170話 西国平定1
徳川家康・秀忠親子が遂に大坂城にまで到達した。
そして、毛利輝元、豊臣秀長らによって滞りなく大坂城は引き渡された。
輝元は約定通り三ヶ国安堵を条件に、これから行われる西国制圧の協力も受け入れる事になる。
秀長は自分の領国全てを引き換えに、自身の家臣、それに秀吉子飼い大名らの所領安堵を引き換えに受け入れた。
「貴殿らも、これ以上は豊臣家に義理立てする必要はない。以後は、自家の安泰にのみ尽くすが良い」
秀長直属の家臣は勿論、現在は独立大名となっていた四国や中国の大名達もそれに従った。
豊臣秀頼も、現在起居している姫路城を中心に播磨と但馬の大半が安堵される事になった。
だが、一部の小大名や国衆達が東軍の支配を良しとせず城に立て籠っていた。
それらを制圧するべく、家康は秀忠に西征軍の司令官に命じ、一軍を与えた。
その秀忠に、旧秀長家臣団や毛利一族らを中心とした西国大名らの軍勢も加わり、西征軍は進んでいった。
そして、家康は大坂城に残り、制圧したばかりの畿内の政務に忙殺された。
関ケ原で無断撤退した北陸勢とは、事前に根回しがすんでいたとはいえ、即座に降伏を認めるわけにはいかない。
使者が何度か交わされた後、正式に北陸勢は下った。
前田利長、丹羽長重らも大坂城を訪れ、家康に従属した。
今回、中立を保っていた堀秀治や、途中から東軍に加わった細川忠興もまた家康に忠誠を誓い、所領を安堵された。
一方、上杉との交渉も同時に進行。
こちらは、北陸勢と違って容赦も遠慮もする気はない。
だが、直江兼続の読み通り、家康としても大国である上杉を一気に潰す事には懸念があった。
影響があまりにも大きい。
東国の安定を考える家康としては、ある程度の領土を残す気があった。
何度か交渉が交わされた後、頸城郡を中心に15万石ほどが安堵された。
問題が発生したのは四国だった。
四国の大名のほとんどが大坂城に残留していたが、長宗我部盛親のみが関ケ原本戦に参加してしまっており、東軍と戦っている。
さすがに咎めなし、というのは厳しい。
そこで、一旦領土を召し上げてから、数年ほど経ってから改めてある程度の領土を与えようと考えていた。
しかし、そういった事情がうまく伝わらなかったのか、あるいは一時的とはいえ領土を召し上げられる事を嫌った為か、長宗我部の家臣達が暴発。
しかも、盛親は徳川家との交渉を担当していた兄の津野親忠を殺害してしまった。事前から東軍と内通していた事を咎めての断罪とも、家督を奪われると懸念したとも噂されたが、真偽は不明だ。
だが、何が真相だったにせよ、この事が徳川家の心象を大きく害する事になり、長宗我部は完全に取り潰す方向へと方針は転回された。
長宗我部の平定には、領土の隣接する山内一豊が担当する事になった。その平定戦で凄まじい活躍を見せた一豊は、旧長宗我部領の多くを恩賞として加増される事となった。
とどめと言わんばかりに、長宗我部家の元当主であり現在は療養生活を送っていた長宗我部元親も没した。
皮肉にも、山内一豊による土佐平定が完了するのとほぼ同時期の事であり、まるで、長宗我部の終焉を見届けるかのような最期だった。
豊臣家でも、大物が没した。
豊臣秀長である。
未だ不安材料が多く残っているとはいえ、とりあえずは豊臣家存続の目途が経った状態で逝けたのはせめてもの救いだったのだろう。
こちらの死に顔は安らかだったという。
これらの処理が完了し、ようやく九州へと目を向ける事ができるようになった頃には、既に新年を迎えていた。
慶長4(1999)年――。
この正月を家康は大坂城で迎えた。
多くの大名達から新年の挨拶を受けた後、家康は自身の屋敷に戻った。
