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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
209/251

207話 決戦準備4

 駿府城。


 この日、徳川家康は京都所司代の板倉勝重の子である、板倉重宗を相手に将棋を指していた。


 手元の駒を弄びながら、家康は問いかける。


「お前の父は何か言ってきたか?」


「いえ、今のところ何も」


 重宗はそういって、駒を動かす。

 手前の駒ばかりを動かしており、完全に守りの態勢だ。


「手堅いの」


 そう言って家康も、駒を動かす。


「京は平穏そのものか。ま、今のところはの話だがな」


 大駒を動かし、重宗の固めた守りを崩そうとする。


 無言のまま、重宗も駒を動かした。

 守りをさらに強化したようだった。


 重宗は寡黙な人物であり、将棋の戦術同様に手堅い。


 ……太平の世になれば、こういう男こそが必要とされるのであろうな。


 彼には、いずれは父・勝重同様に京都所司代を任せたいと考えていた。


 だが、大戦がはじまろうとしている今すぐにというわけにはいかない。


 ……この戦いを一つの区切りとするか。


 もはや、大坂との戦は避けがたい。

 これまで、何とか避けようとあの手この手を用いた家康だが、長年の経験から戦の回避は不可能だと考えていた。


 ……こうなった以上、やむをえん。


 子の松平忠吉、それに忠臣の井伊直政の死の衝撃も大きい。

 この二人の死の真相は未だに不明だ。


 秀忠は、これこそが大坂方の謀略と断言し、大坂方を非難していた。


 しかし、織田秀信が黒幕だとするとあまりにおかしい点が多い。


 目の前の重宗の父である勝重に調査を命じていたが、真相がどうであれ開戦は避けられそうになかった。


「ほれ」


 家康が駒を動かし、重宗に王手をかける。

 まだ王の逃げ道はある。


「参りました」


 だが、重宗は王を逃がす事なく言った。


「早いの」


「既に、詰んでおります故」


 重宗は応える。

 その言葉の通り、この場は逃げる事ができても既に詰んでいるのだ。もはや、重宗の王が取られるのは時間の問題だった。


「粘ってみても良かろうに。儂が、何か間違える可能性もあるであろう」


「いえ。大御所様の過ちに期待するなど」


 そういって、落ち着いた様子で頭を下げた。


「儂も人間じゃ。間違う事もある」


 家康は一つ息をついた後、「まあ良いか」と続ける。


「これから江戸城に行く。このような大事、文を通じてというわけにはいかんからの。この駿府で変事があればすぐに知らせい」


「は」


 重宗は頷いてみせた。


「大御所様」


 そこに、襖の向こうから小姓の声がした。


「何用だ」


「頼房様が、大御所様への御取次を願い出ております」


「頼房が?」


 家康は怪訝そうな顔をする。

 この駿府城には、子の頼房も起居している。

 その頼房が何用かと思うが、


「儂はこれから江戸に出かける。故に、すぐに会おう。だがあまり時間はかけられんぞ」


 はっ、と小姓が下がっていく。

 

 しばらくすると、頼房が現れた。

 江戸へと急ぎたい家康は、かしこまった挨拶などは無視する形でいきなり訊ねた。


「一体、何のようじゃ?」


「父上、此度の大坂攻めに是非」


「お前も参陣したいというのか」


 どこかうんざりとした様子で、家康は言った。


「は?」


「違うのか?」


「い、いえ」


「そうか」


 嘆息気味に家康は言う。


「お前の兄達も同じ事を言ってきおった」


 この時点で既に、忠輝、義直、頼宣、そして秀康の子の忠直などが家康へと大坂攻めに加えて欲しいと催促してきていた。


「勇ましいのは結構じゃがの」


 家康にとって彼ら――特に関ケ原以降に生まれた子――は可愛い子供だ。

 それゆえに、何が起きるか分からない大坂攻めには加えたくないという思いがあった。


「しかし、これは兄上の仇を討つ為の戦でもあるはず。徳川の為にも、外様などに頼らず我らを中心に大坂を攻め滅ぼすべきでは」


「……」


 この辺りは、兄である秀忠とは違うところだ、と家康は思う。


 秀忠は忠吉を殺され、怒り狂いながらも冷静なところを残していた。大坂攻めには外様を中心とした兵で大坂城を取り囲み、幕府や親幕府の大名達の損害を抑えると同時に外様大名の力も削ごうと言ってきている。

