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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
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185話 江戸幕府4

 駿府城の一室で、本多正信は子の正純と対峙していた。


「お久しぶりです。父上」


「うむ。お前も、よくやっておるらしいの。江戸の方にも色々と噂は聞こえてくるわ」


「はっ」


 この時、正純の権勢は幕府内部でもかなり高まっており、「大御所に頼み事をする時は正純を」と言われるほどだった。

 これは、家康からの寵愛を正純が受けているという事もあったが、正純自身の才覚も大きかった。

 その為、正純と関係を持ちたがる大名達は多い。

 そういった大名は正純に色々と便宜を図ったり、贈物の類をしていた。


「だが、ほどほどにしておけ。これ以上、お前の力が大きくなると余計な妬みまで買うやもしれんぞ」


「肝に銘じておきます」


 正純はそう頷く。


「まあ、それはそれとして。今日は一つ用があってきた」


 正信が本題に入った。


「上様の事なのだが」


「上様が何か……?」


「正直、儂も見る目を誤っておった。まさか、これほどの御方だとは思わなんだ」


 そう言いつつも、どこか正信の表情は苦々しかった。

 正純もそれを察した。


「父上の予想を超えすぎていたと……?」


「うむ。上様の権威は予想以上に大きくなっておる。儂の推した秀康様であればこうはならんかったかもしれん。その才を見抜いたのは、さすがは大御所様、といったところなのじゃが……」


