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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第4部 天下を継ぐ者
172/251

171話 九州勢力2

 少し時間を遡り、関ケ原の合戦直後。


 既に、日が沈み始めているにも関わらず凄まじい勢いで移動を続ける集団の姿がある。

 その数は、数千にも見える巨大な人の群れだ。


 その中には、赤の飛び散った甲冑姿の者や、簡単な手当が施されただけの者なども含まれている。

 だが、そんな彼らも無言のままにひたすらに足を動かし続けた。


 その集団が、ようやく止まった時には日は完全に沈んでいた。


「よし、今宵はここで休むぞっ」


 責任者と思しき者の声が響き、皆はその場で崩れ落ちるようにしゃがみ、簡単な米や味噌といった携帯していた食物を貪ると、すぐに眠りに落ちていった。


 だが、見張りの為に何人かはまだ起きており、恨めしそうに夢の世界に旅立った仲間達を眺めている。


 そんな中、彼らの責任者らしき男達が火を囲んで話し合っていた。


「九州には大分近づいてきたな」


「うむ。先ほど確認させたが、備後と安芸の国境の辺りらしいしの」


「となると、もうすぐか……」


 それぞれに、安堵の色が強く浮かぶ。


 彼らは、黒田孝高、小早川秀秋、島津義弘といった関ケ原から離脱した九州勢だった。

 八幡山城には向かわず、領国である九州への撤退を決めていた。


「しかし、殿下の軍勢が破れるとは……」


 未だ信じられないといった様子の秀秋が言った。

 これまで、彼にとって秀吉は天下に君臨する圧倒的な覇者だった。

 その秀吉が破れ、討ち死にするなど天地がひっくり返るような大事なのだろう。


 そんな秀秋にすぐ戦線から離脱するように勧めたのが、孝高だった。


「はい。まさか、このような結末になるとは……」


 孝高は頷く。

 彼も衝撃を受けてはいるが、秀秋ほどではないようだ。

 それゆえに、即座に関ケ原からの撤退を進める事ができた。


 ……あの殿下が、な。仕え随分と経つが、戦場で命を落とす事になるとは、なぜか想像できない御方だった。


 孝高はそう思いながら、軽く味噌を舐める。

 普段は塩辛く思えるだけのものだが、ろくに食事もとらぬまま強行軍を続けてきた今ではやたらと美味に感じた。


 ……こういう食事も随分と久しい。


 何せ、ここ数年は大坂城で秀吉を補佐している事が多く戦場からは長らく遠ざかっていた。

 随分と戦から離れていたものだ、と自分でも思う。


 ……儂も歳か。


 どこかぽっくりと、体に大穴が開いてしまったようだ。

 大敗を喫したというのに、口惜しさも大して感じない。死への恐怖もなかった。結局、人間が歳をとるのは純粋に体力が衰えるからではないのだろう。

 野心や執着、といったものがなくなってくると、自然と体も老いていくのかもしれない。

 そういった面では、太閤殿下は最後まで若いままだったたのかもしれない。


 ……いや、まだ最後の抵抗をしてみせる。


 実は、孝高にはある野望があった。

 まだ東軍の影響が薄い九州の地をまとめあげ、その勢力で叶わないまでも東軍と一戦し、最後の戦いをしたいという計画だ。

 秀吉傘下の大名としてではなく、黒田孝高の戦いとしてだ。


 その為には、小早川秀秋や島津義弘といった九州の大名達の協力は必須となるのだ。


「太閤殿下も不死身の存在ではなかったという事でしょうな」


 そんな風に孝高が考えていた時、冷静な口調で島津義弘が言う。


「落ち着いておりますな、島津殿は」


「そのような事は。ですが某は、関ケ原の事ばかり気にしてはおられないもので」


 義弘の懸念は、自身らの領国で発生している伊集院による乱にあった。そのせいで、島津が関ケ原で動かせた兵はわずか2000ほどに過ぎなかった。

 その2000の兵も、今や半分以下にまで減じていたが。


「豊久殿も無事だといいが……」


 秀秋が心配そうな口調で言った。

 島津豊久は、撤退する殿を務めており、この時点で既に討ち死にした事をまだ彼らは知らなかった。


「まあ、あれも武人。最悪の場合の覚悟はしておる」


 義弘の口調はあっさりとしていた。


「……それで、黒田殿は今後どうするつもりなのだ」


「とりあえずは、領国に帰ろうと思っております。身柄を東国に拘束されたままでは自由に動く事ができませんし」


「そうか。では、その後に某も領国に帰るとしよう。だが、中津城までは同行させてもらってもよろしいかな」


「はい。島津殿ほどの御方に同行していただければ百人力です」


 孝高の言葉に、義弘も頷く。

 が、ここで少し言いづらそうなものへと口調が変わる。


「そこで、なのだがな黒田殿」


「何でしょうか」


「少しばかり兵糧が心もとなくなってきた。そこで……」


「中津城についたら某から、兵糧の提供を受けたいと?」


「後でしっかりと返す故、何卒」


 頭こそ下げないものの、懇願するような口調で義弘は言った。

 実際、島津に限らず彼らの兵糧はほとんど底をつきかけていた。


 現在は毛利領にいるが、輝元の以後の動向が不明という事もあり、迂闊に支援を受けられないという事情もあり、十分な補給ができていなかった。


「ふうむ」


 孝高が次の返答をするには、一瞬の間があった。

 その事に、かすかに嫌な予感を義弘は感じる。


「……黒田殿」


「いやいや、勘違いされては困りますぞ」


