155話 決関ケ原3
桃配山――徳川家康の本陣。
本多正信・正純親子、お梶の方なども伴いながら、戦況を眺めていた。
報告が来る度に家康の親指を噛む歯に力がこもる。
……どこも押し切れてはおらん、か。
戦局は互角。
むしろ、押し気味だ。
にも拘わらず、家康は苛立ち気味だった。
……一筋縄ではいかん、か。
数では敵の方がわずかとはいえ勝り、こちらに槍を向ける可能性のある織田信雄が背後にいるのだ。
序盤からやや優位、ではなく圧倒的な優位にたって欲しかった家康としては、決して晴れやかとは言えない気分で天幕の周りをうろつく。
「……上様」
正純が遠慮気味に声をかける。
「何、むしろ呆気なく終わってしまっては拍子抜けよ」
ふふ、と家康は小さく笑う。
「楽しませて貰おうではないか、この日の本史上一の大戦をの」
笹尾山の豊臣秀吉の本陣でも、秀吉には余裕の表情があった。
「敵もなかなかやるの」
「はっ」
傍らから黒田孝高が答える。
「合戦がはじまって半刻ほど経ちますが、戦況はほぼ互角。いえ、わずかではありますがこちらの不利ですな」
相次いで来る報告を受け取っての回答である。
「そうか」
ふっふっふ、と秀吉は未だ余裕の表情だ。
許容の範疇、といった様子だ。
公家風の化粧が施されたその顔には笑みが浮かんでいる。
「そうこなくてはな。予の最後の大戦があっけなく終わってしまってはつまらん。後世に長らく伝わる事になる戦ゆえの」
本人は知らない事だが、桃配山にいる家康と似たような事を呟いてからところで、と秀吉が続ける。
「例の大筒はいつ使う?」
秀吉はかつて明や朝鮮での戦いでも用いた、最新式の大砲の一部をこの戦いに持ち込んでいる。
さらには、明軍から鹵獲した大砲を元に、新たな大砲を堺や国友の商人に作らせており、そちらも用いる気でいた。
「そうですな」
孝高は口元に手をやって考え込む。
「まあまだ戦ははじまったばかり。ましてや敵は、10万を超える大軍勢です。無限に撃てるわけではありませんし、即座の使用は控えた方が良いでしょう」
「左様か」
秀吉も頷いた。
それ以降、二人は慌ただしく報告に入る兵との応対を除いては、無言のまま戦場を見つめ続けていた。
池田輝政の部隊が、長宗我部盛親の部隊を押していた。
「やれーっ」
輝政も口数の多い人物ではないが、この日ばかりは頬は紅潮し、興奮した様子だった。
天下分け目の戦いという事に、彼もやはり気合いが入っているのだろう。
長宗我部盛親の部隊を押しまくっていた。
だが、彼が気負う理由はそれだけではない。
……兄上も、亡くなってしまったしの。
輝政の兄・元助はかつて父・恒興と共に織田信孝に組した。
戦後、命を落とす事はなかったものの、浪人となり、秀吉の元に仕える事になったものの、この戦が始まる前年に病で没していた。
……池田家を守れるのはもう儂だけじゃ。
ぎり、と唇をかむ力が強くなる。
……池田家を、大大名と言われるだけの規模に拡大して見せ、儂の子孫達も繁栄させて見せる。それこそが、儂ができる父や兄への手向けじゃ。
輝政の指揮もまた的確であり、長宗我部盛親の部隊を押しまくっていた。
対する長宗我部盛親もまた必死だった。
長宗我部はかつて、織田秀信擁する大坂方と織田信孝擁する安土方に分かれて戦った際、安土方に属した。
その為、戦後に改易処分を受けた。
しかし、秀吉は盛親を当主として長宗我部を再興させてくれた。
だがこれは盛親の力を評価したというよりは、四国統治に長宗我部の名が便利だったからにすぎない。
……父上に私の力を示せる機会などもうないかもしれんのだ。
溺愛していた信親の死後、元親は気力を失い、廃人状態となっている。
これが原因で丹羽長秀と蜂須賀正勝の軍勢に大敗を食らい、そのまま長宗我部衰退の原因となった。
改易後も、精神的には死人同然の状態のまま隠棲生活を送っていた元親だが、肉体的にも衰えていた。
医師によると、あと余命は数か月ほどとの事だ。
……せめて最期に私の力を示し、四国全土は無理でも半分の二か国は恩賞として手にいれ、私がいれば長宗我部は安泰だと示してから逝ってもらいたい。
そんな思いから、必死に采配を振るっていた。
石川康長は、島津義弘の部隊と交戦していた。
島津は数が少ないとはいえ、強兵揃いだ。
大陸での戦いでも、明や朝鮮と戦いその恐ろしさを海の向こうにも知らしめた脅威の軍勢だ。
しかし、それでも引き下がるわけにはいかない。
父・数正が豊臣・徳川家の乗っ取り計画に加担した事により、徳川家における石川家の影響力はかなり落ちた。
かつては、酒井忠次と共に徳川家の両翼を担っていた存在とは思えないほどに。
……このままでは、単なる一大名になってしまう。
この戦いの先陣を任された井伊直政などを、家康は信頼している。
石高ではすでに抜かれているし、軍議などでも発言力が明らかにあちらの方が上だ。その事に康長は不満だった。
……このまま終わってなるものかっ。
必死の思いで康長は戦いを続けた。
松倉重信は、島清興の部隊を相手にしている。
共に、かつては筒井家に仕えて来た者同士。
しかし、この戦場では敵味方に分かれていた。
……このような形で戦う事になるとはな。
かつて、筒井家に仕えていた頃は共に戦った仲だ。
しかし筒井家が衰退し、重信は徳川、清興は豊臣に拾われた。
そして、今はこんな展開になろうとは、10年ほど前は夢にも思わなかった。
ちなみに、かつての二人の主君である筒井定次は織田信雄の配下として南宮山に布陣しており、この戦闘には加わっていなかった。
「父上」
傍らには、子の重政がいた。
「どうした」
「よろしいのですか? 目の前の敵は……」
重政が言い淀む。
「うむ。気にする事はない」
清興と戦う事になったのは、秀吉も家康も意図したわけではなく、ただの偶然である。
たまたま、相対するような布陣になっただけだった。
ならば、やる事は一つしかない。
余計な事は今は考えない。
今はただ、松倉家の繁栄と、目の前の敵である島清興の殲滅を願うのみ。
「犠牲を惜しむなっ」
声を張り上げ、家臣達に指示を出す。
重信は、この年で60になる。この大戦を最後の大仕事と考えていた。
「この戦いに勝てば恩賞は望みのままだっ。戦え、戦えーっ」
ならば少しでも多くのものを、重政と松倉家に残したい。
そんな重信の指示の元、兵達も勇んで戦い続けていた。




