196話 伊達政宗5
――江戸城。
伊達屋敷。
この屋敷の一室に、伊達政宗は股肱の臣である片倉景綱と話し合っていた。
傍らには景綱の子である重長の姿もある。
そこに、この日、客人が訪れた。
「大久保長安様がお見えです」
「おお、通せ通せ」
政宗の言葉に、一人の男が招かれるように入って来た。
武田の旧臣であり、今は幕府の財政基盤を担っている大久保長安である。
武田征伐の後、家康が気に行って登用した男だ。
当初は、旧武田領内、次いでは新たに徳川領国となった関東の金山や銀山の開発を担っていたが、関ケ原の戦いの後、勢力を一気に拡大し石見や佐渡を徳川家が手に入れると、その奉行も担う。そして、見事に膨大な利を徳川幕府にもたらし、幕府安泰に大きく貢献した男だ。
彼自身は、八王子に8000石ほどを与えられているだけだ。
しかし、実際にはそれを遥かに超える収益を得ていると噂されており、彼に金を借りている大名も少なくない。
「伊達殿、お久しゅうござるな」
「うむ。其方も壮健そうで何より」
長安がふふ、と笑う。
「何の何の。大久保殿もとても60過ぎには見えん。戦場に出ても戦えそうではないか」
「ふふ。某なんぞ、20の頃の肉体があったとしてもすぐに死ぬだけでござるよ」
そう満更でもなさそうに返した。
武田の旧臣という事なら、年齢的には徳川家との抗争中に戦場に出ていてもおかしくはない。
実際、彼の兄は長篠の戦いで武田方として参陣して討ち死にしている。
しかし、鉱山の開発などに才能を見出されていた彼は、戦場に出る事なく、今の地位を築いた。
「それで、大久保殿。以前の話でござるが。 ……殿に、それとなくお伝えしてみた」
「おおっ、話してくださったか。 ……それで?」
「そう急く事はないでしょう」
にやり、と長安は笑う。
「という事は」
「はい。 ……殿は喜んで伊達殿に協力すると」
「おおっ」
その言葉に、政宗は喜ぶ。
「やりましたな、殿」
追従するように、景綱が笑った。
「殿、父上。どういう事ですか?」
ただ一人、彼らのやり取りを聞いていた重長が怪訝そうに訊ねた。
「松平忠輝様の事は、お前も知っておろう」
「はい。それは勿論」
景綱が、そんな重長に説明するように言った。
「その忠輝様がな。我らに協力してくれると仰せなのじゃ」
「忠輝様が?」
驚いたように重長が目を瞬かせる。
「無論、倒幕の為にな」
ニヤリ、と政宗が説明を引き継いだ。
「そうだな、大久保殿」
「その通りです」
長安も肯定する。
「しかし、忠輝様は殿の娘婿とはいえ、大御所様の……」
「分かっておる。その上で、婿殿は我らに協力する事を約束してくれた。そうだな、大久保殿」
「はい」
長安の目がギョロリと光る。
「何と、本当なのですか!?」
重長は驚いたよう様子だ。
「嘘をついてどうする」
ふふ、と政宗は笑う。
「しかし、忠輝様は今でも大御所様の子。それほどの立場にありながら……」
「この挙兵に賛同するのか解せん、か。だがな、兄である将軍――上様に疎まれておる。大御所様からの評価も微妙だと言う。事実、与えられた石高も弟達よりも低い」
この時、甲斐、駿河、常陸といった領地を弟の義直達は与えられている。
「ならば、このまま不遇の生涯を送るぐらいであれば、大勝負に出て、将軍の地位を兄から勝ち取りたいとお考えなのよ。豪気な男よ、婿殿は」
はっはっは、と政宗は笑う。
長安も黙って頷いた。
「大御所様の子である、忠輝様が中心となれば、幕府内部からも味方する者が期待できる。将軍は、優秀な男だが敵も多い。反発する大名や幕臣から力を借りる事ができる」
景綱も続ける。
「なるほど……」
重長も納得したように頷いている。
だが、とここで政宗は言葉を遮る。
「大久保殿から倒幕の為に、資金を借り受けてもいる。上様に反発しているであろう大名達にも、密かに根回しをしているが。問題が一つある」
「問題?」
「挙兵の時期よ」
政宗が言った。
「もう、いつ大坂攻めが始まってもおかしくない。だが、大坂という最後にして最大の懸念材料に消えてなくなれば、上様は先手を打ってくるかもしれん」
「よもや伊達家を潰すとでも……?」
重長が懸念を示した。
「いや、さすがに即改易などという事はなかろう。倒幕の計画は秘密裏に行っているし、露見しているとも思えん。しかし、将軍は慎重かつ冷酷な男。いくら親徳川とはいえ、100万石近い外様大名である伊達家をそのままにしておくとは思えん。何らかの形で力を削ぐかもしれん」
「石高の削減ですか?」
「何らかの理由をつけてな。あるいは、天下普請とでもいって金を巻き上げる、城を破却させる、などで伊達を弱体化をさせる気だろう。ありえる話だ」
むう、と政宗が小さく唸る。
「確かに、本多の親子は伊達殿を警戒しているようです」
長安が口を挟んだ。
「本多の親子か……」
幕府で絶大な権力を持つ正信・正純の親子は、外様大名から恐れられ、警戒されていた。
政宗も例外ではない。
「奴らは徳川家による安泰を第一に考えておる。そのためには、我ら外様大名は邪魔なのであろう」
「外様大名が力を持ちすぎる事を、不安に思っておるのでしょう。こうして、倒幕の計画を立てる不埒な御方もいるわけですからな」
