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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第4部 天下を継ぐ者
174/251

173話 西国平定3

 慶長4(1599)年。

 この時、徳川秀忠率いる西国遠征軍は、毛利一族の拠点である広島城で新年を迎えていた。


 関ケ原合戦終結から、今に至るまでの流れを簡単にまとめる。

 まず、畿内の治安がある程度の落ち着きを取り戻し、旧秀長派の家臣団も名目上は徳川家に従うようになった。

 そうなると、次の問題は大坂城より以西という事になる。

 関ケ原で大きな打撃を受けたものの、豊臣家も宇喜多家は健在。さらにはその先の九州には未だ戦力が残る福島、黒田、加藤、島津といった大々名を下さなければならない。

 その為に、西国を平定すべく秀忠を総大将とした軍勢を送り出した。


 同時に徳川家康は板倉勝重に命じて朝廷から、将軍宣下を認めるよう働きかけていた。

 新たな公儀体制として、徳川幕府を開くつもりなのだ。

 だが、大敵である豊臣秀吉を屠ったとはいえ、西軍の残党が西国に残った状況という事もあり、朝廷も返事を渋っていた。


 西国平定は、将軍宣下を認めさせる早道でもあったが、それでも家康は秀忠に大将を任せた。

 それは、自身が大坂城を離れづらいという事情もあったが、秀忠の器量を他の大名達にも認めさせようという思惑があったのだ。

 豊臣秀吉のように一代限りではなく、二代目の秀忠の器量も諸大名に認めさせ、徳川家安泰の基盤を築こうとしていたのだ。


 そのような思惑から秀忠率いる西征軍は山陽道を通り、西進。


 播磨に入り、最初の目標ともいえる姫路城へと進んだ。

 しかし、姫路城に在住していた将達は、淀や既に徳川家に身柄を預けていた豊臣秀次の説得などもあり、あっさりと開城。

 軍勢をさらに西へと動いた。


 備前では、宇喜多秀家が家臣達から差し出され、宇喜多家も下った。

 毛利家も既に降伏しており、中国地方の大半は既に制圧した事になるが、些末な抵抗は暫く続いた。

 豊臣家や毛利家の決定に従おうとしなかった一部の家臣や国衆が、城に立て籠って徳川軍に抗った。

 とはいえ、彼らの抵抗もたかが知れており大軍の利点を生かし、個別に撃破していった。


 そして、年明けとほぼ同時期に中国地方の平定を家康に報告。

 改めて、九州征伐の許可を得ようとしたのである。



 そして現在に至り、秀忠を総大将とする軍勢はこの日、毛利家から明け渡された広島城にて軍議を開いた。


 土井利勝、青山忠成、立花宗茂ら秀忠の信頼厚い側近。

 本多忠勝、忠政親子、鳥居元忠ら徳川家臣団(榊原康政と井伊直政は、関ケ原の戦いで重傷を負っており、大坂城で療養生活を送っていた)。

 伊達政宗、佐竹義宣、池田輝政ら当初から東軍に同行している親徳川大名達。

 藤堂高虎、浅野幸長、仙石秀久、蜂須賀家政、脇坂安治ら旧豊臣の武将達も同行している。

 無論、この広島城を提供している毛利輝元や毛利家臣団(実質、別家となっている小早川家は含まれない)もいる。


 全軍で8万にもなる大軍勢だが、半数以上の5万が外様大名達の兵だった。

 秀忠や徳川の家臣団らの軍勢は、およそ3万。


 これに、秀忠は不満があった。


 ……これは、徳川家の総仕上げともいえる戦い。にも拘わらず、他家の連中に機会を与えるとはな。


 もはや、徳川家の天下統一は目前だ。

 手順さえ、間違わなければ確実に勝てる詰将棋のようなもの。ならば、徳川家の戦として始末をつけるべき。

 秀忠はそう考えていた。


 しかし、これは家康の命令という事もありそれに歯向かう事はできない。

 徳川家の兵が少なかったのは、次男の松平秀康が討ち死に、「徳川三傑」である榊原康政と井伊直政が重傷を負い、彼ら配下の家臣達もかなりの人数が討ち死にしたという理由があった。

