176話 九州勢力3
九州に赴いた本多正信は、まず第一回の交渉を行った。
まずは、基本的な条件の提示。
西軍に加担した大名達のある程度の所領削減を条件に、降伏を認めるといった内容だった。
それに対し、福島正則・黒田長政は「受け入れる事はできない」と回答。
第一回の交渉は不発に終わった。
「無駄骨でしたかな」
本州に戻るべく、黒田領内を移動中に、正信に同行していた家臣の一人が呟くように言った。
「いや、そのような事はないぞ」
だが、それを正信は否定する。
「本当に、交渉の余地のないような相手という連中は厄介だ。そもそも、どの辺りで妥協するかすらわからん。しかし、福島正則や黒田長政は違った」
かつて、正信が家康と敵対する事になった三河一向一揆や、大陸で戦った明や朝鮮などは常識や価値観からして異なる事が多かった。
そうなると、落としどころすらろくに見えない。
一方、正則、長政らが求めるのは東軍との全面戦争ではなく、好条件での和睦だというのがはっきりと伝わってくる。
徳川方も九州征伐に発展するよりは、平和裏に下って貰える方がずっといい。
そういう点で考えれば、両者の目標とする落としどころは決して、遠くない。
「何度か、条件をすり合わせて妥当な範囲で講和する。筋道は既に見えておる。多少時間はかかるかもしれんが、いずれ話はまとまる」
「なるほど……」
家臣の一人が感心したように言った時、
「本多様」
す、と目の前に黒い影が止まる。
護衛として正信に付き従っていた伊賀者である。
「どうした?」
「この先、複数人の武装した集団がおります。どうも、誰かを待ち構えている様子」
「何?」
正信が驚いたように目を瞬く。
「福島か黒田の手の者か?」
「そこまでは分かりかねます。しかし、言葉には九州訛りがあるようですが……」
「……む」
ここは、黒田長政の領内だが、彼の仕業とは考えにくい。
交渉がうまくまとまりつつあるというのに、ここで正信を殺してしまえば交渉は後退してしまう。
仮に、暗殺がうまくいったとして、黒田家の領内で起きたとなると、責任を追及されるのは必定だ。
とすると誰だ?
……九州との和睦を快く思えん者の仕業か。
ふと、正信の脳裏に一人の人物の顔が浮かぶ。
……まさか。
だが、慌ててそれ振り払った。
立場上、それを考えてはまずい。
「仕留めますか? 今ならば先手を取れますが」
「……よし、やれ。だが、可能であれば一人ぐらいは生かしておけ。誰の仕業か吐かせる必要があるゆえな」
「御意」
す、と影が消える。
「ここで止まるぞ」
正信の言葉に、従者達もこの場に留まった。
少し時間が経ってから、再び黒い影が現れる。
「始末しました」
「そうか、ご苦労」
「ですが、誰一人生け捕りにする事はできませんでした。一人は生きたまま捕縛できそうだったのですが、自害されてしまいました」
「そうか」
できれば生かして黒幕を吐かせたかったが、まあ仕方がない。
「持ち物はどうじゃ。何か手がかりになるものでもあったか?」
「それが……日持ちする食糧と地図ぐらいしか、所持品はありませんでした」
「そうか」
徹底しているな、と正信は内心で呟く。
ようするに、それだけ命令を出した黒幕の正体を隠す必要のある人物。
……やはり黒田長政や福島正則、あるいは島津、いう可能性はないか。
どこかしっくりと来ない。
この状況で暗殺を仕掛けてくるにしては、不自然な点が多い。
ここで、自分を殺す事で利のある人物。
九州勢との和睦をぶち壊したいと考えるであろう人物。
となると。
……やはり、あの御方なのか?
再び脳裏に浮かんだ顔を、慌てて取り消す。
……全ては疑惑止まり。確証はないのだ。
そう自分に言い聞かせるように言うと、正信は先を目指して歩き始めた。
「そうか失敗したか」
広島城の一室。
立花宗茂と向かい合っている徳川秀忠が言った。
「申し訳ありません」
だが、顔はそこまで怒っている様子はない。
「なに、うまくいけば儲けもの程度の考えだった。そこまで気にしておらん」
秀忠は、九州の地に詳しい宗茂を使い、正信の暗殺部隊を送り込んだ。
だが、急遽つくった寄せ集めの集団であり、しかもろくに計画をたてる時間もなかった。
また、正信の護衛につけいていた伊賀者が優秀だったという事もあり、暗殺は失敗し、返り討ちにされてしまった。
「身元を示すようなものは持たせておらんだろうな」
「厳命してあります」
宗茂が答える。
「万一、某が命じた事が露見したとしても、某が責任を取って腹を掻っ捌きますぞ」
「何、お前は関ケ原で十分に働いてくれている。責める気はない」
秀忠はさして気にしてなさそうな様子で言った。
「しかし上様」
宗茂が怪訝そうに訊ねた。
「そこまでして、和睦を壊す必要があるのですか?」
「ふん。今のままでは九州勢に戦力を温存されてしまうではないか」
秀忠の狙いは、九州との和睦の破綻だった。
和睦そのものは、いずれする必要があるとは考えていたが、それは今ではなく、西征軍によってもっと圧力がかかってからでもいいと考えていた。
取次として九州に赴いた正信が暗殺されれば、犯人は九州の大名達に疑いがかかる。
仮に、違うと家康が確信を持ったところで九州勢との間に溝ができる。新たな取次を送り込んでも、交渉は滞るだろう。
さらには、色々と気に食わない相手である正信も始末できる、一石二鳥ともいえる策だった。
が、失敗に終わった。
「しかし、もはや九州の大名達は上様に反旗を翻すだけの力も気概もありますまい」
「今は、な」
秀忠は顔を歪ませる。
「大人しそうにしていても、あ奴らは信用できん。少しでも徳川家が衰退する様子を見せれば即座に背くかもしれん。そうなってからでは遅いのだぞ」
「はあ……」
そうは言われても、宗茂にはいまいち実感がわかないようだ。
「私はお前を信用している。いずれは、故地の柳川に戻してやろうとも思っておる。相応の石高でな」
「それは有り難い話ですが……」
宗茂にとっても、故地に大名として復帰する事は悲願でもある。
秀忠には恩があるのも事実な以上、極力その期待には応えたいとは考えている。
だが、父である家康とも敵対しかねない様子のこの秀忠に、どこか不安を感じていた。
「だから、お前も私の為に働け。さすれば、相応に報いよう」
秀忠の言葉に、宗茂はただ頷くしかなかった。