 兄として怒りながらも、将軍としての立場から幕府にとって有益となるであろう判断をしている。


「まあ考えておこう」


 実際のところ、大坂方との戦いに頼房と頼宣は置いていこうと考えていた。


 何せ、戦は何が起きるかわからない。

 家康を中心とした徳川一族の人間達が、揃って死んでしまう可能性も皆無ではない。

 それを桶狭間の時に家康はよく学んでいた。


 幕府は盤石の体制を築きつつあるとはいえ、未だ安泰とはいえない。

 そうなれば、幕府は窮地に陥る。


 頼房や頼宣といった一門、そしてある程度の予備戦力は残す気でいた。


 こうして、頼房との会話を切り上げた家康は急ぎ準備を済ませ、江戸城へと向かった。







「大坂攻めがはじまるか――」


 越前――北庄城。

 この地を領しているのは、松平秀康の子であり、徳川家康の孫でもある松平忠直だった。


 その顔色はよくない。


「江戸や駿府から何か言ってきたか?」


 父の代からの重臣である本多富正に訊ねる。

 だが、その富正も黙って首を横に振った。


「私は既に、準備は整えているのだぞ。それなのに、いつまで焦らすのだ……」


 忠直は、大坂方との武力衝突が決まると、歓喜した。

 そして、まだ将軍からも大御所からも何の指示もなかったにも関わらず、即座に戦準備を始めていた。

 それほどまでに、此度の戦には力を入れていたのだ。


「何が何でも手柄をあげる」


 強い、忠直の意気込みがあった。

 それには、理由がある。


 この前年。

 越前は、一つの騒動が起きていた。



 原因となる出来事は、秀康時代から仕える久世という家臣の領内で発生していた。

 この領内に住んでいたある男が、佐渡へと出稼ぎに出かけていた。だが、暫くして音沙汰がなくなった。徳川幕府が成立し、平穏な時代へと向かいつつあるとはいえ、まだまだ危険の多い時代だ。その男の妻も、何らかの理由で亡くなったのだろうと考え、岡部自休の治める領内の男と再婚。


 ここまでなら、さして珍しくない出来事だ。

 だが、その前夫が帰って来て事態は急変する。

 勝手に再婚していた事に憤った元夫は、元妻に復縁を迫る。だが、既に子供もできていた元妻は了承せず、揉める事になる。

 元夫も納得せず、何度も復縁を迫り続けたある日、この元夫が急死するという事件が起きる。

 犯人は誰だか分からないままだったが、その容疑者の筆頭として疑われていたのは元妻と新しい夫だった。これに憤った久世領の民が、元妻を夫共々殺してしまう。

 今度は岡部領の民が憤る。


 ただの民同士の諍いではあったが、ここで松平家臣団内部での深刻な対立も表面化していく。

 元々、松平忠直は父・秀康が関ケ原の戦いで討ち死にした後、跡を継ぐ事になったが当時3歳。

 実質的な舵取りは、家臣団が行っていた。

 特に中心となっていたのが、秀康時代からの重臣中の重臣である本多富正だ。関ケ原の戦いでも、最期を迎える直前まで秀康と行動を共にしていた。

 彼の死後も、実質的に越前松平家を動かしていたのは、富正だった。

 そして久世も、関ケ原の戦いの後に家臣団の充実を図る為に推薦した男でもある。


 だが、それを面白く思わず、その富正と対立するのが、今村盛次だ。

 この問題で、富正が久世側に肩入れしているとしった盛次は、これを機に本多派の力を削ぐ事を目論む。

 

