175話 西国平定5
広島城の一室。
徳川秀忠は、機嫌が悪そうな表情を浮かべたまま過ごしていた。
ここしばらく、九州との交渉に一区切りがつくまで待機するよう、命じられており、秀忠は不満だった。
ちびちびと、苛立った様子で酒を飲み続けている。
……気に食わん。
徳川安泰の世を築くのであれば、ここは多少強引であっても厳しい態度で挑むべき。
秀忠はそう考えていた。
だが、父である徳川家康は、旧西軍勢力をできる限り吸収する形でいく方針を取っている。
……強引に潰せばいいものを。
確かに、従来の領主を潰してしまえば、新しい統治態勢に民が慣れる事に時間はかかるだろう。
徳川家の強引な決定に反発する者も多く出るだろう。
……それでもやるべきなのだ。
徳川家が悪名を被ったところで、大した痛手にはならない。
民は、自分達の暮らしが直接脅かされない限り、歯向かったりはしない。武士にせよ、ある程度仕官先を斡旋してやれば済む話。
それでも浪人となるような者は、元々平穏な世に馴染めないはみ出し者。
そんなごろつきがどれだけ出ようと、大した事はできまい。
……豊臣や毛利は無理でも、せめて九州だけは。
ここで、秀忠の目が怪しく光る。
「おい」
秀忠が軽く手を叩く。
数人の小姓が現れた。
「宗茂を呼べ」
小姓がはっ、と指示を受けて去っていく。
ほどなくして、立花宗茂が現れた。
「よく来たな」
いくらか機嫌を直した様子で迎え入れる。
基本、冷たい態度を取る事の多い秀忠だが、心を許している相手には寛大だった。
「此度は何の用でしょうか?」
九州攻めの指示はまだ出ていない。
この状況でわざわざ、一人だけ呼び出される用件が分からず宗茂は困惑する。
「おい」
ここで、秀忠は小姓達に目配せする。
それを見て、小姓達は部屋から退室していった。
「殿。これは一体……?」
「宗茂、私はお前を信頼している。それゆえに、頼みがある」
「殿の御命令とあれば、何であれ」
「父上の意向に反するとあってもか?」
秀忠の言葉に、宗茂は一瞬、困惑したような表情になるがすぐに戻る。
「無論。某が、恩を受けたのは上様ではなく、殿からです」
宗茂の言うように、彼は他の家臣達と違い家康からつけられたわけではない。秀忠が気に入り、直接勧誘した男だ。
「そうか。ならば是非、頼みたい事がある」
「はい」
その前に、と秀忠は部屋の外を確認する。
小姓達を既に立ち去らせた後だというのに、慎重だった。
誰もいない事を再度確認してから、秀忠は口を開いた。
一方、広島城内の別室。
そこでも、二人の主従が酒を飲み交わしながら謀議の最中だった。
伊達家当主・伊達政宗と、片倉景綱である。
「やはり、徳川家がこのまま天下を取れそうですな」
「うむ」
政宗も上機嫌で頷く。
そして、手元の盃に酒を注ぎ、それを口元に運ぶ。
「うまい。やはり、良い気分で飲む酒はうまいわ」
景綱も手元の盃を口元に運びながら応じる。
「全くですな」
「九州勢の抵抗もたかがしれている。多少もめるかもしれんが、最後は上様に従属するほかない」
政宗が上様、と呼ぶのは家康の事だ。
「上様、ですか」
「何か不満があるというのか」
「いえ。これから徳川右府、ではなく。上様に忠誠を誓い続けるよう事になった以上、妙なところからぼろを出すわけにはいきませんからな」
「そういう事だ。お前も間違っても、上様を呼び捨てたりするような真似はするなよ」
政宗はそう言って軽く笑った。
そうですな、と景綱は頷いた後、「ところで」と話題を転じた。
「何故、西国遠征にまで同行したのですか? 関ケ原合戦だけで、伊達の武名を高める事は十分できたでしょうに」
「景綱、儂がこの遠征に同行したのは上様の後継者の為ぞ」
「上様の?」
「うむ。関ケ原合戦で秀康様があのような事になった以上、秀忠様が上様の後継者になるのはほぼ決まりであろう」
徳川の後継者候補は、実質、秀康と秀忠の二人だった。他の兄弟達はまだ幼い。
その秀康が亡くなった以上、秀忠が後継者になるのはまず間違いがないと思われた。
「上様は既に老人。儂が本格的に動く頃に、実質的に敵となるのは上様の後継者の方であろう。よく知っておいて損はない」
ぎらり、と片目を政宗は光らせる。
「なるほど。これもまた、殿の覇道の為の布石というわけですか」
「さらに、これまで以上に秀忠様への贈り物は続ける。新たな徳川家の当主の機嫌を取っておく必要があるしな」
ふっふっふと政宗は強く笑みを浮かべる。
「いや、秀忠様だけではない。未来の婿殿の機嫌も今のうちにとっておくか」
秀忠の弟の辰千代(忠輝)は、政宗の娘の五郎八姫と婚約している。
とはいえ、この時点でまだ7歳。五郎八姫に至ってはさらに2つも年下だ。
「気が早すぎませぬか?」
「何、そんな事を言って後数年もすれば元服するし、早ければ10年もせんうちに儂の孫を産むかもしれんのだぞ」
彼らの間に子供が生まれれば、それは政宗の孫であると同時に家康の孫という事になる。
伊達家にとって、極めて貴重な武器となる。
「ま、それはともかくとしてだ」
政宗が話を戻した。
「此度の戦いで戦果は十分。伊達の名も売れた。後は、事の経過を素直に楽しもうではないか」
政宗は、はははと愉快そうに笑い、再び盃を口に運んだ。
徳川主従とは、伊達主従とは別に蜂須賀家政と、浅野幸長が酒を飲み交わしていた。
どちらも旧秀長派ともいうべき存在であり、今回、関ケ原本戦不参加だった二人だ。
徳川家に忠誠を示すべく、西国遠征に同行している。
「思ったより、待たされる事になったな」
「はい」
新年を迎えて以降、二か月ほどこの城で待機を命じられていた。
「結局、九州まで攻め入る事になると思うか?」
家政が幸長に訊ねた。
「徳川右府としては、これ以上犠牲を出したくはないでしょうが、子の方は違うでしょう」
「そうよな。軍議の席でも明らかに九州を攻めたがっておるのが伝わってくる」
家政は苦笑する。
「……九州攻め、あるいは九州との和睦がが成ればどうなると思われますか?」
「徳川右府の天下取りがほぼ確定するな」
「もはや対抗できる勢力は存在しません。毛利、上杉は完全に徳川は屈してしまいましたし、織田は元々当てにならん」
「豊臣も、な」
幸長の言葉に、家政は付け加える。
「となると、徳川右府が天下人ですか……」
「そのつもりで接した方がよかろう」
「ですが、右府と子は必ず意見は同じではないようですし、もし右府の機嫌ばかり伺っていると……」
「そうよな。あまり、父の方に近寄りすぎると、子の方に疎まれる事になるかもしれん。そうなれば、秀忠の代で取り潰される事になるかもしれん。全く、ややこしい事になっものだ」
家政はぼやくように言う。
なんとか、徳川傘下での生き方を彼らも模索していた。
乱世で家を繁栄させる事より、太平の世で家を維持する事の方がある意味難しいのだ。
生き残った彼らもまた、必死だった。




