20話 紀州征伐
駿府。
かつて、徳川家康が幼少期を過ごした場所だ。
そこに築かれた城であり、かつては今川の館が築かれていた。
だが、武田軍による駿河侵攻により、今川館は焼け落ちた。
その後、新たに駿河の行政を担う城が築かれた。それが、この駿府城であるが、これまでの駿府城はあくまで守りの堅い館といった程度のものだった。
だが、今は改修工事を終え、それなりの規模のものへと変わっており、松永久秀以降の安土・桃山時代に築かれるようになった華麗な天守も築かれている。
その駿府城の地で、家康は蹴鞠を楽しんでいた。
相手をするのは、家康の近習達である。
家康の元に、鞠が送られる。
その家康を家康は蹴り返そうとする。
が、勢いをつけすぎた為か、まるで見当はずれな方向へと鞠は飛ばされた。
かつて、今川義元は駿府の地に人質としてとどめ置いた家康に、有力武将に育つようにと自身の師でもある太原雪斎をつけて英才教育を施した。
そして、その期待に家康は見事に答えた。
軍事面や政治面に関しては、綿が水を吸い込むかのように知識を身につけ、師である太原雪斎も驚かせた。
ところが、文化面に関してはまるで駄目だったのだ。
「やはり、義元公のようにはいかんのう」
かつての主である、今川義元は軍事面や政治面のみならず、文化面でも優れた才を持っていた。
蹴鞠なども、高貴な身分の嗜みとして熟していた。
だが、あいにく天は家康にそういった才を与えなかったようだ。
転がっていった鞠の方を見て、家康は小さくため息をつく。
その家康の蹴った鞠を取りにいくために、近習が鞠に近寄っていった。
「御屋形様」
その家康の元に、本多正信が現れた。
「ふむ。やはり、こういうものは苦手じゃのう」
家康は小姓が持ってきた鞠をつかむと、それを正信に手渡した。
正信はその鞠を抱えながら、正信は言う。
「報告をよろしいでしょうか」
「うむ」
「紀州太田城が、陥落しました」
この年、信忠は紀州攻めを行っていた。
紀伊国は、かつて織田信長が10万もの大軍で侵攻したにも関わらず攻め落とす事のできなかった難所中の難所。
この地を守る雑賀衆は鉄砲の扱いに長けていたし、海外とも独自の交易ルートを持ち、中央の力を対して必要としない一種の独立国ともいえる地だった。
本願寺との、石山戦争の最中、雑賀衆が本願寺へと加勢して織田軍を苦しめた事は一度や二度ではない。
信忠にとって、この地を制圧するのは父親超えという意味合いもあったのだ。
「やはりか」
だが、その紀伊が制圧されたと聞いても家康の顔は冷静だった。
小姓に、着替えを持ってくるように言うと敷物を敷かせ、その上に腰を下ろした。
「驚きませぬな」
正信の言葉に、家康は手を上下に振りながら言った。
「ま、当然といえば当然よ。何度も信長殿の軍勢を退けたといっても、当時は他家の支援もあった。毛利も本願寺も織田の敵だったからのう。だが、今はそんな味方はおらんしのう。どうせ、長宗我部も動けなかったのであろう」
「はい、推察の通りです。長宗我部は、淡路の仙石秀久殿の軍勢に牽制されており派手に動く事はできなかったようです」
正信も淡々と言う。
小姓がやがて着替えを持ってきた。
それに着替えてから、家康は歩き出した。正信がその後に続く。
「太田城は、水攻めで落とされたようです」
「ほう。水攻め、とな」
正信の言葉に家康は感心したように言う。
「かつて、備前高松の清水宗治を攻めた時にもやったというあれか」
「左様で」
正信も頷く。
「さすがは、城攻めの達人の羽柴秀吉よのう」
「まことに……」
家康も、城攻めを苦手としているわけではない。
今川や武田との攻防戦で、多くの堅城を陥落させた実績を持っている。だが、どちらかといえば野戦の方が得意としていた。
それに対し、秀吉は城攻めに長けた人物であり、今回の太田城以外にも、三木城、鳥取城、高松城などといった城攻めで功績をあげていた。
「信長殿があれほど苦戦しておった、雑賀の連中もあっけないものよのう」
「はい。こうもあっさりとは、哀れなものですな」
正信は少し同情的に言う。
「それで、紀伊は今後どうなる?」
「滝川殿に与えられるそうです」
「左様か」
滝川一益は、神流川での敗退後、織田家中での地位を完全に失っていた。だが、関東征伐や紀伊征伐で武功を重ね、一国の主としての地位を取り戻していた。
