158話 決関ケ原6
西軍は、豊臣秀吉の指示を受け、この日の為に大量に用意された大筒が戦場に投入される事になる。
火薬と砲弾が用意され、砲手達が東軍のいる方へと仰角をわせる。
「放てっ」
轟音が響く。
大筒が放たれ、撃ち込まれた東軍勢のいる場所へと命中した。
続いて、他の砲台からも相次いで音が響いた。
比喩抜きに、全身がばらばらになるような威力だ。
直撃を免れた兵達もそれを見て悲鳴をあげる。
「ひ、ひるむな!」
指揮官達が必死に声を張り上げるが、あまり効果は出ていない。
東軍は、西軍の放った大筒の凄まじい威力に衝撃を受けた。
兵達だけでなく、指揮する将達にもだ。
飛距離も威力もそれほどに凄まじい。
一方、東軍側にも大筒はあった。
負けてなるものかと、東軍も大筒が用意される。
砲弾が装填される。
仰角も西軍のいる方角へと合わせられる。
東軍の大筒が放たれた。
西軍の陣に、見事に命中する。
だが、東軍ほどの混乱はなかった。
他にも、西軍の陣へと大筒が撃ち込まれるがそこまで大きな威力を発揮できない。
威力も射程距離も精度も、何もかもが西軍の大筒の方が上だった。
その様子を見ながら秀忠はぼそりと呟く。
「我が軍の大筒は、大した威力ではないのか」
「恐れながら……」
利勝が恐縮した様子で言う。
「太閤は大陸遠征で信忠公が用いた大筒の多くを、接収しております。南蛮貿易の盛んな西国を版図に加えておりますし……」
「南蛮貿易なら、我らも行っているではないか」
「はい。特に上様は、色々と南蛮の商人達に便宜を図っておりますし」
「父上は海外との交易がお好きのようだからの」
そう言って秀忠は口元を歪める。
家康は海外との交友に熱心であり、積極的に交易の規模を拡大していた。
しかし、秀忠は必ずしもその父の方針に賛同していなかった。
「確かに、南蛮との交易で得られる利は魅力的だ。なくせという方が無理かもしれん。だが、我らだけでなく他の大名共も富ませてしまうし、同時に持ち込まれる宗教も厄介な火種になる。その事を考えれば、何らかの制限を加えていく必要がある」
考え事に没頭するように、秀忠は顎に手を当てる。
「南蛮の商人達と交易できる箇所を、もっと限定的にするべきであろう。それに交易相手の国の事ももっと調べた上で、行うべきだ。でなければ、痛いしっぺ返しを受けるやもしれん」
「なるほど。ですが、殿。今はそれよりも……」
目の前の戦場の事から脱線しつつある主・秀忠を諫めるように、利勝が口を挟んだ。
「わかっておる。この戦いに勝つ事を考えねばな」
そう言って秀忠の視線は再び戦場へと戻された。
松平秀康の討ち死に、それに大筒の効果から、西軍優位に戦況は傾いていた。松倉重信の部隊は、島清興の部隊相手に善戦していたが、小西行長の部隊が支援にきた事によって、情勢は不利になった。
重信も、必死に押しとどめようとするが、どうにもならない。
小西行長は、加藤清正との不和から領国にかなりの兵を割いてしまい、十分な数を連れてくる事ができなかった。
しかし、大陸遠征で戦い続けた行長の部隊は手強く、松倉勢を押していった。
「儂が前に出る」
松倉重信が子の重政に言った。
「しかし、父上……」
不安そうな重政に重信は言う。
「多少無理をしてでも、儂が前に出て兵を鼓舞する。このままでは形勢は不利になるばかりじゃ」
「ですが、まだ我らは押し切られているわけではありません。もう少し様子を見てからの方が……」
「時間をかけても良い事はない」
後悔するような口調だった。
「儂はかつて、殿に仕えていたころ、判断を先延ばしにさせてしまった事がある」
彼は筒井順慶に仕えていた。
順慶は、本能寺の変の際、一度は明智方への参戦を決めかけたものの、それを重信が止めた事があった。
結果だけを見るならば、明智方は当時羽柴秀吉と名乗っていた秀吉の軍勢に破れた。同時に、明智方に加担した者達は――京極高次のような例外もいるが――皆、大きな代償を払う事になった。
だが、と重信は思う。
……あの時、殿が参戦していたら。
山崎の合戦は、羽柴秀吉の軍勢の被害も甚大だった。
筒井勢の参陣があれば、結果は逆だったかもしれない。
うまくいけば、秀吉の首がとれたかもしれない。
そこまではいかないにしても、少なくとも秀吉は今のように天下に王手をかけるような立場になる事はなかっただろうし、筒井家の未来も違ったはずだ。
あの後、筒井家の立場は悪くなり、織田信忠からは冷遇され織田信孝の反乱に加担する事になった。
その筒井家に仕える重信の立場も悪くなり、その結果が今の状態だ。
こうなったのも、元はといえばあの時主君が出陣する事を躊躇わせたせいかもしれない。
……今度こそは判断を遅らせるわけにはいかん。
年齢的にもこれが最期の戦になるかもしれない。
後悔するような事だけはしたくなかった
「よいな、重政。儂がいない間、我が松倉家の指揮を任せるぞ」
「……はっ」
父の決意を見て、重政も頷くしかなかった。
松倉重信自ら前線に赴いた事により、松倉勢の士気は回復し、島清興・小西行長の軍勢を押し返した。
「吉政の首をとれっ」
会戦のきっかけとなった井伊直政の部隊が、田中吉政の部隊を壊滅寸前にまで追い込んでいた。
井伊の赤備えが、田中吉政の部隊を蹂躙する。
悲鳴や銃声が響く戦場を直政は駆けた。
大将自らが前に立つ姿に家臣達も鼓舞され、さらに井伊勢は勢いをつける。
逆に、ここまで情勢が不利になってくると、田中勢は逆に勢いを失っていく。それでも、大将の田中吉政はこの場に踏みとどまって戦いを続けた。
だが、それでも井伊隊の勢いを完全に抑える事はできず、遂には吉政は討ち取られてしまったのである。
これで、森長可に続いて西軍の一角がまた一つ崩れる事になった。
……秀康様も、もう少し突出するのを待ってくれていたならば。
直政の顔に苦いものが浮かぶ。
東軍は大筒の猛攻を凌ぎ、森勢に続き、田中勢も壊滅した。
この事により、西軍の勢いに衰えが見え始めていた。この段階で松平秀康が突出攻撃を行っていれば、別の結果が出ていたかもしれない。
……だが、こういった事が起こるのが戦場。いつまでも気にしてはおられん。
それに、と内心で続ける。
……秀康様には悪いが、儂にとってはむしろ都合が良かったかもしれんしな。
彼は、松平忠吉に徳川の家督を、という考えをまだ捨てていなかった。
それだけに、秀忠に次ぐ対抗馬であった秀康の死は決して悪い事ではなかったのである。
……まあ、それもこの合戦で儂が手柄をあげてこそじゃ。
直政は、意識を戦場に戻す。
「次の獲物は関白・豊臣秀次じゃ。儂に続けっ」
宣言する井伊直政に、家臣達も続いた。




