156話 決関ケ原4
松平秀康の部隊の勢いは凄まじかった。
それはまさに獅子奮迅の活躍であり、東軍の他の部隊の追随を許さなかった。
だがそれは――、
「秀康様っ! 前に出すぎですっ」
味方からも孤立する事を意味する。
事実、東軍から突出しすぎた秀康の部隊は周囲一帯を西軍に囲まれつつあった。
本多富正が必死に叫ぶが、秀康がそれに気にしている様子はない。
味方部隊に支援してもらいたいところだが、どの部隊も目の前との戦いに必死で秀康を擁護している余裕などどこもなさそうだ。
富正の不安をよそに秀康は血走った目で、戦場を眺め、自ら抜刀しているような有様だ。
……やれる、やれるのだ!
前の敵がその秀康の勢いに恐れるかのように道を開ける。
次々と敵勢は崩れていき、ついに大将と思しき男を発見した。
その男を見て秀康の顔がさらに険しいものへと変わる。
「真田、信繁……」
かつて、秀康が後継者争いで大きく不利になる原因となった――少なくとも秀康はそう考えている――上田城合戦での因縁の相手だった。
「生かしてやった恩も忘れおって! またもや儂の前に立ちふさがるかっ」
信繁側から見れば身勝手な理屈ではある。
しかし、秀康からすれば正論のつもりだった。
彼らが上田城をあっさりと明け渡していれば、自分は徳川家の後継者になれたのだという思いが秀康には強いのだ。
「討ち取ってやるわ! 覚悟せいっ」
真田信繁の元へと、秀康は向かっていった。
一方、真田信繁は自ら先頭に立っている秀康を見て歓喜した。
極上の獲物が自分の目の前で飛び跳ねているのだ。
嬉しくないわけがない。
「家康の倅か。手柄にしてやるか」
軽く唇を舐め、言葉を続ける。
「確かに父上は自分の意思で決起し、安土方と共に敗れて切腹に追いやられた。自業自得ではある。が、それでも切腹を命じたのは秀康だ。その首をとって、仇討ちとして父上の墓前に捧げるのも悪くないか」
くく、と小さく笑うと秀康に向き直った。
「その首を獲ってくれるわっ」
配下の兵達に、命じる。
「秀康を狙えっ」
信繁の指示を受け、配下の兵達が秀康の元へと殺到する。
「どけっ、雑魚に用はないわっ」
秀康は自ら槍を振るって戦う。
秀康配下の家臣達も、信繁の兵と凄まじい戦いを繰り広げている。
「どけっ」
秀康の気迫が通じたのか、信繁の兵達が一瞬だけ隙をつくる。
そこをついて、秀康が兵の包囲を抜けた。
「真田信繁、覚悟!」
「何をっ」
信繁のところに向かってくる秀康を見て、信繁も馬腹を蹴る。
秀康の乗った馬が近づく。
二人の距離が縮まる。
「やあっ」
「死ねえいっ」
二人が交差する。
だが、秀康の方が勢いがあった。
「ぬぅっ」
その勢いのまま、信繁は馬から振り落とされてしまう。
「っ!」
咄嗟に受け身はとったものの、衝撃は大きい。
全身に痛みが走った。
「おの、れ……」
態勢を立て直そうとするが、落馬の衝撃からなかなか立ち直れない。
それでも、このままではまずい。
秀康に首をとられてしまう。
しかし、体がなかなか言うことを聞いてくれない。
その前に秀康が迫る。
「覚悟せいっ!」
……間に合わん!
かわす事も、体を守る事もできそうにない。
家臣達も、信繁を助ける余裕はなさそうだ。誰もが秀康の部隊と交戦中だ。
信繁は、死を覚悟した。
「――っ!」
だが、衝撃は襲ってこなかった。
「……?」
信繁が怪訝そうに見ると、秀康の体が不自然に崩れてそのまま落馬してしまった。
信繁とは違い、受け身を取る事すらなくそのまま地べたにたたきつけられ、秀康の乗っていた馬はそのまま暴走するようにどこかに走り去ってしまう。
「と、殿……」
ここでようやく、信繁の家臣達も駆け寄ってくる。
「秀康様っ!」
一方、本多富正の悲痛な叫びが聞こえる。
落馬した秀康の体を守るよう、秀康の元に兵達が固まる。
「殿を守れっ」
慌てた様子で、信繁が態勢を立て直すまで、兵達が盾になる。
秀康配下の兵達も、秀康が討ち取られた衝撃のせいか、即座に追撃態勢には入れないようだ。
信繁は代わりの馬に跨りつつ、傍らにいた兵に訊ねる。
「……秀康は?」
「どうやら、流れ弾に当たったようです」
信繁は小さく頷く。
……運が良かったか。
いや、むしろ秀康の運が悪かったのか。
「そうか」
信繁の幸運、あるいは秀康の不運を喜ぶ気も嘆く気もない。
ただ、ここですべき事はひとつ。
「秀康の死を広めてこい!」
家康の子であり、大大名でもある秀康の死だ。
その衝撃は大きいはずだ。
ならばそれを積極的に広め、この戦場を西軍優位にするべきだ。
「はっ」
信繁の指示を受け、配下の兵達が散らばっていく。
「松平秀康を討ち取ったぞっ」
「討ち取ったのは我らが主君・真田信繁様じゃっ」
これにより、秀康配下の兵は衝撃を受ける。
いや、秀康の元配下だけではない。
その情報を受け取った東軍全体にも影響を与えた。
これにより、戦局は西軍がわずかに優位に傾いた。
その報告を受け取った、弟の秀忠の反応は冷淡だった。
「そうか。兄が逝ったか」
土井利勝、青山忠成、立花宗茂ら傍らに控えるものでも驚くほど静かな反応だ。
「殿……」
「冷たく見えるか」
「い、いえそのような事は……」
利勝が慌てて首を振る。
「構わんさ。あの兄にとって、私は良い弟ではないからな」
そう言いながら、相次いでくる伝令から戦況を冷静に聞いていた。
「……兄・秀康の死の影響は最小限にとどめねばな」
「そうですな」
付き合いが浅いためか、この中で最も早く衝撃から立ち直った宗茂が答えた。
「榊原康政達に前に出るよう伝えてこい。このままでは、我らは崩れる事になりかねん」
「上様に指示を仰がなくても宜しいので?」
忠成が不安そうに訊ねた。
「構わん。父上であれば分かってくださる。それに、今は一刻も早く立て直す必要があるのだ」
「……そうですな」
確かに、秀忠の言う通り指示を早く出さねば全軍崩壊という事態にも繋がりかねない。
利勝も頷いた。
「しかし、報告だけでもするべきでは」
「分かっておる。父上の陣にも使いを出す」
秀忠の言葉を受け、使番が桃配山の家康本陣へと向かうと同時に、榊原康政の元にも指示を送った。
家康が秀忠の案を了承するという返事がほどなくして届いた。
それとほぼ同時に、榊原康政の部隊が壊滅しつつある松平秀康の部隊の支援へと動いたのである。




