204話 決戦準備1
――松平忠吉、井伊直政、死亡。
この知らせは、彼らの護衛から京都所司代の板倉勝重の元へと真っ先に知らせられた。
驚愕した勝重は、事の次第を問いただすため、秀信の元へと使者を発した。
同時に、江戸の将軍・秀忠、駿府の大御所・家康にも使者を送った。
ところが秀信は、全登の進言もあり徳川家には内密に京から脱出しており、大坂城まで戻ってしまっていた。
秀信は、「このまま京に留まれば危険です」という全登の言葉を――彼が裏で糸を引いているとも知らずに、何の疑いもなく信じた。
大坂にまで戻ってしまった事を知った勝重は、改めて事情の説明を求めた。だが、大坂城に発した使者は秀信に謁見すら許されなかった。
まともな返事も持ち帰れず、追い返された。
この頃には、将軍・秀忠、大御所・家康も忠吉、直政の死が知れ渡っていた。
特に、秀忠の怒りはすさまじかった。
不仲の弟の多い秀忠ではあるが、忠吉は数少ない例外である。その忠吉を殺されたと知り、怒り狂う。
即座に大坂へと兵を差し向け、秀信の首を刎ねると怒鳴り散らしていた。
家康も四男・忠吉の死と、寵臣である直政の死には強い衝撃を受けていた。
だが、秀忠とは違いある程度の冷静さは残っている。
予想を超えた事態に驚きながらも、とりあえずは大坂の秀信に事情を説明するよう求めた。
しかし、大坂へと送られた使者は追い返されるだけだった。
――このまま出頭すれば、有無を言わさず殺されます。元々、幕府は上様を排除したがっておりました。これを好機と逆に利用するに違いありません。
秀信は、この全登の言葉を信じ、自室で震えあがっていたのである。
こうなっては、穏健派の織田家臣団も打つ手がない。
逆に、浪人達の士気は高まる。今回の計画の真相を知る浪人達は勿論、何の事情も知らされていなかった者達も、幕府への恭順は望んでいない。戦が近い事を知って、喜ぶ者ばかりだった。
黒田如水も同様だった。
「今回の件、裏があるな」
秀信や浪人達の動きなどを探っていた如水は、今回の事件に違和感を持っているらしい。
二人きりの部屋で、後藤基次にそう言った。
「裏ですか?」
「うむ。浪人共。特に、全登の動きは色々と不自然なところがある。おそらくは、な」
「明石殿が上様を嵌めたのですか?」
「その可能性が高い。証拠はないがな」
如水の前には、摂津・和泉・河内を中心とした絵図が広げられている。
その上に、将棋の駒をのせ、それを動かしていた。
「うむ。やはり、軍勢を幾つかに分けてくるであろうな。一つにまとめるには幕府の軍勢はあまりにも多い」
顎に手をあて、そう呟く。
既に、幕府との戦を想定しているらしい。
「殿。話の続きを」
「分かっておる。そう急くな」
ふっふっふ、と如水は笑う。
「この状況、最も疑わしき者は明石全登じゃ。それに、長宗我部盛親のような浪人連中も怪しい。おそらく、それなりの人数が協力したのであろう」
「上様を嵌める事に、ですか?」
「人望のある君主であれば、密告しようとした者もおったかもしれんな」
如水は将棋の駒を愉快げに動かした。
「おそらく、このまま幕府と和睦――否、従属してはまずいと思ったんじゃろ。浪人連中は。それで策を弄したのよ」
「上様にその事は……」
「言っておらん。言ったところで聞き入れると思うか?」
如水の言葉に、基次は否定するだけの言葉を出せなかった。
もっとも、秀信は現在、恐怖のあまり部屋に閉じこもっており、誰とも面会を許していない状態であったが。
「ま、多くの者は幕府との戦を望んでおる。この流れには誰も逆らえんという事であろうな」
それに、と続ける。
「良いではないか、これで」
如水は基次ではなく、絵図を愉快げに見ている。
「幕府との亀裂はもはや決定的。生半可な条件で和睦は不可能。幕府も、面子があるからな」
くっくっく、と如水の口から声が漏れる。
「ここは、全登や盛親の思惑に乗ってやるとしようではないか」
「では、幕府と戦を……」
「当然よ。お前もそのつもりだったのであろう」
「……」
