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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第5部 天下安寧への道
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181話 江戸幕府2

 駿府城。

 この地に、一人の老人が訪れていた。

 黒田如水。隠居した、かつての黒田家当主である。


 徳川家康もまた、名目上は隠居しても大御所として多大な権限を有しており、江戸だけでなく駿府にも多くの諸大名や有力者た達が訪れていたが、遥か遠い九州の地からのこの来訪者には徳川家の者達も驚かせた。


「隠居したと聞いておったが、まだまだ壮健なようじゃの」


 開口一番に、大御所・家康が言った。

 家康には、如水に対して余計な気遣いは必要ない。

 隠居したとはいえ、武家の棟梁である将軍職に就いていた家康とは決して覆せないだけの差ができていた。


 そんな家康に如水も恭しく返す。


「大御所様こそ、相変わらず若々しい。羨ましくなりますぞ。若さの秘訣が気になりますな」


「早寝早起き、腹八分、そして病の際は適切な薬を使えばよい。さすれば、自然と健康な肉体を保てようぞ」


 そう言ってふふ、と家康は笑った。


「して、今日は何用じゃ?」


 そう言ってから、家康の瞳にかすかに疑いの色が浮かぶ。

 隠居したとはいえ、如水はかつて、太閤・豊臣秀吉の帷幕として働いた男だ。


「大御所様に一つお願いがありまして」


「ほう、儂にか」


「実は、我が息子・長政の件です」


「ふむ」


 家康が、先を促す。

 長政の件、というだけではさすがにわかりかねた。


「大御所様はお忙しい身。それゆえに、下手な駆け引きは抜きにいきとうございます」


「うむ。確かにそうしてくれると助かる」


「では、単刀直入に。我が子の長政に、徳川家の姫君をいただけませぬか?」


「……」


 あまりにも、大胆な発言にさしもの家康も思わず固まる。

 今や、名実ともに天下人としての地位を築きつつある家康に取り入る為、婚姻関係を求めるのは分かる。

 だが、問題はそこではないのだ。


「其方の子には既に正室がおろう」


「はい」


 如水があっさりと首肯して認めた。

 そう。

 黒田長政は、既に蜂須賀正勝の娘。つまり、現在の蜂須賀家政の妹を正室としていた。

 無論、家臣同士のつながりを作るために行われた事は言うまでもない。


「はっ。確かにおりますが、素行に問題が多数あり、そのような婚儀を勧めた事を某は深く後悔しております。それ故に、これを機に離縁し、新たに大御所様からご息女を正室として迎え入れたいと考えております」


