179話 天下一統
九州との和議が成立し、大乱は終結した。
だが、それで全てが終わったわけではない。
西軍勢力から領土を奪い、東軍勢力に分配し、全国を再編する必要があった。
豊家直轄の多くは、徳川家に没収されたが、播磨と但馬の一部のみは安堵され、一大名としての存続する事ができた。
家臣団も、徳川家の支配を拒んで出奔する者もいたが、そのまま徳川政権に組み込まれた者もいた。
毛利家は長門・周防・安芸の三ヶ国のみ安堵され、60万石弱の大名として存続を許された。
が、大老職からは外される事になる。
次に、大幅な減封を食らったのは上杉景勝だった。
越中、およびに庄内地方、それに越後の半国近くを没収されて越後春日山35万石ほどに減封されてしまった。本拠である春日山城は守れたとはいえ、金の卵を産む島ともいえる佐渡を失ったのは痛かった。毛利家と仕置の差がでたのは、東国と西国における徳川家の影響力の違いが大きかったのだろう。
なお、こちらも当然ながら大老職から外された。
もっとも、大老制度や織田公儀そのものがこの時点では瓦解してたが。
身柄を徳川方に引き渡された宇喜多秀家だが、芳春院などの懇願もあり流罪という事になり宇喜多家も取り潰された。
しかし、宇喜多忠家に旧宇喜多領の一部を与えられ宇喜多の名は残った。
前田家は、以前からの約定通りに所領を安堵。
その沙汰に安心したのか、秀吉の後を追うかのように利家は没した。
表向き病とされたが、これは秀吉を見捨てた事に責を感じての自害とも、大谷吉継の怨念とも噂されたが、真偽は不明だった。
旧秀長派とされ、大坂城の留守を任されていた武将達は概ね所領を安堵された。
浅野幸長、仙石秀久、藤堂高虎、蜂須賀家政等である。
長宗我部征伐に貢献した山内一豊に限っては、むしろ加増を受けていた。
彼らに関しては、懐柔策を取る方針だった。旧豊臣系大名が未だに力を持つ西国では、その力がまだ必要というのも大きかった。
本多忠勝、榊原康政の子である榊原忠長、鳥居元忠ら徳川家臣団は関東の地で加増された。
最上義光は、念願の庄内地方を上杉から取り戻した。
伊達政宗は、織田公儀の直轄となっていた加美郡や玉造郡などを与えられ、95万石ほどの大身の身となる。
中立だった越前の堀は、上杉から没収した越後の地へと転封され、空いた越前の地は徳川家の直轄地となったが、時期が来た後、松平秀康の子である仙千代を入れる予定だった。
終盤で東軍に従った細川忠興はわずかながらも加増を受けた。
井伊直政は、近江に25万石ほどで加増転封となった。
旧豊臣色の強く、京にも近いこの地を統治するには直政ほどの器量がなければ不可能だと判断されての事だった。
九州では、小西行長の領土は没収された。小早川秀秋は宇喜多秀家の旧領に減転封という事になった。その他の大名達は概ね領土を安堵された。
余談ながら、福島正則と黒田長政に叩きのめされた大友義統もわずかながらの領土を与えられ小大名としてだが復帰を果たした。
織田家は、本来は中心にいるべき存在でありながら、完全に蚊帳の外に置かれていた。
織田宗家は、大坂城とその周辺を維持するだけの一大名に成り下がっていた。
織田信雄も、今回の戦いの後、尾張と伊勢を返上し、隠居して家督を秀雄へと譲った。
徳川家による天下一統が朝廷に、諸大名に、そして民にまで認められ、遂に念願の将軍宣下が行われた。
江戸に幕府が開かれる事になり、徳川幕府が開府したのである。
慶長6(1601)年。
この日、家康は久々に江戸城の地にいた。
既に、江戸城は大規模な増築が施されており、18年前の北条征伐の小規模な城とは比較対象にすらならない城が築かれている。
白と銀を基調とした、実に豪奢な城だ。
これは、黒と金を基調とした大坂城の対にもなっている。
その江戸城の天守に、家康と本多正信はいた。
