19話 東国統一
小田原城。
北条家の本拠であり武田信玄や上杉謙信の侵攻をも退けた、東国随一といってもいい金城湯池の堅城だ。
この地に築かれて以降、たびたび増改築を繰り返して来たこの小田原城は、まさに北条家の栄光と繁栄の歴史そのものといってもいい。
だが、それもこの日で終わろうとしていた。
(……ここまでか)
北条家の事実上の総帥である北条氏政は、そう決断せざるをえない状況にまで追いこまれていた。
信忠からの使者である、黒田孝高を追い払ってからおよそ三か月。
戦況はよくならないどころか、むしろ悪化していた。
関東中の支城のほとんどが、織田軍によって落とされ、頼りになる弟だった北条氏照も討ち死にした。
忍城や鉢形城などは、今もなお粘っているが、それも時間の問題であろうと思われた。
小田原城には豊富な水や食料が備蓄されているとはいえ、それも有限だ。
数万の兵を永遠に養う事はできない。
一方の織田軍は包囲を続けて数か月が経っても、未だに食糧が尽きる様子はない。見せつけるかのように、飯を炊く煙が織田の陣からは大量にあがっている。
こうなれば、氏政ももはや決意するほかない。
「当主を呼べ」
氏政の指示を受け、子の氏直がやがて氏政のところに姿を現した。
現当主と、事実上の当主の対面である。
「父上……」
「氏直、分かっているとは思うが」
「はい」
氏直が答える。
「織田に下れ」
氏政の言葉は短いが、氏直にも十分に伝わっていた。
「はい」
氏直が首を縦に動かして頷いた。
「反対はせんのか?」
「いえ、私も同じ結論でしたので」
氏直も覚悟を決めたように言った。
「信忠に交渉します。何とか、私が腹を切る事で父上や叔父上たち、それに家臣達の命を助けるようにと……」
「ならん」
氏直の言葉を、氏政は一蹴した。
「ここは、儂のみが主戦を唱えて強引に戦を始めた事にする」
「父上、それは……」
氏直が絶句したかのように、口を開く。
確かに、氏政は主戦派の一人だった。
だが、あくまで主戦派「の一人」である。
他にも、主戦論を唱えた北条一族や家臣達は大勢いた。その数は両手の指を使っても足りない。
「よいか、ここは誰かが責任を取る必要があるのだ」
「しかし……」
「そして、それはお前よりも年長な儂の方がいい。生き伸びれば、生きてさえいれいずれ好機が訪れる」
「父上……」
「よいか、氏直」
氏政は、氏直の顔をじっと見つめながら言い聞かせるように言う。
「先代当主として最後に命じる。必ず北条家を再興せよ。よいな」
「わかり、ました……」
必死に唇を噛みしめて氏直はうつむくと、静かに嗚咽した。
その翌日。
北条家は降伏した。
100年に渡り、関東に降臨してきた北条家の終焉である。
北条一族は氏政が切腹する事を条件に他の家臣団は皆、助命された。ただし、その領土の大半は没収される事になった。
そして、小田原城は開城した。
ついに、難攻不落の巨城は陥落したのだ。
北条家はこれで滅び、小田原城はその主を変えようとしていた。
だが、それは織田信忠ではない。
「……ということでどうでござろう?」
小田原城。
その上座に、織田軍総帥の信忠が座る。
その前にいるのは、東海の覇者・徳川家康だ。
「……つまり、某にこの小田原の城を下さると」
「そうだ。相模だけではない伊豆も、肥沃な武蔵も徳川殿の領国となる」
「……」
しかし、家康の顔は晴れない。
「ですが、信濃の地を変わりに、と……」
そう。
新たに領国を加増する代償に、これまで家康の領有していた信濃の地を差し出すよ
うに言われていたのだ。
「すまぬの。信濃の地は、儂の不甲斐なき家臣達から徳川殿とその家臣達が血を流して、北条の侵攻から守った土地。その事は理解しておる。だが、未だに未練を残すものが多くての」
信濃の地は、武田征伐の後、織田家臣団に与えられていた。
武田旧臣で所領を安堵されていた、木曽義昌を別にすれば滝川一益、森長可、毛利長秀らである。
だが、彼らは本能寺の変の知らせを受け、織田と袂を分かった北条軍の侵攻によって領国を捨てて逃走していた。
しかし、人間、一度自分のものになったものを失うとなると未練を残すものだ。
ちなみに、同じく武田家滅亡後に織田領となった甲斐は川尻秀隆に与えられていたがその川尻秀隆は既に死んでいる。
「納得してもらえるな?」
「……承知しました」
家康の顔には苦渋の色が浮かんでいる。
信濃一国は40万石ほど。
それを失っても、新たに得る事ができる相模・伊豆・武蔵の三ヶ国の石高は80万石を超える。
差し引いても40万石以上の加増になる。
だが、やっと領国化が進んだ信濃の地を失い、変わりに日の本一といってもいい善政を行っていた北条の領土を与えられたのだ。
領民が徳川家になつくのには、多大な手間と労力がかかろう。
だが、受け入れるしかない。
織田家は広大だ。
信長が死んでも、一時の混乱で立ち直ってしまっている。
逆らっても益はない。
「さすがは徳川殿。父上の見込んだ律義者じゃ」
信忠がぱっと、顔に喜色を浮かべる。
内心、家康が受け入れてくれるか不安があったらしかった。
家康が、信忠――というよりは織田家の力を恐れているように信忠もまた家康の力を恐れていたのだ。
こうして、信濃の代償と、今回の恩賞として徳川家は相模と伊豆、それに武蔵の地を得る。
家康の与力扱いとなっていた、木曽義昌はこれを機に徳川領となった関東の代替地へと配置される事となった。
徳川領とならなかった、上総や下総などの旧北条領には池田恒興、中川清秀、高山重友らが加増した上で配置された。
また、上野は柴田勝家とその与力武将に分割して与えられた。
北条から寝返った真田昌幸は、現時点の上野領内での所領に加えて恩賞として信濃小県郡を得る。この地を新たな本拠と定め、城の築城を始めていた。
それ以外の信濃領内には、本能寺以前に配置されていた織田家臣団が再び配置される事になる。
関東に移転した木曽義昌の旧領は、信孝の直轄として加増された。
宇都宮は下野の所領を安堵、佐竹も常陸を安堵された。もっとも、常陸の地はまだ内部に多くの問題を抱えており、常陸が完全に佐竹領となるのはまだ少し先の話となる。
里見は、安房一国を安堵された。
そして、北条一族はというと。
北条氏政は切腹。
北条氏直は、織田信孝に身柄を預けられた。叔父の氏邦はそれに従った。
北条氏規は家康の嘆願もあり、徳川の与力となる事で存続を認められる事になった。
北条家臣団は、新たな関東の統治者となった徳川や織田に仕官する者とそのまま浪人となる者に別れた。
その後、大量の兵と兵糧がまだ十分に残っていた織田軍は、その勢いのままに北上を開始。
その織田の勢いを見て、次々と奥羽の大名達が下る。
だが、あくまで織田家に反抗したものや、織田家に下る時期が遅かったものは徹底的に粛清され、その領国を没収された。
蘆名義広、葛西晴信、石川昭光、大崎義隆、黒川晴氏らである。
その空き領となった地には、蒲生氏郷や木村吉清らをはじめとした織田家臣団を新たに配置した。
津軽、安東、南部、最上、伊達、相馬らは存続を許された。
これより以東は、海を挟んだ先の蝦夷地となる。
こうして、織田家の東国制圧を完了した。
この瞬間、事実上の本州の全域を織田家は支配下に置いたのである。