 関ケ原での被害は徳川家にとっても決して少なくなかったのである。


「それで――」


 家康から目付も兼ねて派遣されている本多正純が訊ねた。


「九州をどうするか、ですな」


 現状、秀忠を総大将とする遠征軍は8万を超えるが、九州勢も5万を超える兵を動員する事ができる。

 しかも、支城を一つ一つ平定していき、最南端の薩摩まで攻め入るとなれば、とんでもない軍費がかかる。


 関ケ原の戦いでは、最大の敵である豊臣秀吉を倒して徳川家康の天下統一に王手をかけた。

 だが、代償として決して少ないとはいえない資金や物資、それに人員を失ってしまった。

 これ以上の損失は極力避けたいという思いが東軍首脳にはあった。


 関ケ原に出兵しなかった、四国勢に負担を多く強いる事もできるが、彼ら旧豊臣勢を全面的に信頼する事はできず、必要以上に反発を買えば離反を招きかねない。

 そうなれば、西国平定は大きく後退する事になるのだ。


「藤堂殿、脇坂殿、水軍の方は?」


 本多忠勝が藤堂高虎と脇坂安治に訊ねた。

 彼らはかつて、水軍を率いて朝鮮で戦っている。

 その水軍は、関ケ原の戦いで使われる事なく温存されおり、戦うのに十分な数がまだ残っているのだ。


「いつでも動かせるよう、準備は整っております」


「左様か」


 秀忠は鷹揚に頷く。


「敵の水軍はどの程度の規模なのだ?」


「太閤はかつて、加藤清正や小西行長らにも水軍を組織させたようです。ですが、加藤清正の水軍はまだ十分な数が揃っていないようですし、小西行長は亡くなっておりますゆえ、まとまりの欠くものになるかと」


「では、海戦になれば間違いなく勝てるな」


 秀忠は納得したように頷く。


「駿河の我が徳川水軍や、志摩の九鬼水軍にも船を出すよう要請する必要もまさそうだな」


「はい」


 正純の言葉に、秀忠は満足したようだ。

 ですが、と正純は続ける。


「当分は軍を動かすなと上様からの御命令です」


「何?」


 ここで秀忠は不機嫌そうに眉を寄せる。


「私に九州征伐の許可を出しておいて、今更渋る気なのか?」


「九州の大名達とは今も交渉を続けております。もし、彼らが応じるのであれば武力を用いて無理に下す必要はありません」


「それが父上の考えか」


「はい」


 正純は淀みなく返事をし、頷く。


 ……やはり父上は甘い、甘すぎる。


 内心で毒づきながらも、秀忠に無理に軍は動かせない。


 ……いっそ、強引にでも九州に攻め入るべきか。


 そう思いながら、徳川家臣や大名達の顔を見回す。


 ……いや、無理か。


 自分の子飼いを別だが、他の徳川譜代や外様大名にとって自分は「家康の子」だからこそ命令に従っている事をよく理解していた。

 父の命に逆らってまで、秀忠に従う事はなかろう。


「分かった、父上の指示に従おう」


 内心の不満を言葉どころか態度にも出さないような、平然とした態度のまま秀忠は答えた。






 ――九州。


 福島正則と黒田長政を中心とした働きにより、急速に一つにまとまっていった。


 大友義統を撃破した後、島津家と交渉。乱を起こした伊集院とは一応の和睦が結ばれた。

 