「やはり、某の見立ては正しかったようですな」
傍らから、本多正信が言った。
「何の事じゃ?」
家康の問いに正信は答える。
「この江戸の地は、日の本の中心となる巨大都市になりえると以前に言った事があるのです」
「いつの事じゃ?」
「信忠公の北条征伐の時ですゆえ、18年ほど昔になるかと」
「だいぶ昔じゃの」
家康は苦笑する。
家康も、少しばかりなつかしがっている様子だ。
「その時は、榊原殿達に馬鹿にされましたがな」
「康政か……」
その名を出され、家康の表情が、ふと曇る。
「惜しい方を亡くしましたな」
蛇蝎の如く康政に嫌われていた正信だが、共に徳川家に仕えた仲だ。
色々と思う事もあったのだろう。
「家督は忠長殿ですかな」
「そのようだ」
「次男の忠長殿は、病弱と聞いておりますが……」
「うむ。その点は不安ではあるがな」
「……康政だけでなく忠勝も隠居するそうですな」
本多忠勝は戦後、新領国がある程度安定してくると隠居を決めた。
かつての仲間達が相次いでこの世を去り続け、彼らの子達へと世代交代が進んでいる。
そんな中で、彼も居心地の悪さを感じていたのかもしれない。
「まあ、奴も老齢だしの」
「我らの方が年上ですぞ」
「それもそうか」
正信も言葉に家康も苦笑する。
しばし、沈黙が流れる。
「……」
江戸城の天主からは、発展していく江戸の活気が伝わっていくかのように見える。まだまだ、江戸の町は大きくなりそうだ。
ところで、と家康が口を動かした。
「儂は、来年辺りに秀忠に家督を譲ろうと思う」
「秀忠様に――ですか」
その言葉に、正信はかすかに目を見開く。
彼は、関ヶ原合戦で討ち死にした松平秀康を後継者にと考えていた時期があるだけに、胸中には複雑なものがあろう。
しかも、自身の暗殺を目論んだ黒幕ではないかとも疑っている相手だ。
「となると、将軍職も秀忠様に?」
「当然そうなる」
秀忠と同腹の、松平忠吉ならば家督を継げるだけの年齢ではあるがあえて序列をまげてまで彼を後継者にする理由はない。
他にも子はいるが、実績らしい実績もなくまだ幼い。
後継者候補にすらなりえない。
「儂は、再び駿府に戻って大御所とでも名乗ろうと思う」
「駿府ですか」
「うむ。あの地は、儂にとっても思い出深い土地だからの」
今川家に従属していた頃、幼年の時を家康は駿府で過ごした。
無論、人質としての事なので行動に制限はついたものの暮らしそのものは快適だった。
今川家崩壊後に破綻したとはいえ、最初の正室である築山殿と過ごした場所でもあるのだ。
「駿府には、港もあるしの。江戸だけでなく駿府でも交易が栄えればなお良い」
「そうですな。そういえば、例の紅毛人達も今は駿府暮らしでしたな」
関ヶ原合戦にて豊臣秀吉を撃破し、幕府を開く直前。
豊後に南蛮船が漂流した。
イギリス人や、オランダ人の乗ったリーフデ号である。
当初、大坂に逗留していたスペイン人宣教師達の讒言もあり、当初彼らは海賊船だと思われていた。
が、冷静に話を聞いてみるとどうも違うらしい事が分かった。
リーフデ号は当時、スペインと敵対していたオランダの商船だった。
聡明な受け答えをするその船員達に家康は好感を抱く。
特に、その中でヤン・ヨーステンというオランダ人とウィリアム・アダムスというイギリス人はいたく気にいり、直臣に誘ったほどだ。
彼らは当初、江戸にいたが今は駿府暮らしだった。
「うむ。ゆくゆくはあ奴らに、エゲレスやオランダの外交を任そうと考えておる」
「確か、彼らの祖国はイスパニアの無敵艦隊とやらを沈めた国でしたな」
織田信忠による大陸出兵が行われたのとほぼ同時期に、英仏海峡にてイギリスとスペインの間で行われたアルマダの戦いにて、無敵艦隊と称されたスペインの艦隊を相手にイギリス海軍は完勝した。
