160話 決関ケ原8
「何!? 太閤殿下が総攻撃の合図を、だと」
豊臣秀次が豊臣秀吉からその命令を受けたのは、田中吉政の討ち死にを知らせに来た報告とほぼ同時だった。
……吉政が、まさか。
秀次にとって、田中吉政は長年自分を支えてくれた重臣中の重臣でありその衝撃が大きかった。
「関白殿下」
「う、うむ」
いつの間にか、地面に落としていた采配を不破万作が拾う。
それを秀次が受け取った。
……いかんいかん、儂が動揺していては。
何事もなかったかのように装い、秀次は口を開く。
「太閤殿下は総攻撃をかけて、一気に勝負を決める気なのか」
「おそらくは」
その言葉に、万作は頷いた。
「我らにも、前に出るよう指示が出ております。井伊直政や伊達政宗の部隊を攻撃して、一刻も早く壊滅させるようにと」
「うむ。吉政の仇もとってやらんといかんしな」
そう言いながらも、秀次はふと配下の武将達を見やる。
吉政の死が知らされた際は、秀次動揺に衝撃を受けた様子はあったが既にみな立ち直っている様子だ。
死んだ者の事よりも、これからの行動に意識は集中しているようだった。
……やはり、儂は戦人としての素質はないのか。
ふと、何ともいえない感情に秀次は支配される。
結局、自分は豊臣秀吉や徳川家康とは違う。武人としての器量云々以前に、性格的に戦場の空気は合わないのだろう。
秀次は、そんな気がした。
……決めた。このまま西軍が勝っても儂は適当な時期に隠居しよう。その方が太閤殿下も安心するだろう。
「殿下」
「うむ。分かった。兵を前に出す」
だが、それもおそらくは数年後の話。
今はこの戦場に集中する事にした。
「我らも軍勢を前に出すぞ」
徳川秀忠も、豊臣秀次の部隊が反攻に出たのを知って改めて指示を出した。
「いよいよ、ですな」
土井利勝が傍らから口を挟む。
「うむ。太閤も全軍の激突を決意したようだしの。腕が鳴るわ」
青山忠成も、付け加えるように言った。
……やはり、私には戦場の空気は分からんな。
そんな二人を見ながら、秀忠は内心で思った。
……戦に対する高揚感など、私にはない。必要だとも思えない。
だが、と続ける。
……父上に限らず、他の家臣共にはあるのだろう。
しかし、そのようなものはこの後の時代には不要だ。
……戦などなくとも、国は動く。これからは、そういう世になる。私ならばそれができる。
「殿」
ここで、立花宗茂が口を開いた。
「某に兵をお与えくだされ。必ずや敵勢を蹴散らしてみせましょう」
「うむ。期待しておるぞ」
秀忠の許可を得て、宗茂も1000ほどの兵を引き連れて秀忠の本陣から榊原康政の支援にあたる事になった。
……あ奴もやはり、戦国の世を生きる将か。
先ほどの強く興奮した宗茂の様子を思い出し、秀忠は内心で呟く。
だが、不快感はない。
……天下に安泰を齎したとしても、何が起こるか分からん。ああいう男もこれからの世に、多少は必要か。
そう思いながら、秀忠も意識を戻す。
「敵は、太閤・豊臣秀吉! まずは、関白・豊臣秀次の軍勢を破れっ」
秀忠の強い言葉と共に、秀忠の部隊も前進を始めた。
「太閤殿下、ここは某も秀秋様と共に」
豊臣秀吉に、黒田孝高が進言するように言った。
秀吉本隊は、小早川秀秋の軍勢1万を先頭に豊臣秀次の軍勢を支援するように前へと進んでいた。
そんな中での孝高の発言である。
「わざわざ、そちが行く必要があるのか?」
孝高の軍勢は、わずか500ほど。
秀吉の言う通り、わざわざ1万の小早川勢に加勢する必要があるとは思えなかった。
「某も歳ですから」
孝高は続ける。
「これは、天下分け目の大戦。下手をすれば、某の最後の戦いとなるかもしれません。ならば、できる限り華々しい場所でと思いましてな」
「予の傍ではその望みが叶わぬと?」
「そのような事は」
首を振った孝高に、秀吉は告げる。
「ま、良いわ。好きにせい。仮にそちが抜けても、頼りになる軍勢がまだまだ残っておる。予の本陣が危険になる事はあるまい」
秀吉本隊1万5000の他、石田三成、増田長盛、茂庭綱元、朽木元綱らの軍勢は未だに健在だった。
確かに、この中から孝高の手勢500が抜けても大した痛手にはならないように思える。
「有り難き幸せ」
孝高は頷くとも、秀吉の元から立ち去って行った。
そして、手勢をまとめると小早川秀秋の軍勢と共に前へと進み出た。
彼は有岡城に幽閉された影響で足を引きずるようになってしまっており、しかも年齢的な問題から体力も落ちている。
その為、輿に乗っての移動である。
それを見送りながら、秀吉も内心で呟く。
……最後、か。確かに血肉湧き踊るような大戦はこれが最後であろうな。
「なら、未練を残さんようやりたいようにやらせてやるか」
孝高は播磨平定時代からの付き合いであり、さして長い付き合いではない――などと思っていたが、今も秀吉の元に残る有力武将の中では古参の部類に入る事に気づいた。
そして、その孝高もこの時代では既に老人と言っていい年齢に入っている。
「そんなにも経つのか……」
秀吉は呟くように言うと、こう続けた。
「なら、最後に見せてやるか。予が天下人となる姿をな」