「あまりに大きすぎる、と」


「その通りじゃ」


 正信の顔に苦いものが混じる。


「上様は力をつけすぎた。正直、今のままでは危険だ」


 そして、と正信は続ける。


「儂が上様よりも大御所様と近い関係にあるのは江戸城内の誰もが知る事実。正直、居心地が悪い思いをしておる」


「そうですか……」


「ま、そう弱気になるな」


 ふふ、と小さく笑って正信は首を左右に振る。


「この程度でどうこうなる儂ではないぞ」


 正信の顔に、不敵な笑みが浮かぶ。

 当時の平均寿命を既に超えた老人とは思えないほどの気迫がある。

 そこでだ、と話を続ける。


「少し江戸の風通しをよくする事にした」


「具体的にはどうされるのですか?」


「そうよな」


 ふふ、と正信の口から笑いが漏れた。


「儂にとって都合の悪い連中には消えてもらう」


「消えて……?」


 暗殺紛いの事でもさせるつもりなのか、と正純は疑問の混じった視線を父に注ぐ。


「そうはいっても、そう物騒な事をするわけではないぞ」


 そんな子の内心を察したのか、正信は小さく笑った。


「大久保忠隣――は、ちとまずいか。上様だけでなく、大御所様の覇業にも大きく貢献した男だしのう。青山忠成と内藤清成辺りが良いか」


「何がですか?」


 不意に将軍派とされる武将達の名前を挙げた父に、正純は怪訝そうに訊ねる。


「何、簡単な事じゃ。奴らには表舞台から退場してもらう。さすれば、将軍派の力も削ぐ事ができる」


「そのような事ができるのですか」


「儂の任せろ。策はある」


 ふふ、と正信は不敵な笑みを浮かべた。




 正信の策が実行されたのは、翌年の慶長11(1606)年の1月だった。

 その日、家康は幕府御用の狩場に鷹狩に出かけていた。

 ところが、禁猟区であるはずの地に、狩猟用の罠が仕掛けられているのが見つかる。

 不機嫌になった家康は誰の仕業かを調べさせた。


 やがて、その犯人として青山忠成と内藤清成の名前が浮上する。

 青山忠成といえば秀忠の側近中の側近だし、内藤清成も三河時代から奉行として徳川家の繁栄に貢献してきた男だった。


 その両名も反論する。この地が禁猟区である為に、野鳥の被害が増え過ぎたと訴えがあった為、その対策だと主張した。


 しかし、正信はその反論を一蹴した。


「どのような理由があろうと、禁猟区である大御所様の狩場にそのようなものを仕掛けるとは言語道断。青山殿であれ、内藤殿であれ、厳重に処罰するべきかと」


「うむ。確かに許しがたい事じゃ。しかし……」


 当初は強く憤っていたものの、やはり長らく徳川家に貢献してきた二人を罰する事に家康は戸惑いがあるらしい。


 ……あまり強くは出れんか。


 場合によっては切腹にまでもっていこうと考えていた正信だが、考えを改めた。


「では奉行職を解き、当面は籠居という事にしては」


「うむ。その辺りが妥当かもしれんの」


 家康も顎に手をあて、考え込むように言った。


「ではそのようにせい」


「はっ」


 正信は頷く。


「……」


 だが、これで下がって良いとは言わず家康は無言になる。

 暫し時間が流れ、正信がその沈黙に耐えかねて口を開きかけた時。


「……此度の件、お主の仕業か?」


 不意の一言だ。

 だが、正信は表情を変える事なく返す。


「はて? 何の事でしょうか」


「とぼけるか。あるいは、本当に関わっておらんのか。 ……まあ、良い」


「……」


「将軍は最近、力をつけすぎておる。多少は痛い目に会って貰った方が儂にとっても都合が良い。だが、あまりにも勝手が過ぎればお主といえどもただではすまんぞ」


「肝に銘じておきます」


 正信は無表情のまま頷いた。


 では、と家康は改めて続けた。


「青山忠成と内藤清成両名への処分を秀忠に伝えてこい」


 正信は黙って恭しく頷き、退室していった。



 江戸城にいる秀忠に、正信を通して家康の裁定が伝えられる事となる。

 秀忠は正信を通して家康に抗議したが、結局覆る事なくの青山忠成と内藤清成の両名は失脚した。






 青山忠成と内藤清成の失脚は、当然の事ながら秀忠にも影響を与えた。


 その秀忠は江戸城の一室で、土井利勝と話し合っていた。


「……」


 秀忠の機嫌は悪い。

 今回の件、秀忠もまた正信が黒幕ではないかという推測を立てていた。

 しかし、証拠はない。


 暗鬱な表情のまま、菓子を貪っている。


「上様」


 そんな秀忠に、利勝が話しかけた。


「青山殿の件は確かに痛手。ですが」


「分かっておる。決まってしまったものは仕方があるまい」


 不機嫌そうな表情を変える事なく、秀忠は呟くように言い、手元の菓子をつまんで口に運んだ。


「……」


 菓子を咀嚼しながら、不機嫌そうな顔のまま何かを考え込んでいる。

 こういう場合、下手に口を挟むべきではないと付き合いの長い利勝はよく分かっていた。

 しばらく経ってから、ようやく口を開いた。


「利勝」


「はい」


「忠成と清成の件は確かに痛手。だが、父上の功臣である正信に報復するのも得策ではない。正信に手を出せば、父上も黙ってはいまい。よもやとは思うが、私から将軍職を取り上げて弟のいずれかを三代将軍にする可能性もあるからの」


 ある程度、冷静さを取り戻した様子で秀忠は言った。

 証拠こそないものの、正信こそが黒幕であると秀忠は疑っていた。


 元々、秀忠は正信に対して良い感情はなく、関ケ原合戦の直後、九州との和睦を妨害する際には暗殺しようとまで目論んだことまであるのだ。

 しかし、ここは折れる事にしたらしい。


「此度は正信に。いや、父上の為にも私が譲歩するべきであろう」


 だが、と秀忠は続ける。


「このまま私が父上の言いなりになる存在だと思われるのも、面白くない。そこでだ。父上の意に沿わんであろう事を一つ実行しようと思う」


「大御所様の……?」


「うむ。あくまで父上は父上。私は私で方針が違うという事を、父上を含めた家臣達に知らせる必要がある」


「それで、どうされるというのですか?」


 利勝が興味深そうに訊ねた。


「父上が義理堅くて甘いのをいいことに、未だに過去の栄光に縋り続ける愚か者を潰す」


「なるほど」


 利勝も秀忠との付き合いが早いだけあって、理解が早い。

 これだけの言葉で、秀忠の狙う標的を察したらしい。


「大坂の御仁ですか」


「うむ。大坂の御仁の問題はいずれ、どうにかする必要があった。あの愚物に大した力はなくとも、担ぎ上げる輩はそれなりにいるしの」


「ですが、大坂の御仁も今では幕府傘下の一大名に過ぎないとはいえ、いえ幕府傘下であるからこそ、何の理由もなく取り潰すわけにはいきませぬぞ」


「分かっておる。だが、大坂の御仁が幕府に反旗を翻したらどうなる」


「そのような事はありえないかと思いますが。いかにあの御仁といえども、今の織田家が幕府に勝てると考えているとは思えませぬ。いえ、仮にそれだけの愚物だったとしてもさすがに家臣達が止めるのではないかと」


「そうよな。その為に、開戦の理由を向こうから勝手に作らせる」


「そのような方法がありますか」


「うむ。そのためにはお前にも協力してもらうぞ」


 そう言ってから秀忠は小さく笑った。

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