 岡部側についた盛次は、当主・忠直の叔父でもある中川一茂まで巻き込んだ。

 さらには、富正に対して「関ケ原の戦いの折、秀康と行動を共にたにも関わらず討ち死にさせ、しかも殉死もせずに醜く生き残った不忠者」だと攻め立てた。


 事態は久世不利へと進み、最終的には富正に久世を切腹させるよう迫らせる事に盛次は成功する。

 やむなく富正は久世に切腹を迫るが、あまりに一方的に事を決められた久世は憤り、これを拒否する。


 そこで今村派は、本多派の筆頭である富正の手によって同じ本多派の久世を討ち取らせる事によって富正の権威失墜を目論んだ。

 不本意ながらも、富正は久世屋敷を攻め立て、両者に多大な被害を出しながらも久世の討滅は成功する。


 この間、忠直は若年という事もあったにせよ、問題解決にほとんど関わる事ができずにいた。

 本来、ただの諍いに過ぎなかったはずの出来事で、多くの死傷者を出し、領内に騒動を起こして家臣団を割りかけた。


 ここまで来ると、幕府も介入せざるを得ない状況になる。

 大御所・家康自らが江戸城へと赴き、将軍・秀忠や本多親子、土井利勝ら幕府の重鎮と合議した。


 そして、江戸城に本多派、今村派を呼び寄せて裁定を下す事にした。

 当初、盛次優位に進んでいたが、富正が「盛次は未熟な当主である忠直を欺き余分な賄料を懐に入れている」「久世討伐時に、盛次一党は天守で高見の見物を決め込んでいた」等を告発する。


 これにより、盛次不利へと傾く。

 それを何とかしようしたのか、ここで当主である忠直に責任を転嫁するような発言をしてしまい、それが逆に家康の怒りを買う事になった。


 裁定は、富正優位で下される。


 盛次は、山形の鳥居忠政預かりの身となり、彼の一派も一掃された。

 富正は筆頭家老としての地位を固め、越前松平家は再びまとまろうとしていたが、一時は家臣団が真っ二つに割れる騒動に発展して忠直は面目を失った。


 それだけに、忠直はこの騒動で被った汚名を返上する好機だと考えていた。


「これでは、宇喜多を笑えん」


 かつて、宇喜多家では今の越前松平家と同じように、当主を蚊帳の外に置いて家臣団の間で対立が起きてしまった。それが後々まで響き、関ケ原での敗戦後に、追放同然の形で当主の地位を追われた。現在は流罪となっている。


「宇喜多のようになるわけには……」


 無論、細かい状況はだいぶ違う。

 実際に家康も越前松平家を、即改易という事にはしないだろう。


 だが、忠直は大御所・家康ではなく、叔父である将軍・秀忠を恐れていた。


 ……大御所様はともかく、将軍は松平家を改易する事に何の躊躇もない。


 大御所健在の今は良いが、いずれ将軍が完全に権力を掌握した際には越前松平家は改易に追い込まれるかもしれない。

 そんな時に、今回のような騒動は良い改易材料になる。


 それを恐れ、忠直は内心で焦っていた。

 だが、


「大坂攻めで手柄をたてれば、大御所様も私の事を認めてくれるはずだ」


 そんな時に大坂攻めの機会が訪れたのだ。

 手柄を立てようという思いは、歳の近い叔父達以上に強い。

 特に御三家と呼ばれる三人には強い対抗意識があった。


「私の力を見せてやるっ」


 この時点で大坂織田家との開戦はほぼ確実とはいえ、大御所・家康からは何の指示もない。

 にも関わらず、家臣達に命じて早くも戦準備を進めていた。


 そんな忠直を、富正は不安に思っていた。


 ……何も、このようなところまで秀康様に似なくても。


 かつて、忠直の父である秀康は家督が原因で、現在は将軍である弟の秀忠に強い対抗意識を持っていた。さらには、上田合戦での苦戦が原因で家督が遠のいたと思い、手柄に飢えていた。

 その時の状況と、今の忠直はよく似ている――富正はそう感じていた。


 秀康の時は、そのせいで異様なまでに手柄に拘り、結果として関ケ原合戦での突出を招いてしまい、討ち死にする原因となってしまっていた。


 ……結末まで秀康様と同じにならなければ良いが。


 富正がそう思う間にも、忠直の強い決意の元、越前松平家は大急ぎで戦準備を進めていったのだった。




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