家康は黙って歩き続ける。
やがて、庭に作られた池の前で止まった。
そこには、鯉が優雅に泳いでいる。
家康が目配せすると、それを察した小姓が餌の入った袋を持ってくる。それを横目で見ながら、家康は言った。
「これで、織田は完全に本州を制圧したか。となれば、織田家が次に狙うのは四国の長宗我部であろうの」
小姓たちが、家康に餌の入った袋を手渡した。
その中から、餌をつまみ出す。
「はい。今や、長宗我部の勢力圏は四国全域に広がろうとしておりますゆえ」
正信は、家康から渡された鞠をどうするべきかといった様子で周りを見渡している。
「信長殿は、長宗我部殿を鳥無き島の蝙蝠などと評しておったがなかなかやるようではないか」
ふふ、と家康が笑う。
鳥無き島の蝙蝠――比較対象になる鳥がいない島であれば、蝙蝠であっても威張る事ができる。要するに、お山の大将。井の中の蛙だと、長宗我部を信長は低く評価していたのだ。
「とはいえ、その快進撃もこれで終わりのようじゃがのう」
「はい。羽柴秀吉殿や毛利輝元殿らに軍備を整えさせているようですし」
正信が鞠を池の傍に置き、答えた。
「最終的には、どれほどの数になりそうなのじゃ」
家康は、餌を池の中に落とした。
それに食らいつくように鯉が集まってくる。
「およそ、10万」
正信が淡々と答える。
「ほぉー、それほどか」
餌に食らいつく鯉を見ながら、家康も感嘆とした様子でつぶやく。
織田は関東征伐の際、20万近い大軍勢を動員したこともあるとはいえ、10万という数字は十分に多い。
「はい。それ以外にも、九鬼嘉隆殿の他にも毛利輝元殿にも水軍を動かせる予定のようです」
それに、と正信は続ける。
「羽柴秀吉殿も、小西行長殿や脇坂安治殿に命じて水軍を組織しているとか」
「水軍か……」
家康がそう言って苛正しげに親指の爪を噛む。
「どうかなさいましたか?」
「いや、儂らの方の水軍はやはり規模が小さいものだと思ってな」
徳川水軍は、織田水軍と比べると規模も武器の装備も、いくらか見劣りする。とはいえ、それもある意味仕方がない。
徳川軍は、物資輸送などの後方支援として水軍を用いたことはあっても、本格的な船合戦の経験はほとんどなく、水軍が成長する事もなかったのだ。
「確かに、やはり上方の水軍と比べると……」
「そうよのう。何とかする必要があるのう。それに、四国攻めでは我らに兵を出せとは言わなんだが、九州攻めでは要求してくるかもしれんしの」
「その場合は、船もですか」
「うむ。朝鮮攻めではなおさらの」
家康もまた、秀吉同様に信忠の思いが海のさらに先にある事を見抜いていた。
「貧弱な水軍を披露すれば、東国一の大大名として恥をかくことになるのう」
「まことに……」
正信は、否定する事なく頷く。
家康もじっと考えていたようだが、やがて言った。
「やはり、強化の必要があるのう。金に糸目はつけん」
「わかりました、そのように手配しましょう」
正信は頷く。
「……ところで、水軍衆を率いるのは本多重次殿ですか?」
「うむ、そうなるの。向井正綱なども見込みはあるが、まだ徳川に仕えて日が浅いしのう」
本多重次。
家康が、三河一国の主ですらなかった頃から三河三奉行の一人として行政面で活躍した男だ。
これだけを聞くと、典型的な文官に見えるが実際には戦場での逸話も多い荒武者でもある。
家康への忠誠心も高く、三方ヶ原の戦いでは窮地に陥った家康を助けるために自ら槍を奮って戦い浜松城への撤退を助けた。
これまでの多くの戦場を駆けぬいた事により、片目は潰れ、指も全て揃っていない。徳川三傑や四天王に数えられる事もないが、家康の信頼も厚い重臣なのだ。
また、向井正綱は今川、武田の旧臣。
今川家崩壊後は、武田家に。武田家崩壊後は、重次の招きに応じて徳川家に仕えている。
今の家康の言葉通り、徳川家に仕えて日は浅い。
「そうですか。重次殿ならば、問題はないかと」
正信は、あっさりと頷いた。
重次は、同じ本多姓ではあるが、正信との仲は良いとはいえなかい。
だが、正信は公私を混同するような男ではなかった。
重次とは不仲でも、その能力と実績は高く評価していたのだ。
「頼むの」
その背中を家康は見送る。
正信が下がってからも、家康はじっと池の中の鯉を眺めている。
池の中の鯉は、すでに餌を食べ終えたのか優雅に泳ぎ続けていた。




