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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第1部 天下人の誕生
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1話 脱妙覚寺

 天正10(1582)年。

 山城国・京の都。

 その地にある、本能寺が炎上していた。


 この中にいるのは、日本列島の半分を傘下に収めた天下人に最も近い男・織田信長。この本能寺はその男の終焉の地となった。

 そしてこれは、新たな時代の幕開けでもあった。


 そんな中、本能寺をじっと眺めている男がいる。

 信長を討った明智軍の総大将・明智光秀だった。


「信長は逝ったか」


 光秀が訊ねた。


「できることならば死体を確認したかったのだが――」


 はっきりと死体がでてきて、はじめて信長を屠った事が確定となる。


「申し訳ありませぬ。しかし、本能寺は四方から包囲しておりましたし、信長を脱出するものを見たものはおりません。状況から間違いなく死んだものと思われます。また、信長の寵臣である森成利(蘭丸)も信長と共に果てたようです」


 光秀家臣の斎藤利三が答える。

 本能寺を包囲していた際、指揮を執っていたのはこの利三なのだ。


「うむ……」


 光秀も自分を納得させるように頷く。


「よかろう。ならば、信長はここで死んだものとし、その前提で行動するとしよう」


 そう言うと、光秀はぐるりと家臣達を見渡した。



「光秀様」



 そんな中、光秀の与力武将である金剛秀国は二人の間に口を挟んだ。


「秀国か」


「は、少しよろしいでしょうか。某に提案が」


「すぐにこの騒動は知れ渡る事でしょう。その前に、是が非でも討ち取る必要があるかと」


「――妙覚寺か」


 妙覚寺。

 織田家当主・織田信忠が宿舎としている寺である。


「左様、信忠を討ち取るべきかと」


 信長を討ったところで、当主の信忠が健在である以上は光秀は安穏とできないのであろう。

 安土や大坂に逃れでもすれば、逆襲の軍勢を指し向けるのは必定なのだ。


「……うむ」


「某に2000ほどの軍勢を預けてくだされ。さすれば、すぐにでも信忠を」


「討ち取ると申すか」


「はっ」


 秀国は低頭する。

 少し考え込むように、光秀は顎に手を当てる。


「……良かろう」


 光秀の返事は短かった。


「ならば、すぐにでも妙覚寺に迎え。2000の兵を与える」


「承知つかまつりました」


 秀国は頷くと、2000ほどの兵を引き連れて妙覚寺へと向かった。




「――よろしいので?」


「何だ?」


 妙覚寺に向かう途上。

 馬上で、若い家臣が問いかけた。

 年齢は20を少し出たばかりの青年武将だ。


「このまま信忠様を討ち取ってしまって」


「うむ、そうなってはまずいな」


 秀国の言葉に家臣は驚いたように目を見開く。


「は?」


「我々が信忠様を討ち取れば、完全に謀反人になる。それは避けたい」


「で、では、どうなさると……」


「信忠様に、光秀様の謀反を告げて安土まで逃れていただく」


「――っ!」


 老臣はその言葉に驚き、続いて絞り出すように言葉を続ける。


「光秀様の謀反が成功する可能性は低い。少なくとも私はそう考えている」


「何故そのような……」


「上様を討ち取っても、織田家は巨大だ。筒井殿や細川殿が協力したとしても、羽柴殿や柴田殿相手にはどうにもなるまい。いずれは、平定されてしまうのは必定よ。ならば、こちらから赴いて信忠様の窮地を救い、恩を売った方が良いではないか」