「今年は、上様が遂に天下を平定される年。実にめでたい年になりそうですな」
本多正信が、にこにこと笑顔を浮かべて言った。
「うむ」
家康も頷く。
今年は伊達政宗、最上義光、蒲生秀行といった親徳川大名だけでなく、去年までは敵対していた上杉景勝や前田利家らも新年の挨拶に訪れており、その事がまた天下に近づいたという事を強く感じさせた。
同時に、朝廷とも板倉勝重を通して交渉をしている。
新たな公儀体制の象徴として、幕府を開きたいと家康は考えている。徳川幕府が開かれたその瞬間、徳川家の天下統一は完了すると思っている。
だが、最大の敵である豊臣秀吉を破ったとはいえ問題はまだ残っている。
「あの御仁は変わっておらんかったしな」
「そうですな」
正信が同意する。
織田秀信は相変わらず徳川家の天下を認めておらず、顔すら見せなかった。今や日の本の半分以上は徳川家、あるいは親徳川家の領土となっており、諸大名達も秀信ではなく家康を天下人として崇めている。
この状況になってもなお、秀信は家康を認めようとしていなかった。
「もはや、あの御仁には大した価値もありません。ここはいっその事……」
す、と正信の目が細められる。
口にこそ出さないが、暗殺してはどうだ、と聞いているのだと付き合いの長い家康はすぐに察した。
「いや、必要はあるまい」
家康は黙って首を横に振った。
「価値がないからこそ、生かしておいても危険は少ない。むしろ下手に害して付け込まれる隙を与えたくない。まだ西国の問題が残っておるのだぞ」
それに、と家康は付け加える。
「あの御仁は、あれでも亡き信忠公の忘れ形見であり、信長公の孫でもある。信雄殿からも頼まれておる。 ……できる事ならば安らかな余生を送って欲しい」
「そうですか」
それが主君の意見とあっては、正信も頷くほかない。
家康は基本的には、敵対した者であっても命まで取ろうとは考えていないし、その方針で天下の仕置を行ってきた。
良く言えば寛大、悪くいえば甘かった。
……そう考えると、この御方とは随分対照的なのだな。
ふと、目の前の人物の子であり、まだ20前後の若者だというのに、ひどく冷酷な表情を浮かべる事の多い秀忠の顔が脳裏に浮かぶ。
秀忠は、毛利家や上杉家に苛烈な処分を望んでおり、取り潰しどころか輝元と景勝の切腹すら提案した。
しかし、家康はその意見を退け、命だけでなく領土も一部とはいえ安堵した。
……あの御方に仕える事になる正純は大変であろうな。
現在は秀忠と共に、西征軍に同行している子の正純の事が頭に浮かぶ。
家康よりも年上の自分と違い、正純は残りの人生の多くを秀忠の元で過ごす事になるだろう。
優秀ではあるが、何かと敵の作りやすい言動をする事の多い正純であるから、秀忠の機嫌を害するような事をしなければよいが――とも思う。
「どうかしたのか?」
黙り込んだ正信を不審に思ったのか、怪訝そうに家康が訊ねた。
「いえ、何でもありませぬ」
正信は小さく首を横に振った。
そうか、と家康も大して気にした様子はなさそうだった。
「――上様」
そんな中、不意に声がかけられた。
どうやら、部屋の外からのようだ。
聞き覚えのある、家康の小姓の声である。
「どうした?」
襖が開けられ、家康の小姓が現れた。
「こちらを」
書状が家康の手に渡された。
黙って読み進めていく。
表情にほとんど変化はないが、付き合いの長い正信には上機嫌になるような内容だとすぐに分かった。
「朗報ですか?」
「うむ」
家康は頷く。
そして、口元を緩め、笑みを浮かべた。
「秀忠からじゃ。どうやら、西の方は何とか目途がつきそうじゃ」