「……」


 家康も、伊賀者達に命じて各大名の情報収集はやらせている。

 それは各大名の細部にまでわたり、純粋な石高や資金といったものだけでなく大名や家臣達の対人関係にまで渡る。

 だが、その伊賀者達からも、そのような話は全く聞いていないのだ。


 つまり今言った話などは、まったくのでたらめの可能性が高い。


 何の問題も起こしていない姫を離縁。

 そんな事をしてしまえば、間違いなく蜂須賀家は激怒する事だろう。

 蜂須賀家は、豊臣秀吉を天下人の地位にまでつかせた重鎮中の重鎮。その蜂須賀家と縁を切る、ということは。


 ……豊臣からも縁を切る、という事か。


 家康は内心で呟いた。

 黒田如水もまた、豊臣家を見限ったという事なのか。

 ならば、断る事はあるまい。


「よかろう。儂としても、其方ら黒田が将軍家と関係を深めたいというのであれば大いに助かる」


 豊前を治める黒田家が徳川家につけば、九州に大きな楔を徳川は打ち込む事ができるのである。


「はっ。ありがたき幸せに」


 如水は、平伏した。


「だが、我が娘まで不幸にするような真似は困るぞ」


 かつての事。

 九州征伐の際、如水は伊予への転封命令を拒否した城井鎮房とその一族を誅殺している。

 そして、その中には長政に嫁がせたはずの鎮房の娘である鶴姫まで含まれていたのだ。


「いえ、そのような事は決して」


 如水は否定するように言った。

 そして付け加える。


「我が子・長政の生涯の伴侶としての幸福を保証致します」


「そう願う」


 家康の言葉でこの日の会談は締めくくられた。




 こうして、黒田長政はこれまでの正室だった糸姫と離縁。

 新たに、徳川家康の娘(血縁上は姪)である栄姫を正室として迎え入れた。


 当然、蜂須賀家は激怒すると思われた。

 だが、蜂須賀家から意外な返事が来た。


 当主・家政が駿府城に来訪してきたのである。

 しかも、大御所・家康に面会を求めてきたのだ。


 当初、徳川方は警戒した。

 何かの罠ではないか。

 妹に恥をかかせた、徳川家に復讐にでも来たのではないか。


 そのため、入念な身体検査が行われた後に家康と対面が行われた。

 二人きりでの対面だった、如水の時とは異なり屈強な護衛が傍らに控えての面である。

 おかしな動きがれば、即座に取り押さえるとうに指示は出してある。


「此度は何用で参られた」


 家康が訊ねた。


「我が娘の件でござる」


 家政が答える。

 そして、予想通りの回答だった。


「黒田家との縁組の件であれば、黒田家当主が決めた事。将軍家に責任を求められても困る」 


「それはこちらも承知」


 家政が頷いた。


「とはいえ、某は妹を一方的に離縁されたのでござる。これでは、蜂須賀家の面目に関わる」


「うむ……」


 家康は、ひとまず頷く。

 家政がこれから何を言い出すのか、ひとまずは待とうという考えだ。

 見たところ、そこまで憤った様子は感じられない。


「ここは、体面を保つためにも我が蜂須賀家にも同様の事をしていただきたい」


「同様の事とは?」


「決まっております。我が蜂須賀家にも、黒田家同様に我が子・至鎮でにも大御所様の姫君を。さすれば我らの面子は保つ事ができます」


「……」


 如水の時と同様に、家康は驚く。

 が、それを表情に出す事はしなかった。


 ……黒田に続いて蜂須賀もか。


 そう、内心で呟いた。

 これも将軍家の威光の賜物か。


 ……いや、そんなものは建前か。


 将軍家の威光だけで、諸将が靡くのであれば戦国時代などというものはありえなかった。

 事実、足利将軍家最後の当主である足利義昭は信長の死後も依然として将軍としての地位にあった。

 にも関わらず、彼に従う者はほとんどいなかった。

 信長、信忠、秀吉。

 そして今は、家康といった具合に諸将は最も力のある者に靡き続けている。


 ……それ以上に、豊臣家が愛想を尽かされておるのかもしれんがの。


 今の豊臣は、まだ幼い秀頼とその側近達によってで運営されている。

 その中心となっているのは、石田三成や増田長盛といった黒田親子や蜂須賀家政と派閥的に敵対していた者達だった。

 それが、古くから秀吉に仕えてきた蜂須賀家の当主である家政にとっては面白くないのかもしれない。


 そんな事を考えながら、家康は聞く。


「徳川の姫が欲しいと申すか」


「はい。是非」


 家政が平伏する。


 ……まあ、ある意味当然か。


 豊臣家は、先代当主・秀吉が一代で築いたようなもの。

 古くからある名門というわけではない。


 ……豊家はもう終わりじゃな。


 秀吉が亡くなれば、豊臣など巨大な張りぼて。

 有難がって崇めるものなどほとんど残らない。


 ……それにしても、黒田はともかく、蜂須賀までが豊臣を見限るとはな。いや、蜂須賀にまで見限られるほど豊臣も衰えたという事か。


 そう考えると、秀吉が哀れにさえ思えてきた。

 関ケ原の戦いでの敗戦は、豊臣家が失ったのは、太閤・秀吉の命と領土だけではない。

 豊臣家の威信ともいうべきものまで失ってしまったのだろう。


 ……我が徳川家はそうならないよう、盤石の体制にする必要がある。それまでは、儂も逝けん。


 そう考えながら、家康は頷いた。


「……よかろう」


 ……まあ、自分達の領土や地位と引き換えに豊臣の存続を懇願した関白達への義理もあるし、一大名としては残してやろう。


 ……だが、あまり追い詰めすぎて自棄になられても困る。豊臣へも何らかの懐柔策が必要か。


 そう内心で呟き、この日の会談は終わった。



 その後、至鎮にも徳川家康の養女である万姫が嫁ぐ事になる。

 彼女の母親は、家康の嫡男だった松平信康の娘である登久姫である。つまり、家康にとって曾孫に当たる。

 この万姫もまた、一時的に家康の養女とした後に蜂須賀家に嫁いだ。


 こうして、蜂須賀家もまた徳川将軍家の元で仕える道を選んだのだった。


 領土そのものが大きく変動したわけではないが蜂須賀・黒田といった豊臣家を支えてきた二家が完全に豊臣家から離反した。


 この出来事は、豊臣家にも大きな影響を与えたのである。

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