基次は、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「そのために、ここに――大坂城に来たのだからな」
さきほどまでのものとは違い、快活な笑い声が如水の口から飛び出した。
瞳も輝いている。
心の底から愉快そうな笑い声と顔だ。
「はじまるぞ! 最後の大戦がっ」
まるで初陣を迎えた若者のように、紅潮した顔と声だった。
一方、浪人衆は即座に戦の準備をはじめようとしていた。
秀信をはじめ、織田家臣団の指示も受けないままにだ。
止めようにも、今の混乱した織田上層部にそんな力はなかった。
浪人達は、勝手に軍議を開いていた。
「兵は、最終的にどれほどになる?」
長宗我部盛親が発言する。
大坂城下に逃れていた信徒の中には、刀を捨てた元武士などや、戦経験のある者もかなり混じっていた。
そういった信徒達も兵として動員し、兵力を増強していたのだ。
その結果、70万弱の石高しか持たない織田家の分限を遥かに超えた軍勢を集める事が可能になった。
「5万5000ほどだ」
明石全登が答えた。
「まあ、そんなものだろうな」
大体予想通りの数字だったらしく、盛親は頷く。
「幕府はどのくらいの人数になると思う?」
「今や、日の本全域を支配する幕府は20万どころか30万を超える兵も動員できよう。だが、それだけの兵を動員しては彼らを養う兵糧もそれだけ必要だ。武具や玉薬もただではない」
「問題は我らの事をどれだけ脅威に思っているか、か」
「むしろ、舐め切ってもらえた方が都合が良いがな」
ふふ、と全登が笑う。
それからところで、と続ける。
「水軍衆の方はどうなっておる?」
「一応編成したが、正直良いとはいえん。幕府水軍と戦えば一蹴されよう」
長宗我部や小西の旧臣を中心に織田水軍の再編成が行われていた。
「大筒は?」
「それなりの量を仕入れて据え付けた。大陸での戦いで使ったものも、まだ一部残っておる。それも使う予定だ」
だが、水軍にせよ大筒にせよ、幕府のものと比べると大きく劣る。人材や資金力の差だけではなく、幕府はイギリスやオランダなどからの技術提供も受けているのだ。
「そうか」
全登もそこまで期待していなかったらしく、頷く。
「ところで、反幕府勢力に対する呼びかけはどうしておる」
「続けておる。現状、表立って味方しようといってきた大名はおらんがな」
豊臣や毛利のように、それなりの力を持ち、なおかつ幕府に怨みを持つような大名に織田家への助力を求めた書状を送っていた。
しかし、即座に味方しようとする大名は今のところいなかった。
「上杉は?」
「あそこは駄目だな。景勝にもう、そんな気力はない」
「大和は?」
大和の国主は秀信の従兄弟に当たる織田秀雄だ。
「そっちも駄目じゃ。あそこの当主は、先代同様、幕府に忠誠を誓っておる」
「上様と従兄弟だというのにか」
「まあ、当然といえば当然か」
二人は苦笑しあう。
かつて、織田秀雄とその親でありかつて信雄と名乗っていた常真は幕府恭順派として知られている。
そのために、尾張と伊勢も返上した。
やりすぎともいえるほど低姿勢な彼らを、「それでも信長公の子や孫か」と侮蔑する者もいる。
だが、はたして恥を捨ててでも生き残る為にあらゆる策をとろうとする彼らに比べ、破滅しかないと分かって幕府と戦う道を選ぶ秀信が立派かと言われると疑問だ。
「すると、我らは味方のおらん戦いになるのか」
やれやれ、といった様子で盛親で言う。
悲観しているわけではない。
戦う前から分かっていた事なのだ。
「いや」
だが。
その盛親に全登が言う。
「一応、当てはある」
「何?」
意外そうに、盛親は目を見張る。
「そんな存在があるのか」
「まあ、信用できるかといえば疑問ではあるが――やはり、信用できんな」
そこまで言ってから、自分で首を左右に振った。
「何なのだ。思わせぶりに」
「いや、すまんな。だが、一応、交渉を続けてはみる。あまり期待せんで待っていてくれ」
「焦らすの」
「まあ、とりあえずは、現状で策をたてるしかないな。貴殿も頭をしぼってくれ」
「うむ」
盛親は頷き、二人もまた対幕府戦に向けての策を話し合った。