景綱がニヤリと笑う。
不敬とも思える発言だが、信頼しているこの男だからこそ、政宗も笑って返した。
「そうよな」
暫し笑いあってから、
「だが」
と政宗が続ける。
「本多の親子は我らにとっても脅威だ。何とかならんか、大久保殿」
長安にとっても、本多親子は派閥的に敵対している。
「一つ策があります」
「ほう、策とな」
政宗が興味を示した。
「うまくいけば、本多親子を叩きのめす事ができます」
ギョロリと長安の瞳が輝き、続ける。
「一つ、面白い話がありましてな」
「面白い話?」
「伊達殿は、有馬晴信の事は知っているでしょうか」
「有馬――? 当然、知っておるが。奴がどうかしたのか?」
「は、それがですな――」
長安は説明を始める。
有馬晴信は、九州の大名。
そして、事の起こりはポルトガル領のマカオにてだった。
その地で、有馬晴信の朱印船の乗組員がポルトガルの船であるマードレ・デ・デウス号の船員とのいざこざが起きる。それが原因で、日本側の乗組員数十人が殺害され、積荷まで奪われるという事件が起こった。
だが、マードレ・デ・デウス号はこの事を軽視していたのか、あるいは日本を侮っていたのか、何食わぬ顔で長崎へと訪れた。
激怒した晴信は、その事を大御所・家康に報告。マードレ・デ・デウス号への報復を願い出た。
報告を受けた家康は、晴信の報復を容認した。
「ほう、大御所様がそのような事を」
ここで政宗が口を挟んだ。
「侮られますからな。そのような事を黙認していては」
長安の言葉に、景綱も同意するように言った。
「それだけではありませんな。三浦按針の影響もあり、幕府は今、エゲレスやオランダとの交易が順調に拡大しておりますからな」
「奴らとの交易に痛手を与えても、面子を優先して構わんと考えたわけか」
長安は政宗の言葉に頷く。
そして、政宗が先を促し、話を続けた。
晴信はマードレ・デ・デウス号を攻撃。
これを見届けたのが、長崎奉行の長谷川藤広と本多正純の与力である岡本大八だった。
マードレ・デ・デウス号の炎上を見届け終わった後、岡本大八は本多正純へと報告し、正純から家康へも報告がされた。
晴信は家康から称賛の言葉を受け取る。
その後、謝礼も兼ねて有馬晴信は岡本大八を饗応する。
だが、晴信にはある期待があった。
それは、かつて織田秀信と織田信孝に織田家が分裂した時、日和見の態度を取った咎として豊臣秀吉に奪われた旧領の奪還を願っていたのだ。
その旧領は杵島・彼杵・藤津の三郡であり、現在は鍋島家の領土となっていた。
大八に取り入り、何とかその旧領を取り戻そうと目論んだのである。
大八にそのような権限はない。だが、大八は家康の側近である本多正純の家臣でもある。
それを利用し、晴信を唆した。
恩賞を得る為の工作資金が必要だと、言葉巧みに晴信から大金を巻き上げたのだ。
しかし、いつまでたっても幕府からも本多正純からも何の知らせも届かない。
ついに、晴信は正純に直接書状を送り、事の次第を確かめた。
正純は驚愕する。
そして、ようやく事態を悟る。
思いのほか重大な事件に発展している事を知った正純は、詳しい調査を命じ、大御所・家康に報告した。
だが、問題があった。
これは単純な詐欺事件では済みそうにない。
岡本大八は正純の家臣だし、有馬晴信の子である直純はかつては家康に近侍していた時期もあり、松平信康の孫を正室としている。
迂闊な裁定を下してしまえば、幕府に大きな混乱を生みかねない。
「ここで、うまく正純の責任を追及すれば……」
「なるほど。本多正純に大きな痛手を与える事ができるかもしれんな」
政宗も理解した、と言わんばかりに膝を叩く。
「ですが」
景綱が口を挟む。
「そのようにうまくいくでしょうか」
「何じゃ? 何か懸念があるのか」
「はい。本多正純は大御所様の寵愛を受ける男。このような事で、正純を切り捨てるような事をするとは思えませぬ」
「確かに」
景綱の言葉に、重長も頷く。
「逆に、痛手を受ける羽目になるかもしれんぞ」
政宗は警告するように言うが、
「いえいえ。ここは某にお任せくだされ」
長安は自信満々に言ってのけた。
――だが、結果的に長安の目論見は外れた。
岡本大八は、全てを自分の責として正純へと追及はいかなかった。
当然ながら、彼は死罪を宣告されたものの、有馬晴信もまた無傷ではすまなかった。
晴信が長崎奉行・長谷川藤広の殺害を企てたという告発がされ、晴信もそれを認めたのだ。その罪と、旧領の復活を目論んで行った工作の数々が家康の不興を買う事になり、領土も没収され、流罪となった。
とはいえ、子の直純は父と疎遠であった事、父をかばうのではなく、逆に罪を強く糾弾した事が考慮され、その領土の相続を許された。
だが、事件はまだ本当の意味では終わらなかった。
有馬晴信と岡本大八がキリシタンだった事が元凶である、と反キリシタンの代表格である、幕府の重鎮・以心崇伝が主張したのだ。
これにより、幕府は反キリシタンの色が濃くなり、それを保護する大坂の織田家の元に、幕府の迫害を恐れた信徒達が集っていくことになる。
幕府が、織田家を潰さなければならない理由がまた一つ増えてしまったのである。