これにより、当時の覇権国家だったスペインはその権勢を失い、逆にイギリスの権勢は増した。
「うむ。そのエゲレスやオランダも我が国との交易に感心を示しておるようだしの」
当初、日本と国外との交易は主にスペインやポルトガルが担っていた。
が、「キリシタンの保護」を大義名分として挙兵した織田信孝の決起や、禁教令などの影響から宗教を持ち込んでくるスペインとの関係は悪化。
アルマダの戦いの敗北から、スペインの力そのものが落ちてきた事もあり、幕府はスペインとの交易への感心は薄れていった。
逆に、交易を拡大したのはイギリスとオランダだ。
徐々に国力を増していたし、何より宗教を持ち込まないという魅力があった。特に天正大乱以前から、一向一揆で苦い思い出がある家康にとっては宗教を持ち込まず交易のみを目的とするイギリスとオランダは美味しい存在だった。
「交易の利があれば、さらに幕府は栄える」
家康は満足そうに言った。
「そうですな。ますます徳川安泰といえましょう」
ですが、と正信は続ける。
「まだ、問題も残っておりますぞ。未だ、大坂の御仁は健在ですからな」
「そうよの。大人しく儂に屈せば良いが、無駄に自尊心の強い御仁だからのう」
大坂城の織田秀信は、未だ徳川の天下を認めておらず、織田の天下だと息巻いていた。
秀信の器量はともかく、織田宗家の名はやはり大きいし、天正大乱や関ヶ原合戦の影響で行き場を失った浪人は全国に溢れていた。
彼らを秀信の本に集う事になれば、厄介な事になりかねない。
「東に目を向けてみても、厄介な男がおるしのう」
「ああ、あの御仁ですな」
その言葉だけで、正信は家康が誰の事を言っているのかが分かった。
奥羽の伊達政宗である。
今回、勝利の立役者として大幅に加増を受けた政宗の所領は100万石近い大身にまでなっていた。
外様としては、破格ともいえる扱いであり天下の副将軍などと自称していた。
「まだ、世はまとまっていないという事か」
「はい。大坂には織田宗家。西国には、旧豊臣勢力。東には例の御仁。まだまだ、徳川安泰とは言えませぬ」
「何、最悪儂の代で天下はまとまらなくても良い。秀忠の代。あるいは、その子の代でも良い。いっそ、秀忠達若い衆が再び海の外に繰り出したいというのであれば、それも良かろう。全ては、あ奴らに任す」
そう言って、家康は部屋の外に出る。
そして、南蛮人から献上された西洋風のマントを靡かせた。
目元には、同じく南蛮人からの献上品である眼鏡がある。最近、視力が落ちてきた家康には欠かせない。
海外の物に強く興味を示す家康らしい事だった。
「海外の脅威を恐れ、交易を制限する。それもまた良しじゃ。あ奴らがそう判断するのであれば、全力で支えてやれ」
「上様、儂は上様よりも年上ですぞ」
正信が苦笑する。
「ああ、そうであってな。もし信長公や信忠公のところに行くとしたら、儂の方が先であろう」
家康も笑い返した。
二人の仲に、和やかな空気が漂う。
「日が落ちる、か」
家康がぽそりと言った。
言葉通り、日は大きく傾きいつの間にか夕闇が空を支配しようとしていた。
「日輪の子と称した秀吉も没した。儂も不老不死ではない」
家康の視界は、不死伝説の逸話のある富士山の方へと向けられている。
この城の方角からでは、富士山の姿は見えない。だが、家康の脳裏にはしっかりと浮かび上がっていた。
「儂が生きている間に天下はこのまま治まるのか、それとも――」
今回の話で第4部は終了となります。
当初、この話で物語の締めとする予定でした。しかし、もう少し続けてみたいという思いから第5部まで続ける事となりました。
これからは、更新日時が不定期になってしまうかもしれませんが、一応完結までの大まかな流れは決まっておりますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。




