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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
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187話 松平忠吉

 那古野城は、かつて織田信長が生誕した城として知られている。

 元は、今川家の城だったとされるが、それを謀略を用いて信長の父である信秀が奪取。以後、尾張制圧の重要拠点となった。


 しかし、信長が勢力を拡大していくにつれ、この城の価値は低下していき、廃城となってしまった。


 だが、この地の重要性に目をつけた家康が、清州城に代わる新たな尾張統治の拠点として巨費を投じて築城を開始した。

 さらに、織田時代から心機一転するべく那古野から名古屋へと、名を変えさせた。


 その名古屋城の築城作業が行われている間、工事現場近くに築かれた館で、新たな城主となる松平忠吉と、将軍・徳川秀忠が対面していた。


「順調に進んでおるようじゃな」


「はい。皆、良く働いてくれております」


「うむ。この分なら心配はなさそうだの」


 ふふ、と秀忠は小さく笑う。


「兄上の方こそ、島津の件はどうなったのですか?」


 忠吉が訊ねた。


 この時、秀忠は上洛し、島津家当主である島津忠恒と会っていた。

 忠恒も何度も延期を繰り返していた琉球征伐の許可を願い出る為、上洛していたのだ。


「うむ。琉球征伐の許可は出してやった。義弘とは違い、忠恒の方は色々と幕府に尽くしてくれておるしの。それくらいの褒美はやらんとな」


「そういえば、兄上の子を自分の子に迎え入れたいという話もありましたな」


「まあ、さすがにその件は流れたようだしの。それに、琉球は色々な意味で抑えておく必要がある土地。これを機に何とかするべきであろう」


「そうですか。 ……父上はこの件について何と?」


「父上も承知の上だ」


 秀忠の表情にかすかに苦いものが混じる。

 わずかではあるが、親子仲――というよりは、大御所と将軍の間に溝が生まれつつある。

 その事も秀忠も自覚していたし、弟である忠吉も察していた。


 とはいえ、この件に関しては大御所・家康、将軍・秀忠の意見が一致したうえでの結論だった。


「ところで」


 秀忠の機嫌が悪くなったのを察して、忠吉は強引に話を変えた。


「その、意外でしたな。大坂の方からもしっかりと金と人が提供されるとは。そのお陰で随分と助かりましたが」


「ああ、その件か」


「てっきり、もっとごねるものと思っておりましたが……」


「いや、お前の言う通りそう簡単にはいかなんだ」


「といいますと……?」


「あの御仁、最初は右大臣の職を要求してきおった」


「右大臣の……?」


 右大臣職は、かつて家康も就いていた事があるが、将軍職を秀忠に譲った際に返上していた。


「大方、肩書だけでも祖父と並びたかったのであろうよ」


 そう言って秀忠は冷笑する。

 秀信の祖父である、織田信長も右大臣職に就いていた事があるのだ。


「それはまた……」


 忠吉は何と返すべきか言葉に迷った。

 現実を未だにみようとしない秀信に対して呆れ果てた様子の秀忠とは違い、忠吉はむしろ同情した。

 もはや、織田家などほとんど力のない無力な存在。

 にも関わらず、今は亡き祖父や父の巨大な幻影に縋る秀信が、哀れに思えたのだ。


 もっとも、自尊心が異常なまでに強い秀信が仇敵――と一方的に思われている――家康の子である忠吉に同情されたと知ればむしろ怒り狂うだろうが。


「で、返答はどうされたのですか?」


「今後次第、だ」


 秀忠はそう言って愉快そうに口元は釣り上げた。

 おそらく、この様子では「今後」など当分は来そうになかった。


「それで、大坂の御仁は納得されたのですか?」


「さあな。だが、金と人を大人しく差し出したところを見ると、側近連中がうまく説得したのであろうよ」


 そう言って秀忠は笑った。


「……」


「どうした?」


「兄上」


 忠吉の表情が、真剣なものへと変わる。

 どこか訴えるような強い視線が、秀忠へと注がれている。


「兄上は、その。いずれ大坂を攻めるつもりなのですか?」


