201話 最後通牒
大御所である徳川家康四男・松平忠吉から、会談の申し込みがあった。
場所は、伏見城。
内容に関しては、徳川と織田に関して。
その書状を、不満げに見つめる男がいる。
大坂城主・織田秀信である。
「……予は、織田の当主だぞ」
苛立った口調だ。
その傍らには忠吉から届いたのとは別に、忠吉の同腹の兄である将軍・秀忠から届いた書状だ。
そこには、浪人やキリシタンの追放を命じる内容が書かれてあった。
丁重な書き方こそしてあるものの、内容は脅迫に近い。
「にも関わらず、このような」
ちっ、と忌々しく舌打ちして秀忠からの書状を睨みつける。
「予が誰を雇おうが、誰を保護しようが勝手ではないかっ」
乱雑に手を床に叩きつける。
「上様」
そんな秀信に、百々綱家が、必死に訴えるように言う。
「お言葉ですが、上様が保護した者の中には公儀から捕縛命令が出ている者も入っております」
「それがどうした! 何が公儀だ! いつから公儀という言葉が徳川の為のものになったっ」
「その通りです」
怒鳴りつける秀信から目をそらさず、綱家が返す。
「今は、徳川こそが公儀そのもの。その事を何卒、認めてくだされ」
「おのれっ」
秀信が、苛立った様子で立ち上がる。
そして、怒鳴るように言った。
「お前は、予の家臣か! それとも徳川の走狗かっ」
唾をとばし、今にでも抜刀しそうな凄まじい形相だ。
「無論、上様の家臣です」
だが、その秀信に怯む事なくはっきりとした口調で綱家は返す。
「それゆえに、申し上げます。おそらくこれは、幕府からの最後の警告ではないかと」
「最後の警告だと?」
「はい。このようなものを送り届けるのと同時期に、松平忠吉様からの会談の申し込み。これはおそらく、我らの面子を可能な限り保つ形で和睦しようという意思の現われではないかと。これを、無視したとあらば……」
「それを無視すればどうなるというのだっ」
一瞬、間をおいてから綱家が答える。
「幕府と、戦になるかと」
「戦だと! 望むところだっ」
血気盛んな様子で、唾を飛ばして立ち上がる。
「予は、織田秀信だ! 織田信長の孫にして、信忠の子。天下人である織田の家の正当な後継者であるっ」
「……」
「例え、幕府が100万の軍勢を引き連れようと、我が方の軍勢、決死の覚悟を持つ忠臣ばかり。予も陣頭にたって戦う。さすれば、幕府軍は怯え、浮足立ち、撤退するに違いないっ」
言っている事は、あまりに無謀だ。
赫怒し、顔を紅潮させる秀信に、綱家は説得の困難を悟る。
……どうするべきなのだ。
織田常真から、密かに幕府内部は大坂攻めを強く求めているという知らせがあった。
にも関わらず、秀信は未だに反幕府の意思を貫こうとしている。
……このままでは、織田は破滅だ。
どうしようもない。
絶望的な思いを抱えながらも、秀信の元から立ち去った。
その日の夜。
綱家はある人物と、面談を行っていた。
剃髪し、織田有楽斎と名乗るようになった織田長益である。
浪人衆の力が日に日に増していく中、ある程度の発言力を残す数少ない幕府恭順派ともいうべき男である。
「どうにもならんか」
「はい」
その有楽斎に、恐縮した様子で綱家は答える。
「上様は、戦を望んでおられるようです」
「何と短慮な……」
今の彼は秀信に仕えている。
だが、親族という事もあり、しかも面と向かっているわけではないためかその物言いに遠慮はなかった。
「このままであれば、あの御仁は織田を破滅に導くぞ」
「そうならない為に、手を尽くしております」
綱家の顔に、悲壮なものが浮かぶ。
「徳川幕府や、幕府の信頼の厚い譜代大名らにはもちろん、豊臣家、さらには浅井時代の伝手を頼って、藤堂高虎や脇坂安治などに取り成しを頼んでいるのですが」
綱家は、浅井家の旧臣でもある。
高虎や安治も同様だ。
高虎は、外様でありながら幕府からの信頼を勝ち取っているし、安治は大大名というわけではないが、淡路を領している。幕府との戦になれば、織田領のすぐ近くにあるこの地は極めて重要になる。
その為に、かつての伝手を頼り交渉してみたのだが、
「結果は、芳しくなさそうじゃの」
「はい。どこも、我らに下手に関わるわけにはいかないと思っているのでしょうな」
綱家は苦笑しながら答える。
「まあ、その判断は間違ってはおらんであろうな」
「……そうですな」
力なく、有楽斎の言葉を肯定した後、ごほごほ、と綱家は咳込む。
「どうした。風邪か?」
「申し訳ありません。某も歳ですので……」
「そうか。ならば、安静にするがよい。このような時期に、其方が倒れてしまえば、我らはさらに窮地に陥る」
「はい。ですが、安静にしていられるような状況では……。正直、某が上様の元から完全に離れてしまえば、その瞬間に幕府と戦になる気がして」
「このような状態では、冗談だと笑い飛ばす事はできんな」
有楽斎は手を組んで考え込む。
「確かに、そうなりかねん。そうならないよう、其方には長生きをして欲しいものよ。何だかかんだで、其方はあの御仁から頼りにされておる」
「だと良いのですが……」
ごほごほ、と再び咳込んだ。
「とにかく、今日のところは失礼致します」
それだけをいうと、綱家は去っていった。
……どのような結果になるにせよ、今年か来年にはこの大坂の地の平穏は終わるであろうな。
有楽斎はそう思った。
そして、この予想は的中する。
この一か月後、事態は――幕府恭順派にとって――悪い方へと急変する事になる。