「で、では光秀様を裏切ると……」


 若い家臣は驚いたかのように目を見開いた。


「それに、先に裏切ったのは光秀様ではないか」


 秀国は愉快そうに笑った。


「確かに、光秀様は上様を裏切りましたが」


「いや、そちらではない」


 家臣の言葉を秀国は遮った。


「は?」


「光秀様は、私に何の相談もなく上様に反旗を翻した。秀満殿や利三殿と違ってな」


 無念を吐き出すように秀国は言う。

 光秀は、自分を信頼してくれなかった。

 光秀が信長に背いた事よりも、秀国にとってそちらの方が無念だったのだ。


「……」


 若い家臣は秀国の言葉に、何と答えていいかわからずに無言になる。


「もし私にもしっかりと相談してくださっていれば、この危険な博打に最後までつきあっても良かったのですぞ、光秀様」




「何用かっ!」


 それなりの地位に思われる武士が、前に出る。

 武器こそ突きつけてこないが、かなりの警戒態勢だ。


「某、明智光秀与力の金剛秀国と申すっ! 信忠様に御取次ぎ願いたい!」


 その言葉に、武士は少し戸惑った様子ではあったが、


「暫し待たれい」


 と奥へと引っ込んだ。

 しばらくして、数人の男性を伴って戻ってきた。


「光秀の与力が何用か?」


 織田信忠。

 信長が逝った今、名目的に実質的にも織田家の頂点に立っている男だ。

 その瞳には、強い警戒の色を浮かべている。


 一方、護衛のように伴った男性がいる。

 この国ではありえない黒い肌の持ち主である。

 かつて、信長が宣教師から欲したという黒人男性・弥助だ。


 だが、秀国には目をくれることなく信忠に目を向けた。


「信忠様、このような急な来訪にこの度は――」


 言いかける秀国を信忠は遮った。


「前置きはいい。時間がないのであろう。手早く申せ」


 非常時である事は感じ取ったのだろう、甲冑こそ着ていないが信忠は臨戦態勢である。話が早い、と秀国は唇を動かす。


「我が主・明智光秀が謀反を起こしました。本能寺にて、上様を討つと」


「何っ!?」


 信忠が驚きの表情を浮かべる。

 信忠だけではない。

 周りの家臣達も同様だ。


「詳しく申せ」


 いち早く冷静さを取り戻した信忠が訊ねる。


「はっ。まずは――」


 一から順番に話し始める。

 黙って聞いていたが、信長の横死を知った際は大きく動揺した。


「な、なんと。父上が、上様が……」


 唖然。

 茫然。

 愕然。

 信忠の瞳が驚きによって見開かれ、体もぶるぶると震えている。

 あまりの事態にすぐについていけない様子だ。


「貴様はそれを黙ってみていたというのか!」


 信忠に代わって怒鳴り散らすように言ったのは、斎藤利治だった。

 かつて蝮と恐れられた美濃の梟雄・斎藤道三の子であり、義龍の弟。

 現在は、信忠の側近としてこの妙覚寺にあった。


「はっ。申し訳ありません。某の知らぬ間に、斉藤利三や明智秀満らと謀議していたようでして……。某が知ったのは、本能寺にて上様が散華された後です」


 これは半分嘘である。

 信長への謀反に関する謀議にほとんど関与していなかった事は事実だが後半は違う。

 実際は、本能寺の変を起こす直前に光秀は重臣達を集めてその意向を確かめていたのだ。


 が、その時は周りに合わせた。

 そうしなければ、良くて捕縛、最悪はその場で斬られかねなかったからだ。


「そこで、せめてもの償いにこのことを一刻も早く信忠様にお伝えするほかないと愚考し、信忠様を討つとの名目で光秀から兵を預かりこの妙覚寺に駆け付けた次第です」


「うむ……」


 信忠は黙り込む。

 それは、秀国の言葉に納得したのか。それとも、納得こそしなかったものの、ここで揉めるのは得策でないと判断しただけなのか。

 その表情からは分からなかった。


「いずれにせよ、この地に留まるのは危険というわけか」


「はっ。それゆえに、我らの軍勢で護衛いたしますゆえ、ぜひとも安土城へとお引きください」


「殿、この男の言葉を信じてよろしいのですかっ!」


 口を挟んできたのは、斎藤利治だ。


「仮に、明智の謀反が事実だとしたら、この男の言う事も偽りかもしれません! もしかしたら、光秀を裏切る振りをして実際は信忠様を殺すための罠かもしれぬのですぞっ!」


 その言葉に、信忠は黙って首を振る。


「そうであるのならば、黙って私を討ち取っていたであろう。この妙覚寺にいる兵は少ない。それに対し、この者の軍勢は少なく見積もっても1000はいる」


 そう言ってから、秀国に向き直り、


「秀国とやら。そなたの言う事を信じさせてもらう。そなたの軍勢と共に私は安土に戻る」


「はっ――」


 秀国は深々と口頭した。

 家臣達もそれに倣う。


 だが、利治だけは納得できない様子で、


「よろしいのですか? もしやとは思いますが、生け捕りにするための罠かもしれませぬぞ」


「そうかもしれん。だが、この男を信じずに妙覚寺に残った場合はその時こそ最期だ。光秀が改めて軍勢を送り込んでこよう。ならば、この男を信じて生き残る方に賭けた方がよかろう」


 そう言って信忠は黙らせた。

 が、迅速に行動する必要があった為、この時に秀国と行動を共にするのは信忠とその側近数名のみということになった。

 他の家臣達は、別行動となり別路で京からの脱出を目指す。


 いずれにせよ信忠を伴った秀国の軍勢は、そのまま京の都を脱出した。

 光秀は、電光石火の動きで信長を討ったが、京の包囲は十分にできていなかったのだ。

 光秀が秀国の裏切りを知ったのは、すでに秀国が信忠と共に京を脱出してからだった。

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