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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
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189話 井伊直政

 近江――彦根城。

 佐和山城を取り壊し、新たな近江統治の拠点として築かれたこの城に松平忠吉は訪れていた。

 応対するのは、舅である井伊直政である。


 忠吉は直政の正面に座る。

 この部屋を、そして築かれたばかりの天守を見て、


「やはり良い城だな。ここは」


 忠吉は、そう彦根城を褒めたたえた。


「そう言っていただけると光栄ですな」


 直政も朗らかに笑う。

 井伊家がこの彦根城に本拠を移し、1年ほどになる。

 それまでの本拠だった佐和山城も名城だし、かつて城主だった石田三成には関ケ原で討ち死にした島清興と並んで過ぎたるもの、とまで言われたほどだ。


 しかし、この佐和山城は本能寺の変の際にも、織田信孝の造反の際にも、関ケ原の際にも落城する羽目になっている。

 極めて縁起の悪い城として、直政は佐和山城を廃城とし、この彦根城を新たに築いたのだ。


「それで――」


 直政が切り出した。


「大坂の様子はどうでしたか?」


「まあ、一応こちらの話には耳を傾けてはくれておるが、の」


 どこか歯切れの悪いまま、忠吉は返す。


 この時、大坂城の織田秀信を訪れての帰りにこの彦根城に立ち寄っていたのである。


「某にも何か協力できる事があるのでしたら、何なりと。何せ家督を譲ってだいぶ時間も空くようになりましたしな」


 この時、直政はもう40の半ば。

 既に家督を、長男の直継に譲っていた。

 当時の平均寿命を考えれば不自然ではない。


「うむ。其方の事は頼りにしておるぞ。何せ、徳川四天王で生き残っているのは其方だけになってしまったからな」


 その言葉にそうですな、とどこか寂し気に直政は続ける。


「本多殿も、いなくなってしまいましたからな」


 本多忠勝もこの時、既に他界。

 かつての「徳川四天王」、あるいは、「徳川三傑」と呼ばれた徳川家の誇る重臣もついに、この直政一人になってしまっていた。


 石川数正、酒井忠次、鳥居元忠といった今川時代からの重臣のほとんどは既にこの世の者ではない。


「うむ。実に残念な事であった。幕府を開く事ができたとはいえ、忠勝の力はまだ必要であったというのに」


「ですが、若い力も育ってきておりますゆえ、本多殿も安心して逝く事ができたのではないかと」


「そうよな。我が弟達も大きくなってきておるし」


 この時、家康は後に徳川御三家と言われる忠吉の弟でもある三人の子供達を元服させ、それぞれ義直、頼宣、頼房と名乗らせるようになっていた。

 義直は、甲斐を与えられた。

 頼宣は、家康の起居している駿府城のある駿河を――実質的な駿府城の主は家康のままではあるが――譲られた。

 頼房は、この時に既に亡くなっている五男・信吉の旧領である常陸を与えられた。


 六男である松平忠輝も、信濃に15万石ほどの領土を確保していた。

 しかし、他の弟達は既にその倍以上の領土を確保している。


 将軍職を継いだ秀忠や、尾張を与えられた忠吉は年長という事で仕方がないにせよ、10年ほど年下である弟達の半分以下の石高という事に忠輝も屈辱を感じているのではないか、とふと忠吉は心配になる。


 忠輝は、次男・秀康同様に祖父や曾祖父の良く言えば勇猛、悪くいえば粗暴ともいえる面を強く受け継いでいると噂されていた。


 ……その点だけは、不安ではあるがな。


 忠吉は内心でそう考えたが口には出さなかった。


「ところで」


「む。どうした」


「話は戻りますが、大坂方との話し合いはどうなったのですか?」


 そんな忠吉の内心の葛藤を察したのか、直政がここで話題を元に戻した。


「ああ」


 思い出したように、忠吉は口を動かす。


「あまり良い、とは言えんな」


「秀信様は聞く耳持たず、ですか」


「うむ。まあ、な」


 忠吉の歯切れは良くない。


「どうも、私の事も大御所様の子という事で敵視しておるようであった。側近達の取り成しで、何とか話は聞いて貰えてはいるが。正直、どこまで伝わっておるか……」


 その時を思い出したかのように、忠吉は嘆息する。


「そうですか」


 ある程度予想していたのか、直政の表情には驚いた様子も憤る様子もない。


「何とか、兄上に形だけでも頭を下げて欲しいのだがな。大坂には、良からぬ連中も多くなってきた」


「と言いますと?」


「秀信殿は、大坂で浪人連中を雇い始めた。無論、それ自体は問題はないし、むしろ有り難い事ではあるのだが」


 関ケ原合戦の後、西軍に組した大名達の多くは石高を減らされた。

 石高が激減すれば、当然配下の俸禄へも影響してくる。単に減らされただけの者はまだ良いが、浪人となってしまう者もかなりいた。

 中には再仕官できた者もいるが、それでも今も多くの浪人達が全国に散らばっている。


「その連中が色々と、我らの悪口を吹き込んでいるようでな」


 彼らの多くは、東軍――さらに言うならば徳川家によって家を失い、あるいは追い出される羽目に陥った者達だ。

 当然、徳川幕府にも良い感情は抱いていない。


 徳川家に怨みを持つ秀信は、そんな彼らと意気投合した。

 徳川幕府には逆らうな、と口癖のように言う家臣達より、幕府に反抗的な浪人達に秀信が心を許すのはある意味、自然な事でもあった。


「まあその大半は、大した力を持っておらんが、元四国の大名だった長宗我部盛親や、大谷吉継の子の吉勝、兄上(秀康)に仕えておった御宿政友など少しは名の知れた連中もおる」


 長宗我部盛親は、関ケ原合戦の後、西軍に参加した事と家臣が引き起こした一揆の責任を問われて改易。御家の再興運動などをしていたところを、秀信に拾われた。


 大谷吉勝は、父・吉継の仇である徳川家に下った豊臣家に反発し、出奔。


 御宿政友は、武田や北条の旧臣。武田、北条が滅んだあとは松平秀康に仕えていたが、その秀康が真田信繁に関ケ原の戦いで討たれた後に、跡を継いだ忠直に仕える事なく浪人となっていた。


「なるほど、確かに厄介そうな連中ではありますな」


 直政も頷く。


「そのような連中を抱え込むとは、やはり大坂は幕府に戦でも仕掛けるつもりなのか。あるいは、単に連中を憐れんで救ってやっただけなのか。どちらなのでしょうかな」


「正直、今のところ、どちらともいえんな」


 忠吉の顔も曇る。


「正直、秀信殿は幕府への反発が強いとはいえ、即座に幕府と戦おうとは考えておらんはずだ。幕府に反抗的な浪人を集めたとはいえ、無謀というほかない。だが、追い詰められた場合の選択肢の一つとして、幕府との開戦を想定しておる可能性がある」


「まあ、上様だけでなく大坂滅ぼすべし、と言う声が幕府内部で強いのは事実ですしな」


「うむ。このままいけば、幕府に頭を下げるくらいなら、幕府と一戦を――秀信様がそう考えてもおかしくはない」


 忠吉の顔がさらに暗くなる。

 大坂と幕府との開戦を避けたい忠吉ではあるが、現状は厳しい。

 緩やかに、だが確実に幕府との開戦の日が近づいているような気がする。


「まあ、上様も即座に大坂を滅ぼす気はないようですし、気長に行くべきしょう。まだ猶予はあります。その間にもしかしたら、秀信様が現実を直視する日が来るやもしれませんし」


「うむ……」


 忠吉も直政の言葉に、とりあえずは頷くしかなかった。

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