198話 大坂集結
大坂城――。
岡本大八事件の影響を受け、キリシタンに対する風当たりはさらに強いものとなった。
そんな中、公然とキリシタンを保護している唯一といってもいい勢力であるこの大坂の織田家に信徒達は集まり続けた。
現在は、織田秀信に仕えている明石全登と内藤如安はこの日、当主である秀信と謁見していた。
「……というわけで、幕府の弾圧を恐れ、上様からの庇護を求める信徒達が今後も増えると思われます」
「うむ」
全登の言葉に、秀信は頷く。
「武士でなくとも、強い信仰の力を持つ信徒達は、必ずや上様の力になるでしょう」
「うむうむ」
全登の言葉を秀信も満足そうに聞いている。
幕府から逃れ、自分のところに信徒達が頼ってくることを心地よく感じているようだ。
消去法ともいえる選択の結果ではあったが、信徒達に頼る対象が秀信しかいないというのもまた間違いはなかった。
「武器を持たん信徒達といっても、数は侮れん。かつて、祖父や父上も武士でもない連中が多くいたという、長島の一揆連中に苦戦したというからのう。信仰の力、期待しておるぞ」
「そうですが……」
ここで、如安は少し眉を顰める。
彼にとって、信徒達は保護対象であり戦いに出す前提の存在ではない。
だが、今の日の本でキリシタンに好意的な存在で、最も強大な力を持つといっていいのがこの秀信だ。
他は大大名であっても、幕府の方針に従いキリシタンの弾圧を始めている。
「どうかしたのか?」
「いえ」
ならば、この男の機嫌を損ねるわけにはいかない、と如安も追随するように言った。
「かつて、我が主君に仕えていた者達もかなりおります。必ずや、上様の力になるでしょう」
かつての如安の主君である、小西行長の家臣や領民にはキリシタンが多い。
他家に仕えていた者達も、岡本大八事件の余波を受け、この大坂の地を目指す物も少なくなかった。
「そうかそうか」
秀信は破顔して聞いている。
「――上様」
ここで、百々綱家が口を開いた。
「何じゃ。今、大事な話をしておるところなのだぞ」
勇ましい事を言う浪人衆と違い、幕府への恭順するように迫る古参の家臣団に対し、秀信の態度は辛辣だった。
「申し訳ありません。ですが、一つよろしいでしょうか」
「だから何じゃ」
「今は亡き上様の遺した膨大な蓄えが、この大坂城にはあります。ですが、それも無限ではありません」
「だから、予を頼ってくる浪人達を追い返せというのか」
「はい」
その秀信に対し、はっきりとした口調で言った。
「それはあまりにも、むごくはありませぬか」
全登が口を挟んだ。
「今、彼らは他に頼るものがありません。幕府の度重なる弾圧に耐え兼ね、唯一頼れる存在だと上様を信じて、この大坂の地に来るのですぞ」
「左様。このような世になっては、幕府に抗える存在など上様ぐらいのものですからな」
如安もそれに同意する。
二人の持ち上げともいえる発言に、秀信はうむうむと満足そうに頷いている。
「上様」
だが、それでも毅然とした態度で綱家は続ける。
「大坂城には、そこまでの余裕はありませぬ。何卒」
綱家の本音を言えば、信徒達を養う為の金ではなく、幕府を恐れたからこその発言だった。
信徒達は、何かの切っ掛けで幕府との開戦理由を作りかねない。
だが、そちらの理由を告げては、秀信は意固地になる。
幕府に対する反発から、意地でも信徒達を匿おうとするだろう。
「うーむ」
その甲斐があってか、多少は綱家の言葉に耳を傾ける気ではいるようだ。
持ち上げられていい気になっていた、秀信の表情に困惑の色が浮かぶ。
「だが、それでは信徒達はどうすればよいのだ?」
「海の外にでも逃れてもらうほか、ありませぬな」
この時期、キリシタン弾圧を恐れ、海の外へと渡る者も出始めていた。
国外への渡航は現状、禁止されているわけではない。だが、いずれそれに制限がかかるのではないか、と危惧する者もいたのだ。
だが、それでも言語や風習、何もかもが違う地で暮らす事を躊躇う者は少なくない。
「うーむ……。しかしな。予を頼って来た信徒共を追い返したとあっては、予の権威が損なわれる」
「その通りです」
全登が口を挟む。
「それに、信徒達を保護していれば、イスパニアやポルトガルとの交易でも優位になります。幕府はこの二か国を締め出そうとしているようですし」
この時期、オランダ商館に続きイギリス商館も完成し、幕府の主な交易相手は完全にオランダ・イギリスへと変化していた。
「うーむ……」
「それに、イスパニアには世界最強と言われる水軍を抱えるといいます。万一の時は」
「まさか、イスパニアに支援を頼むつもりなのではないであろうな」
遮った綱家の言葉に、全登が頷く。
「良いではありませんか。イギリス・オランダを日の本から放逐するというのであれば、イスパニアも頷くのも不可能ではないのでは?」
「馬鹿な……」
綱家が、あまりの事に表情を曇らせる。
「イスパニアが、そんなにもお人好しなはずがあるまい。当然、見返りを要求してくるはずだ。交易の点で様々な便宜を図るだけではなく、領土も要求してくるかもしれんぞ」
「ならば、琉球はどうですか?」
「何?」
不意に出て来た言葉に、思わず綱家は驚く。
「あの地を、差し出してはどうかと言っているのです。あの地は、元々支配者が曖昧な地。くれてやっても、問題はないでしょう」
「馬鹿な……」
綱家は吐き捨てるように言った。
「琉球は今では立派な島津領、その島津は幕府の傘下なのだぞ。島津が認めるはずがあるまい」
「島津如き、我らが幕府を倒せばどうにでもなりましょう」
全登はこともなげに言った。
明らかに、島津の事など軽視している様子だ。
「なるほど。それもそうか」
などと、秀信は全登の言葉に納得してしまったのか、頷いている。
「上様!」
その秀信を窘めるように秀信は怒鳴る。
「島津だけの問題ではありません。あの地は、明との間で問題を抱えております。それをそうも簡単にイスパニアに譲りでもしたら……」
「明の事は問題にはならないかと」
口を挟んだのは、如安だった。
「明の国力はかなり落ちています。はっきり言って、無視しても良い存在かと」
彼は、かつて大陸遠征の際、小西行長の配下として明との交渉を任されていた。北京にも行った事がある。
その為、明の事情に関しては詳しかった。
「かつての大陸出兵の際、兵を派遣したのだって本音では嫌々。ただ、朝鮮半島が奪われると、自分達の足元が脅かされるから。実際には、今の明は自領を守る力すらありません」
「ほう。明はそのような状態なのか。哀れなものよのう」
秀信の言葉に、綱家は唖然とする。
哀れなのは、その明以上にまずい状態に追い込まれている織田であり秀信だった。
しかも、その事に秀信が気づいている様子はないのだ。
「……いずれにせよ、私は反対です。そのような形で援軍を得たとしても、先がない」
「ほう。では、百々殿は、現状でどうにかする手段をお持ちなのですかな?」
全登の言葉に、綱家は有力な反論はできなかった。
本音を言えば幕府に誠心誠意、頭を下げて恭順を誓う事だけがその方法だった。しかし、それを秀信は絶対に認めようとしないだろう。
結局、有力な対策もできないまま、時は過ぎた。そして、大坂城内には次々と信徒達が集い続けていったのである。