 関ケ原から逃れた小早川秀秋や島津義弘らの保護にも成功した。

 彼らと同行していた小西家旧臣の口添えもあり、加藤清正は小西旧臣の取り込みに成功。

 また、有馬晴信や伊東祐兵をはじめとする中立勢力達も正則に協力する事を了承。


 これにより、一応は九州を一つにする事ができたのである。



 ここで正則は長政の豊前中津城にて、九州の有力大名達を集めた。


 福島正則、黒田長政、加藤清正、鍋島直茂、島津忠恒、島津義弘、小早川秀秋、有馬晴信といった面々が揃っている。


「――さて、福島殿」


 口火を切ったのは、島津忠恒だった。


「我らをここに集めたのか何故か、訊ねてよろしいか」


 どこか、口調には棘がある。

 彼としては、伊集院忠真を成敗する気でいた。

 だが、「九州の一大事」と正則や長政に説得され、やむなく和睦したのだ。ここで九州を一つにまとめる重要性も理解していたものの、感情が納得しかねている様子だった。


「無論、重要な件であろうな」


 忠恒は島津一族の中でもとくに血の気が多い男でもある。

 回答次第では、せっかくまとまった話も反故にしかねない危うさもある。


「忠恒、落ち着け」


 父の義弘が諫めるように言った。

 だが、そんな父の言葉も耳には入らないようだ。


「父上は福島殿に恩を感じておられる様子。せっかく送った兵を、壊滅させられ、命からがら逃げてきたところを救われたのですからな」


 はっ、と鼻で笑うような口調である。


「……言葉が過ぎよう」


 だが、そんな息子には慣れているのか平静さを保ったままのようだ。

 そんな義弘にさらに何か言いかけたところを、正則に遮られた。


「毛利輝元や四国勢は、東軍に各地から城や兵糧を提供している様子。これはもはや完全に東軍の支配下に入ったとみてよいでしょう」


 自分の言葉を止められむっ、としている忠恒にさらにかぶせるように言葉を続けた。


「間違いなく、この九州に兵を送り込んでくる気かと。 ……その数は、優に5万を超え10万にすら届くかもしれませぬ。それを撃退したとして、今度は東国の大名にも動員を命じてそれ以上の数を送り込んでくるでしょう。そうなれば、20万すら超えるかもしれません」


「それがどうした」


「かつての信忠公の時と同じか、それ以上の軍勢が来るのですぞ。それでも戦い続けるといえるのですかな、島津殿」


「ならば、大人しく頭を下げるとでもいうつもりなのか?」


「そのような事をすれば、徳川右府の思うつぼ。我らは徳川の天下の元で侮りを受け続けましょう」


「ではやはり戦うと?」


「その場合は先ほども言いましたが、秀忠の軍勢を叩きのめしたとしても、それ以上の規模の軍勢を右府は送り込み、泥沼の戦いになります。仮に追い払えたとしてもこの九州には大量の血が流れますな。しかも、苦労して追い払ったとして、家臣達への恩賞をどうされるのですかな?」


 家臣達への忠誠を繋ぎ止める為に、恩賞という飴は必須だった。

 だが、防衛だけの戦いではそれを得る事ができない。

 かといって、九州を除く日の本のほぼ全てを支配した徳川家に逆侵攻をかける事などあまりにも無謀だった。


「……」


「どうか九州の平穏を。某達は九州では新参の部類に入りますが、この地を愛する思いは貴殿らに負けていないつもりです。ここは手を取りあって、九州を守っていきましょうぞ」


「……」


 忠恒は無言だった。

 代わるように、父・義弘が口を挟んだ。


「……確かに、福島殿のいう通り、このままでは東軍は九州に攻め入ってこよう。関白殿下に、東の上杉も下った今の状況で東軍に勝つのは不可能だ。少しでも優位な条件で和睦するほかない。そのためには、我らがまとまる以外にないのだ」


「……父上は、やはり福島殿の味方か」


 ぼそり、と皮肉の篭った口調で忠恒は吐き捨てた。


「そうではない。これも九州、それに島津を思っての」


「もうよい」


 だが、その父の言葉を遮った。


「まあ、話は分かった。確かに、このままでは九州は東軍に蹂躙されよう。それは私も望まない」


 忠恒は続ける。


「それでどうするというのだ」


「我らがまとまっている事。弱味を見せない事。大事なのは二点のみです。右府もこれ以上兵を失いたくはないはず。そうすれば、いずれ右府も折れます。我らの面子も右府の面子も潰れない形で和睦できます」


「……分かった」


 忠恒も頷いた。


「各々方もそれで構いませんな」


 軽いざわめきが起きたが、一人、また一人と正則の意見に同意していく。


「それでは、この方針でいくとしましょう」


 正則の言葉でこの合議は締めくくられた。

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