210話 決戦準備7
備前――岡山城。
ここは、宇喜多秀家が流罪となって後、小早川秀秋が後釜として入った。
関ケ原の戦いから15年。宇喜多直家時代からの、宇喜多色は徐々に消えていき、秀秋の統治に民も慣れてきていた。
そんな中、この地に移ってから初の大戦という事で城内は慌ただしい事になっていた。
武器や武具はあっても、人の質は明らかに落ちている。
体力のある若者で、戦経験が豊富だという者はほとんどいないのだ。
そんな中、鉄砲の扱い方を指導してもらっている兵達がいる。その指導しているのは塙直之だ。
彼の過去はよくわかっていない。
織田信長の家臣であり、本願寺との戦いで討ち死にした塙直政と縁者という噂もあれば、旧北条家に仕えていたという話もある。
いずれにせよ、確かな事はこの小早川家に来る前は加藤嘉明に仕えていたという事だ。
だが、その嘉明と諍いを起こして出奔。出奔後も嘉明は直之を許そうとはせず、奉公構を出した。が、秀秋はそれに構う事なく直之の力を買って雇い入れた。
「どうなっておる」
秀秋が直之に訊ねた。
「あまりよくはありませんな」
直之が正直に答える。
鉄砲の訓練をしている最中の兵達の様子を眺めている。
訓練している兵達は若い者ばかりだが、中年以上と見られる兵もちらほらといる。
鉄砲足軽として、元々小早川家にいた者達だ。
「馬鹿者! 鉄砲をこちらに向けるなっ」
年長の者が若者を注意している様子だ。
「も、申し訳ありません。ですが弾は込められておりませんので……」
萎縮した様子で若者が答える。
「他の者が既に込めておったらどうする! 何かの切っ掛けで暴発する可能性もあるのだぞっ」
年長者は若者を叱責するが、若者の方はいまいち納得していない様子だ。
それを見て年長者の方は苛立った様子のままではあったが、それ以上に責めるのをやめたようだった。
「……なるほど」
そんなやり取りを見て、納得したように秀秋は頷く。
「関ケ原から15年。こういう事にもなるか」
「はい。関ケ原の際に5歳だった者が20、生まれたばかりのものですら15ですからな」
直之が頷く。
関ケ原から、15年もの年月が既に過ぎていた。
若く力のある兵は、経験が圧倒的に不足している。
しかも、この時は既に士農工商がはっきりと分かれてきている。
かつて、豊臣秀吉は全国規模で刀狩を実施。柴田勝家の方が先に越前で刀狩を実施していたが、秀吉のそれは全国規模だった。
後に、徳川家康も同じように農民と武士の区分をはっきりとさせ、武士を除いた人々から武器を奪った。
武器もなく、戦闘経験を積む機会もなければ、兵達の数も力も弱くなるのは必然といえた。
だが、それでも良いと幕府首脳は思っていた。
今回の大坂攻めはあくまで例外であり、大規模な戦などする気はすでにない。海の外へと攻め込むような気もない。
「まあ、それだけ平和になったという事かもしれんがな」
秀秋もぼそりと呟くように言う。
「そうですな。常に、強い兵を抱えなければならない国の方がむしろ恥なのかもしれませぬ」
秀秋の言葉に、直之は頷く。
「ですが、このままでまずいのも事実ですな。大坂城に篭る事になった浪人の大半は、戦国の世の生き残りともいうべき面々。平和に慣れ切った兵では厳しいかと」
「どうすれば良いと思う?」
「実戦の積み重ね、と言いたいところですがそれでは遅いでしょうな」
「うむ。時間はない。もうすぐにでも戦場に赴く事になるであろう」
秀秋はそう言いながら兵達の様子を見る。
当主である秀秋が来た事に気がついたらしく、兵達も慌てて中断したが「構うな」と訓練を再開させた。
「既に、姫路にも兵は集まっておる。安芸の毛利や、四国の大名達も同様だ」
中国・四国・九州の兵は、一旦は豊臣秀頼の姫路に集い、西から大坂城を攻める手筈になっていた。
ただし、一部の水軍は幕府の水軍と合流し、海上から大坂に迫る予定ではあったが。
「某の元主もでござるか」
「うむ」
加藤嘉明もその西国勢に含まれる。
軍略にもよるが、共に戦う可能性が高い。
因縁のある相手だが、直之は――少なくとも表面上は――気にしている様子はない。
「九州からも、黒田殿や島津殿らが準備を急いでおるらしい」
「特に黒田様は、大変でしょうな」
何せ父・如水が大坂城に入っているのだ。
その件に関して特に咎めはないと幕府からは通達があったようだが、それでも外様大名を積極的に改易を進める将軍・秀忠の事を考えれば気が休まる事はないだろう。
その黒田長政は、中津城で戦準備を進めていた。
この中津城に、天守はない。