 この場に二人の他に、人はいない。

 護衛も部屋の外で待機しているだけだ。

 その事を分かったうえで、忠吉は訊ねた。

 この内容は大坂の織田家どころか、他大名、いや幕府内部の人間が相手であろうと迂闊には聞けない事なのだ。


「私が大坂を、か」


 ふふ、と秀忠は小さく笑った。


「そのような噂が流れておるのか」


「いえ。しかし、幕府内部でも、大坂滅ぼすべし、という声が強まってきております」


「なるほど。私がその声に答える、と」


「兄上はどう考えているのですか?」


「……」


 秀忠も即答しない。

 故・秀康とは違い、仲の良い弟ではあっても迂闊に話して良い事ではないのだ。


「もしそうであるのならば、何卒考え直してはいただけないでしょうか」


「何故だ」


 秀忠が意外そうな顔をした。

 特に親しいとは思っていなかった秀信相手に、忠吉がここまで肩入れするとは思ってもいなかったのだ。


「私もこの地を治めるようになって、8年。織田家に対する声は良く聞こえてきますゆえ」


 尾張の地は、織田家の本貫ともいえる地だ。

 未だに親織田の空気が強い。

 しかも、織田信雄がかつて尾張と伊勢を返上した際、その家臣の一部も忠吉の家臣団として組み込まれている。

 そんな彼らに、忠吉も影響を受けていた。


「なるほど。それで織田に妙な愛着ができたか」


「何卒、御一考を」


「……ふむ」


「もはや、大坂の織田家には何の力もありませぬ。仮に大坂攻めを行ったところで無駄に血を流すだけかと。太平の世に馴染めず、浪人となった者達も巻き込み大乱の原因にもなりかねませぬ」


 秀忠も忠吉の言葉に考え込んでいる。


「確かに、大坂攻めは必須というわけではないが」


 秀忠にとって、大坂攻めの大きな利点は不穏分子となりかねないかつての天下人・織田の滅亡だ。

 はっきりとした形で織田家が徳川家に従属したところを見せれば、その必要もなくなる。

 もう一つ、幕府内部での、将軍派の権威の拡大という目的も秀忠にはあったが別の形でもそれは可能だ。


「しかし、大坂の御仁が頭を下げるだけでは駄目だ。あの城からも出て行ってもらう。あの御仁ではとても釣り合わん城だしの」


「では秀信殿に国替えを?」


「うむ。越前辺りに移そうと思っておる。あそこには織田家ゆかりの地もあるしの」


 越前の丹生郡は織田家発祥の地とされている。


「しかし越前には既に――」


「忠直は越後に国替えだ。上杉も近い内に別の場所に移そうと思っておったし、堀も秀治が死んでからごたついておるらしいからの。何か理由をつけて改易にしようと思っておったところだ」


 この時、越前には秀忠にとって甥にあたる松平忠直が。越後の大半は、堀と上杉によって治められていた。

 しかし、堀家は当主の秀治がこの年に亡くなっており、家中に混乱が起きていた。


「そうですか――」


 兄の秀康、その子の忠直に対して秀忠が冷たい事は忠吉は理解していた。

 関ケ原の際に敵対していた上杉や、日和見の堀などといった外様大名も同様だ。

 彼らに対する配慮など、この兄にはないだろう。


「どうだ。この条件を大坂の御仁は飲むと思うか?」


「――何としてでも」


 忠吉としても、そう答えるしかない。

 そう答えないとこの兄は、間違いなく大坂攻めを実行するだろう。

 忠吉にはそんな確信があった。


「ならば好きにせい」


 この弟に甘いところのある秀忠は鷹揚に頷いた。

 だがそれでも、無条件に受け入れたわけでない。


「しかし、いつまでも待つわけにはいかんぞ」


「分かっております。3年。いえ、2年以内には必ずやその条件で秀信殿を納得させましょう」


「うむ」


 秀忠は軽く頷いた後では、と続ける。


「私は明後日には江戸に戻るが、明日一日は、尾張でゆるりと過ごす。どこか良い獲物のいる場所でも教えてくれ」


 秀忠は、尾張で忠吉と鷹狩を楽しんでから江戸に戻る気でいた。

 父である家康とは色々な意味で似ていない秀忠だったが、鷹狩を趣味としている事に関しては同じだったのだ。


「わかりました」


 忠吉は頷いた。


 こうして、この日の兄弟の対談は終わったのである。

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