 孝高は笑みを浮かべて首を横に振った。


「ここまで苦楽を共にした島津殿だ。喜んで兵糧を提供させていただきますぞ」


「おおっ」


 義弘はその言葉に、ようやく安堵したようだった。

 孝高も内心でほくそ笑んだ。島津には、今後の為にも恩を売っておきたいという思いがあったからだ。




 その後、彼らは船で関門海峡を渡り九州へと入り、まずは孝高の居城である中津城へと向かおうとした。

 そんな時、武装した一団と遭遇した。


 立派な甲冑姿の武者が目に入る。

 その武者が近づいてくる。


「何者かっ」


 孝高家臣の後藤基次が前に出て、警戒するように声を張り上げた。


「某は福島正則の臣、可児吉長でござる。そちらの方々は黒田孝高殿の御一行とお見受けする」


 かつて織田信孝に仕えていた可児吉長だが、この時は福島正則に仕えていた。


「……何用か」


 相手の意図が掴めない以上、基次は肯定も否定もしないまま訊ねた。


「丁重にお迎えするようにと、我が主の申し出でござる」


 吉長の答えに、基次は確認するように孝高を見るが孝高は黙って頷いた。


 やがて、吉長を中心とした一団が孝高達を中津城へと連れて行った。

 小早川秀秋、島津義弘ら九州の大名達も同行する。



 中津城にて、豊富な食事と暖かい寝床を提供され、皆は安堵したまま眠りにつく事ができた。


 そんな中、孝高は城内の一室で子の長政と会った。


「ご無事で何より」


「うむ」


 そう返したものの、孝高は相変わらずこの息子がどこか苦手であった。


 秀吉が本気で天下人を志すようになってから、この地の統治を彼に任せて自分は大坂や姫路に出仕していた為、面と向かって対峙するのはずいぶんと久しい気がする。


 だが、既に長政は30になろうとしている。

 これからは武将として、最も脂の乗った年齢になる。


 それに対し、孝高は50を過ぎた。

 元々、有岡城での幽閉以降体を悪くしていたが、さらに体に衰えを感じるようになってきた年齢だ。


「……父上」


 どう切り出そうか迷っていると、先に長政が切り出した。



「そろそろ退いていただけないでしょうか」



 不意をつかれたような言葉に、一瞬、孝高は言葉に詰まる。


「……どういう意味じゃ?」


「父上は既に50を超えています。それに対し、私ももう30。そろそろ家督を正式に譲っていただいてもよい頃合いかと」


「……」


 黒田領を実質的に統治しているのは長政だが、依然として家督は孝高にあった。

 とはいえ、関ケ原の戦いの際には家臣や兵のほとんどが長政の指示に従っており、孝高の影響力は薄れつつあったが。


「儂に隠居しろというのか」


「できれば、自発的にしていただけるとありがたいかと」


 あまりに冷たく聞こえる物言いに、孝高も顔を歪める。


「今すぐにでも家督が欲しいのか」


「はい。全ては黒田家の為、です」


「黒田家の……?」


「父上はわずかとはいえ、我が黒田家の兵を率いて東軍と戦ってしまっています。父上の身の安全の為にも、そして黒田家の為にも隠居なされた方が今後の為になるかと」


 淡々とした口調のまま、長政は続ける。


「すぐに応じる気はありませんが、いずれ東軍と和睦します。その為に父上の隠居は必要かと」


「和睦? 東軍と和睦するというのか」


 孝高の問いに、長政は答える。


「はい」


 迷いのない返答である。


「……長政」


「はい」


「儂がもし、兵をまとめあげ、西上する東軍を迎え撃つといったらどうする気じゃ?」


「はっきり申し上げて無謀かと」


「無謀か」


「はい。仮に、父上が東軍を追い払ったとしても、すぐに次の軍勢を徳川家は送り込んでくるだけです。万が一の奇跡が重なり、本州にまで攻め入ったとしても父上が上方の軍勢と戦い続ける事に何の大義があるというのですか」


「大義、か。そんなものはどうにでもなる」


「どうにかなったとしても、父上の死後の黒田家はどうなります?」


「儂の死後……?」


「黒田家に、天下を取る力があったとしても、それを維持する力はありません。間違いなく、騒乱の元凶として滅ぼされる未来しかないでしょう。そのような無謀な事に付き合う気はありませんし、家臣達を付き合わせる気もありません」


 その言葉で、はっきりと孝高は自覚せざるをえなかった。


 ……儂は、正直のところ黒田家云々よりも自分の力を試したかっただけなのかもしれん。


 それに対し、目の前の息子は黒田家を守るための戦いをしようとしている。

 ならば、黒田の家督はどちらに相応しいかは考えるまでもないのかもしれない。


「……長政」


「はい」


「父の存在などなくとも、子はたくましくなるものじゃなあ」


 その言葉にも、悠然とした様子で長政は父を眺めるだけだった。


「それで、どうやって和睦に持ち込む気じゃ?」


「その為にも、現在この城に留まっていただいている小早川殿や島津殿の協力も必要になります」


「そうか。考えは既にあるというわけか。なら、良い」


 それだけを言うと孝高は長政との会話を打ち切った。

 長政とのわずかな会話だけで、野心や執着といったものが一気に瓦解していくのを孝高は感じる。


 子の成長を祝うべきか、自分が老いた事を嘆くべきか。

 何とも言えない気分に孝高はなる。


 そして、黒田孝高はこれで隠居し、以後は如水と称するようになる。

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