花殿は、公儀の罪人ではありませぬ」
諭すような表情だ。
宗茂は父の仇だと、常に周りの者から吹き込まれるようにしてきた秀頼にとって、彼を頼れなどという意見ははじめてであり、どう返すべきか返答に迷った。
だが、
「……わかった、宗茂は味方、か」
最終的にはそう答えた。
それを見て清正は満足そうに頷いた。
秀頼との半刻ほどの対話を終え、清正は懐かしい姫路城の廊下を歩く。
秀吉の配下として、この城に起居していた時期も長い。
が、清正不在の間に修繕工事が何度も行われ、見慣れないものになっている。顔も、見た事がない者が多く行き来している。
秀頼ですら、清正の記憶では幼い赤子だったのだ。
あのような巨躯の青年ではない。
豊臣という大木から、清正は当に切り離されている。
そう感じざるをえなかった。
……だが、これも最後の御奉公だ。
今や、加藤も豊臣から完全に独立している。
それでも、最後の義理立てはしておく気でいた。
……豊臣には、未だに徳川幕府に従属する外様大名だという自覚がない者が多い故な。
姫路城に昨日の夕方にたどりついて、朝食を終えたばかりの刻限に秀頼と会ったのだから、わずか半日に過ぎない。
だが、その半日で城内の者たちがどういった態度で秀頼に接してきたかは悟っていた。
……幕府に恭順するように言いつつも、かつての栄華が忘れられん、か。
自分達は特別なのだという思いが――大坂の織田家ほどでないにせよ――豊臣家は未だに強い。
はっきり言って、織田家の役回りが豊臣家が演じていてもおかしくなかったのだ。
その事を、誰よりも秀頼に自覚して欲しかったのだ。
……そういえば、あの男も未だに健在、か。
ふと石田三成の顔が脳裏に浮かぶ。
もう、直接顔をあわせた事はほとんどない。
風の噂では、未だに豊臣家の天下に強い拘りを持っていると聞いたが、秀頼もある程度は影響を受けていたのだろうか。
……三成、か。
元々、良好な仲とはいえなかった。
が、それが決定的に悪化したのは大陸遠征だ。
織田信孝を中心とする反乱により、大陸遠征が中断され名護屋城に戻ってきた際のこと。
演技も込みだったとはいえ、三成の発言に激怒した。
それ以降も秀吉の奉行、秀次付きの家臣として活動する三成とは違い、清正は熊本で独自の道を辿った。
今は既に、三成に対する怒りや嫌悪はない。だが、懐かしさもあまり感じない。
存在すら、正直なところ忘れかけていた。
すっかり違う場所にいる存在になったのだと、改めて思った。
……ま、よいか。
既に、三成の顔は清正の脳裏から消えた。
代わりに、自分の子である忠広の顔が浮かぶ。
加藤家の家督は、長男、次男が早世したため、三男の忠広が継ぐ事になる。
だが、その忠広はまだ幼い少年。
先行きが不安だった。
そのため、今回の大坂攻めで少しでも幕府に忠誠を示す必要があった。
……いくとするか。儂の最期の戦いに。
そう決意する清正だった。




