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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
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193話 琉球制圧

 江戸城の一室。

 将軍である徳川秀忠はこの日、土井利勝を呼び寄せて話し合っていた。


「島津と琉球の件だ」


 秀忠はすぐに本題に入る。

 信頼の厚い利勝を相手に前置きの類は不要だった。


「遂に父上の許可が下りた」


「ついに、ですか」


 利勝も頷く。


 琉球征伐は、それこそ20年以上前の九州征伐のあった頃から島津の待ち望んでいた事だ。

 秀忠の本音を言えば無理に制圧する気はなかった。


 しかし、そうもいっていられない状況になってきた。


 かつて、伊達政宗の領内に琉球の船が流れ着いた際には、これを保護し、琉球に送り返した事があった。

 だが、この件に対して琉球から返礼はなかった。

 島津はこれを問題視し、幕府に代わり自分達が誅を下すと進言する。

 それでも幕府――というよりは家康は、平和裏な解決を求めて何度か使者が送られた。が、王府はこれを無視した。

 そればかりか、その使者を罵倒するという有様だった。

 これでは、幕府の面子にも関わる。


 こうした経緯もあり、家康もついに折れた。

 大御所と将軍の許可が下り、島津は念願の琉球征伐の準備をはじめる事となる。


 とはいえ、精強さで知られる島津の軍勢が負けるとは、幕府も島津も思っていない。

 対する琉球は、長年、戦とは無縁であり武器の質も、兵の数も相手にならない。日の本と琉球の戦いどころか、島津対琉球の戦いであっても間違いなく勝てるだろうと考えられていた。


 それでも唯一の懸念材料といえたのが明だ。

 かつての大陸出兵の時は、李氏朝鮮を相手に完勝しながらも、明の援軍に出っ張られてからは劣勢に立たされた。

 撤兵の決めてとなったのは、織田信孝の反乱だったが、明の参戦が大きな痛手になったのは間違いない。

 その再来を恐れていた。


 しかし、琉球は朝鮮ほど明と強い繋がりはないし、朝鮮半島と違って渡海の必要もあり援軍を送りにくい。以前の大陸出兵の失敗により、軍を渡海させる事がどれだけ難しいかは、幕府の首脳もよく知っていた。

 それに、その大陸出兵の影響は明に未だに残っている。あれから10年以上の年月が流れたが、完全に立ち直ったわけではないだろう。

 ゆえに、明が参戦する可能性は低いと思われた。


「しかし、それでも不安な気もしますな」


「そうか?」


「我らはともかく、九州の大名には参戦を命じたらいかがですか。外様大名を中心に編成すれば、幕府にとっての損失も少なくすみます。むしろ、外様大名の力を削ぐ良い機会かと」


「黒田や福島、加藤などか」


「はい」


 利勝も頷く。


「いや、やめておくべきであろう。そうなればむしろ、幕府への反発から島津との繋がりが強化されてしまうかもしれん。我らは、外様も含んだ大名連中の頂点に立つ存在だ。ある程度の不満がでてしまうのは仕方ないにせよ、必要以上にそれを大きくする必要もあるまい」


「そうですな」


 大して食い下がる事なく、利勝は意見を引っ込めた。


「それに、外様とはいえ他の大名共が参戦しておっては、万が一この琉球征伐が失敗に終わった場合の後始末が面倒だ」


「なるほど。いざという時は」


「うむ。その時は島津に全責任を負ってもらう。その処分に歯向かうようであれば、討伐軍を送る良い口実になるしの」


 父である家康の意見もあり、かつて計画した第二の九州征伐は中止とされた。だが、秀忠としてはもっと幕府の力を九州にも強めたいという思惑が今でもあった。


「そうすれば、九州も安泰じゃ」


 秀忠にとって、大坂だけでなく、九州も不穏分子。

 一度、完全に屈服させたがっているのだ。


「ですが、今、島津をどうこうするのは得策ではないのでは? 島津を屈服させるとあれば、相当な兵力が必要でしょう。しかも、島津は九州の南端部にあります。兵站の確保にも相当な苦労をします」


「そうよな。やるとすれば、関ケ原が終わった直後であったのだがな。あの時なら、島津も弱っておったし、我らにも勢いがあった」


 ふん、と不満げに秀忠は鼻を鳴らす。

 あの時、九州征伐を父・家康に止められたことを未だに不満に思っていたのだ。


「今は、琉球征伐の結果を待つとしましょう」


「それもそうよな。暫しは吉報を待つとするか」


 そう言って秀忠は薄く笑った。




 そんな秀忠らの思惑もある中、島津による琉球征伐が始まった。


 大将となったのは、樺山久高。兵の数も3000ほど。大陸出兵時と比べると、はるかに軍の規模は小さい。

 侵攻軍は、まず奄美大島に上陸。

 この時、抵抗はなかった。ほぼ無血で占拠する。

 次いで、徳之島へと上陸する。

 こちらでは、多少の戦闘はあったものの、わずかな犠牲者を出しただけで制圧する。


 そして、本島を目指した。

 これまで、明の介入は一切なかった。

 兵どころか、使者すら送ってこない。

 首里城もあっさりと囲まれた。

 わずか一月ほどでの出来事である。


 これ以上の抵抗は無意味と悟り、尚寧王は、久高と対面。島津への降伏を宣言した。

 数か月後、駿府城にて大御所・徳川家康と謁見。その後は江戸に連れていかれ、こちらでは将軍・秀忠と謁見。


 ここで、徳川幕府から琉球の領有を認められた。

 これは幕府から領有を許可される事により、琉球が正式に従属する事を意味していた。

 そして、貿易などに関する利権の多くを事前の約束通りに島津が受ける事になった。

 とはいえ、明との窓口という特異性から曖昧なままにしておいた部分も多かった。

 明は明で、琉球の事に口出しするような余裕もなかった。


 結果として、事実上、徳川・島津の支配下にありながらも明の冊封国というややこしい立場が今後も続く事となったのである。

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