172話 西国平定2
「――そうですか。太閤殿下が」
播磨――姫路城。
その一室で、豊臣秀吉の側室である淀が呟くように言った。
淀の目の前には、報告に来た片桐且元がいる。
傍らには、秀吉の忘れ形見である豊臣秀頼の姿もある。
「はい――」
無念の為か、且元は唇を噛みしめ涙を堪えるような様子だ。
まだ幼い秀頼の方は、何が起きているのかわからないといった様子で、あどけない顔のままだった。
淀の顔に、これといった変化は見られない。
どこか達観したような様子だった。
対照的だったのは、秀吉の正室である高台院だった。
彼女は秀吉の死を知らされた直後、失意のあまり部屋に引きこもってしまっていた。
呼びかけても応じる様子はまるでなかった。
……このような状況だというのに。
太閤亡きこの世に、もはや興味はなくなたっと言わんばかりの態度を取る高台院に複雑な思いを抱く且元だが、それを口に出す気にはなれなかった。
一方の淀は――少なくとも表面上は――平静さを保っており、淡々と報告を聞いている。
「――それで、我々はどうなるのですか?」
冷静な口調のまま、且元に訊ねた。
一瞬、且元は言い淀むが――やがて口を動かした。
「関白殿下や秀長様が交渉しておりますが、おそらくは大幅に領土を削減される事になるかと」
「この姫路から立ち退かねばならないのですか?」
「そのような事にはならぬよう、交渉を続けております。この姫路城は秀頼様の生まれ育った地。明け渡すわけにはいきませぬ」
「そうですか」
淀は頷く。
……やはり予想以上に落ち着いておられる。
且元はその事に安堵する。
「近い内に、徳川秀忠を総大将とする軍勢が西国平定の為にこの姫路城に向かってくる予定ですが、その際に、その……」
言いづらい部分であり、言い淀む。
だが、それだけで淀は察したようだった。
「秀頼に臣下の礼を取らせろ、というのでしょう。わかっております」
「は、はい」
察しの良い淀に、且元は恐れ入ったように平伏する。
「何、さすがに三度目の落城を経験する気はありません」
ふふ、と苦笑気味に淀は言った。
彼女はかつて小谷城と北庄城で、落城を経験している。
そんな経験が、彼女の今の強かな人格が形成していた。
「豊臣家は、これで徳川に――東軍に下ります」
きょとんとしている秀頼を傍らに、宣言するように淀は言った。
一方、宇喜多秀家は岡山城にようやく帰国していた。
秀家は関ケ原に1万4000の兵を率いて出陣した。だが、関ケ原で宇喜多勢の損害は大きく、この岡山城に戻るまでに脱落兵も続出した。
結果、岡山城に無事戻れた兵はわずか3分の1にも満たない4000ほどに過ぎなかった。
だが、秀家は抵抗を諦めていない。
改めて兵の動員を行うよう指示を出した。
しかし、家臣達の反応は芳しくなかった。
「やめた方がよろしいかと。もはや、豊臣家に勝ち目はありません」
「そのような事はあるものかっ」
秀家は叫ぶように言うが、どこか虚しさが込められていた。
彼自身ももはや豊臣に勝ち目はない事を悟っているのだろう。
そんな秀家に対して、どこか冷めたような視線が家臣達から注がれる。
その家臣達を代表するように言ったのは、戸川達安だった。
「殿」
「何じゃ?」
「殿が豊家に肩入れするお気持ちはよくわかります。太閤殿下にも大恩がありましょう。ですが、その殿下は既に」
「黙れっ」
遮るように秀家は叫ぶ。
「太閤殿下を討ったのは東軍だ。その仇は取らねばならん!」
「仇――ですか」
「そうだ。家康の首をとり、殿下の墓前に捧げねばならん」
秀家の言葉にもどこか白けた空気が漂う。
秀吉が、家康に首をとられたとはいえそれは戦の結果だ。
しかも、今回の戦いはどちらかといえば豊臣側から仕掛けた戦。それで逆に討ち取られたといって、家康に文句を言うのは筋違いというものだろう。
そんな言葉が家臣達の視線には込められている。
「お前達は何とも思わんというのか。宇喜多もこれまで太閤殿下に多大な恩を受けてきたであろう。最後の一兵まで戦い、その恩に報いろうとは思わんのかっ」
怒鳴るような言葉だ。
その言葉に、達安は他の家臣達を見渡す。
どこか同意を求めるような顔だ。そして、一人一人の顔を見渡していくと、最後に宇喜多忠家のところで視線が止まる。
忠家は直家の弟――つまり、秀家にとって叔父に当たる存在だ。
その忠家が同意するように、小さく頭を下げる。
「……なるほど。よくわかりました」
そう言って立ち上がった。
「な、何じゃ……」
不穏な空気を察し、刀を抜こうとしたが、それを察した家臣達によって両脇を抑えられるのが先だった。
「無礼なっ」
押し倒されるように拘束されたまま秀家は憤るが、誰も秀家を抑えつけた家臣達を咎めようとするものはいない。
そんな家臣達を代表するように、達安が無表情のままぽつりと言った。
「申し訳ありませんが、身柄を拘束させていただきます」
「何……?」
意味が分からない、といった様子で秀家は聞き返す。
「もはや、豊家に未来はありません。その豊家にあくまで義理立てするというのであれば、そのような御方を宇喜多家の当主と認めるわけにはいきませぬ」
「な――っ」
秀家は驚いた様子で家臣達を見やるが、既に彼らの間で話はついていたのか、誰も動揺している様子はなかった。
「叔父上……」
秀家は唖然とした様子のまま、叔父である忠家に視線を動かす。
彼もまた無表情のままだが、わずかに同情の色が含まれているようにも見えた。
そんな忠家が甥に言う。
「悪いが、これからは儂が宇喜多を代表する形で徳川右府に詫びを入れる」
「……っ」
家臣に続き、叔父にまで裏切られ――いや、見限られた事を悟り秀家は愕然とした。
重宝していた中村次郎兵衛の件などから、家臣達との間に溝が出来ている事は悟っていた。
だが、戦で自らの器量を証明すれば自然とそんなものは消えてなくなると思っていた。
しかし、既に手遅れだった。
もはや、家臣達の信頼関係は完全に失われてしまっていた。
その事を秀家は悟らざるをえなかった。
「結局のところ、儂は豊家の家臣であって、宇喜多家の当主ではなかったという事か……」
秀家は後悔するように呟いたが、もはや全てが遅かった。




