182話 豊臣秀頼
慶長10(1605)年。
播磨――姫路城。
かつて、実質的な天下人と言われた豊臣秀吉の忘れ形見である豊臣秀頼の暮らす城だ。
天下人としての豊臣家は崩壊したものの、豊臣の名前そのものは故・秀長や今は高野山にのぼっている秀次の懇願もあり残った。
その豊臣家の当主は秀頼だ。
彼が物心つくころの豊臣家は、事実上のこの国の頂点としてまさに全盛期を迎えていた。
しかし、人格形成が始まる頃に父・秀吉は死に豊臣家も衰退を始めた。
秀頼の幼年期と比べると、明らかに豊臣から求心力が失われている事を自覚せざるをえなかった。
今ではほとんど記憶に残っていないが、秀吉が太閤として絶大な権力を持っていた頃は、九州や四国といった西日本の有力大名から頼まれてもいないのに様々な貢物を贈って来た。
しかし、最近では秀吉に恩があるはずの大名達からも露骨に距離を取られるようになってきた。
蜂須賀や黒田のような、秀吉の覇業に貢献してきたはずの者達まで豊臣から離れた。
島津も親秀吉の立場を取っていた義弘が表舞台から退き、親家康の立場を取っている忠恒が名実共に島津の実権を握った。
毛利も、親豊臣の筆頭とも言える立場にあった安国寺恵瓊が失脚して以降、距離を置かれている。
長宗我部は、改易されたままであり、未だ再興の目途すら立たない。
かつての九州の覇者である大友も、今は徳川から捨扶持を与えられているような状況だ。
福島正則、加藤清正らは今も親豊臣の立場を取ってはいるが、同時に幕府との繋がりを強めようとしていた。
駿府城の大規模な改装工事でも両者は積極的に資金や人夫を提供し、幕府への忠誠心を見せている。
さらには蜂須賀、黒田同様に徳川家から姫を貰い受けようとする動きもあると、報告が来ていた。
豊臣家は、緩やかではあるが確実に孤立の道を進んでいる。
不幸中の幸いといえるのは、豊臣家の全盛期ともいえる時期に秀頼は幼過ぎた為、記憶がほとんどないという事だ。
その点が大坂の織田秀信と違い、かつての栄光が忘れられないなどという事もなく、ただ現在の豊臣家を守ることのみを考える事ができた。
まだ少年ではあるが、既に小柄だった父親を超えているのではと思われるほど秀頼の体は大きい。
これは、大柄だった言われる祖父の浅井長政の血の為なのではないかとも言われていた。
その大柄でありながらも、まだ声変りの終わっていない高い声で目の前の男に問いかける。
「――なるほど。話は分かった」
「――はっ」
目の前の男――徳川家から使者として訪れた本多正純が恭しく頷く。
「この私に上様の子を、と」
「はい。将軍家との絆を深める為にも、是非にと大御所も仰せです」
秀頼の言葉に正純は頷いた。
大大名としての秀頼を相手に最低限の敬意を払いつつも、必要以上に媚びる様子は正純にはなかった。
「うむ……」
徳川将軍家からの提案は、大御所である家康の孫であり、秀忠の子である千姫と秀頼の縁談だった。
提案というより、実質的には命令に近い。
今の豊臣には、徳川に逆らう力などないのだから。
だが、内容が内容だけにとても即答できる問題ではない。
「大変ありがたい話ではあるが、これほどの大事だ。すぐには答える事はできない」
「分かりました。良い返事を期待しておりますぞ」
本多正純が退室した後、豊臣家を支える家臣団での議論が始まった。
秀頼は未だ少年であり、戦経験どころか政の経験も乏しい。
今回のように、自分の正室が決まるか否かという議題であっても、発言する事はほとんどなかった。
「受け入れるべきでござろう」
口火を切るように言ったのは、大野治長だ。
彼は秀吉の馬廻出身であり、母親が淀の乳母でもある。
これまで豊臣家を支えた重臣達が相次いで亡くなるか、見限られるかしていく中で台頭していき、今は秀頼の側近ともいうべき立場にある。
「現状、徳川幕府と我らの力の差は明白。逆らっても益はありませぬ」
それに、と続ける。
「むしろ徳川家と縁戚関係になる事はむしろ、我らにとっても有益でござろう」
「少し待っていただきたい」
その治長の発言を遮ったのは石田三成だ。
「そのように容易く提案を受けて良いのか。徳川家は我らにとって敵でござろう。故・太閤殿下を討った仇敵でもある。その仇敵の血を受け継いだ子を秀頼様の後継者にするというのか」
徳川、という部分で憎々しげな表情を浮かべながら三成は続ける。
この時の豊臣家は、内部で二つの派閥に分かれていた。
一つは徳川幕府への忠誠を示し、恭順を誓う事によって豊臣家の存続を願う恭順派。もう一つはあくまで全盛期の豊臣家への思いを捨てきれず、独立意識の高い独立派。
大野治長は前者、一方の石田三成は後者に分類される。
「失礼ながら、石田殿は現状を正しく認識されておられないようだ」
皮肉げに治長は続ける。
「徳川家は既に天下を統一している。仇敵であれ何であれ、そのような相手に歯向かって何になるというのだ」
「歯向かうといっておるのではない。例え徳川幕府によって天下を統治されていようと、何にかも要求を受け入れる必要はないといっておるのだ」
三成は反論するように治長に返した。
「第一、徳川の姫を迎え入れたからといって、それだけで豊臣を尊重すると思うのか。当主の娘の嫁ぎ先であろうと、容赦なく攻め滅ぼしたような例はいくらでもあるではないか」
「少なくとも、ある程度の抑止にはなる。それに、大御所は無益な事はしない。現状で豊臣を滅ぼすような真似はせんだろう。無駄に外様大名の反発を招くだけだ」
「では徳川から姫を迎え入れる必要もないのではないか?」
「いや、ある」
鋭い声で治長は言う。
「大御所はともかく、将軍は豊臣に良い感情を持っていない。いずれ潰す気でいるかもしれん。だが、秀頼様が娘婿という事なれば迂闊に滅ぼす事はできなくなる。そして将軍の時代になるのはまだ先。それまでに秀頼様と徳川の姫との間に後継者ができていれば、その方は将軍にとっても孫という事になる。そうなれば、ますます豊臣家が潰しにくくなる」
「どうかな。将軍は冷酷な男。子だろうが孫だろうが、滅ぼす時は滅ぼすであろうよ」
「将軍個人の感情はともかく、徳川幕府の外聞は気にするであろうよ」
二人の議論はますます熱がこもっていく。
時折、他の家臣も口を挟み、議論は数刻にも及んだ。
だが、今回は最終的には治長の意見が結局は勝ち、徳川家から姫をもらい受ける事になった。これにより豊臣家もまた――一部の反発はあれども――徳川幕府に組み込まれた。
これにより、西国での徳川幕府の基盤は万全となりつつあった。
しかし、東国にはまだ不確定要素ともいえる存在が蠢いていたのである。