これは、幕府に対する叛意がない事を示す為、あえて取り外していたのだ。
それ以外にも、長政は幕府に対して様々な行動で忠誠を示して来た。
だからこそ、外様でありながら未だに大々名としての地位を維持できているのだ。
父の出奔に関しては余計な事をしてくれたという思いはあるが、ある程度予想の範疇でもあった。
「以前とは逆かもしれんな」
長政は、戦準備に追われる家臣達の様子を眺めながら呟く。
かつて、関ケ原合戦の際。
如水が、豊臣秀吉に従って戦場に赴いていたが、その時に長政と長政を慕う家臣達は領国に留まっていた。
結果、如水はわずかな兵しか連れていく事ができず、豊臣家中でも肩身の狭い思いをしたと聞いた。
だが、今度の戦で自分も幕府内で似たような思いをする事になるかもしれない。
関ケ原の際の、意趣返しではないかという思いも幾らかはある。
「我らは将軍に嫌われているからな」
かつて、関ケ原合戦以降、将軍・秀忠は強引にでも九州征伐を進めようとしていた事を長政は知っている。
自分や福島正則らを改易したがっている事もだ。
島津は、関ケ原以降は幕府に対して低姿勢で挑み、秀忠の子を忠長を養子として迎え入れ、島津の家督を譲っても良いとまでいったらしい。
それらの効果が出たのか、島津に対しては以前ほど改易には拘っていないようだ。
加藤清正も、故・松平忠直の名古屋城や伏見城――関ケ原の前哨戦で落城した後に建て直した方の――普請などにも協力を惜しまず、それなりに信頼を得られたようだ。
しかし、福島、黒田に対してはまだまだ気を許していない様子だった。
……自分は、黒田家が安泰ならば徳川でも豊臣でも良いというのに。
無論、長政本人がそう思ったとしても家臣の総意は別だという事は理解している。
そして、秀忠がその忠誠を認めても徳川家全体が認めなければ意味はないのだ。
関ケ原以降、岡本大八事件や大久保長安事件などに連座する形で外様大名が改易されている。
だが、豊臣や毛利をはじめ、反徳川色の強かった外様大名が未だ多く残っているのも事実だ。
……しかし、これから数年で大きく変わる。
おそらく、大坂攻めがすめば、幕府に歯向かう大規模な勢力はなくなるだろう。
そして、大御所・家康の寿命。
皮肉な事に、旧豊臣・織田系列の外様大名達の多くは大御所である家康の長寿を祈っていた。
家康よりも、外様大名の改易を積極的に進める将軍・秀忠の方がはるかに恐ろしい。
家康が亡くなれば、一気に秀忠は改易を進めるだろう。
福島正則や加藤清正などは、家康との関係は悪くない。家康も、戦国の世を生き抜いてきた両名の事を好ましく思っている。正則や清正も、元主君を討ち取った徳川の当主だった人物とはいえ、まがりなりにも天下を統一した家康に大してある程度の敬意を払っている。
だが、秀忠とは不仲だった。
かつて、関ケ原後の西国平定戦でも家康が静止しなければ、間違いなくそのまま九州へと兵を進めていただろう。
家康からは好かれても、秀忠には嫌われている外様大名は珍しくない。
最も、立花宗茂や仙石秀久のように家康からも秀忠からも信頼を勝ち取っている外様大名もいたが。
……我が黒田家は微妙なところだ。
おそらくは、福島正則ほど疎ましくは思われていないだろうが、一介の浪人から旧領への復帰という破格の報酬が支払われた立花宗茂ほどは信頼されていないだろう。
だが、今回の大坂攻めでそれが変わるかもしれない。
良い方か、悪い方へかは分からないが。
懸念はある。
……大坂に入った父上に関しては何も言うまい。今となってはどうしようもない。
父も、黒田家とは無関係だという事を強調していた。
こちらもあくまで、父一人の暴走だという姿勢を貫く。おそらく、父もそれを望んでいるであろう。
長政の不安は父ではない。
むしろその逆の存在。
つまり、子の事だった。
……忠之に関しては不安がある。
忠之は、徳川家から嫁いできた栄姫との間に生まれた子だった。
今回が初陣となる。
まだ少年とはいえ、当時の長政と比べてかなり自己主張が強い。悪く言えば、わがままな性格だった。
戦国の世で、しかも人質としていつ殺されてもおかしくない状況の中で育った時期もあった長政とは環境が違い過ぎるので当然といえば当然かもしれないが、まるで自分とは似ていない。
……だが、他に出せる者はいない。
下の弟達はまだ幼い。
戦場に立たせる事などできるはずがなかった。
「何事もなく終われば良いが――いや、何事もなく終わっては困るな。儂が幕府に大きく恩が売れるような事があって終わらねばならんな」
長政は苦渋の色を浮かべた表情のまま、そう呟くように言った。




